第八十四話 「ケリ、つけてやる」
ベンチの上で赤山と山吹が一通り演奏し、山吹が地面へ飛び降りてシメのスライディングを決めた頃、寅子はなんと飛びかかろうとしていた。寸でのところで彼女の手を羽交い絞めにし、彼に襲い掛かってゆくのを何とか引き留める。
一方、弾き終わって悦に浸っていた山吹は、寅子の姿を見るや否や、恐怖で表情を少し歪ませ、有無言わずに逃げ去って行った。
「放して!」
逃げてゆくヤマブキを追いたいのか、寅子は群衆の中で必死に叫び、もがいてあたしの拘束を振りほどこうとする。このままどこかで力尽きて彼女を放してしまうと、山吹や赤山に迷惑をかけてしまう気がし、何が何でも彼女を必死に抑えた。
群衆はすぐさま寅子から目線を外し、何も見なかったかのように冷たく去ってちりちりになってゆく。
山吹の姿が見えなくなり、寅子が落ち着いた時には、周りには赤山以外の誰もいなかった。
寅子は少しは冷静になったみたいで、息切れしながら辺りを見回すと暴れるのをやめた。この中庭に来るまでの彼女の様子といい、何か異常な力が彼女に働いている気がしてならない。
「ねえ青海さん、その人は?」
何が寅子をこんな風にしたのか考えていると、赤山が携えたベースをどこかにぶつけないよう気にしつつ、心配した様子で声をかけてきた。
「あたしの同級生なんだけど、どうやら山吹と、なんかあったみたいで」
「そっか。 あの、山吹と何があったのか、話してくれませんか?」
あろうことか、彼女にとっての地雷であろうことを赤山は単刀直入に聞いてしまった。ボッチで人付き合いが苦手なせいで、デリカシーまで無いのだろう。彼女がやっと鎮まったというのに、鎮火しかけの火に油を入れるようなことは、何があってもやらないで欲しかった。
対して寅子は、疲労によるものか震えた声で応える。
「ねえ君、山吹のベーシスト?」
「そう、ですけど」
「ならこう伝えて」
そう言うと彼女は一息吸って呼吸を整え、こう言い放った。
「あの時から私たちは変わった、だから、勝負したい、って」
普段の彼女からは想像もつかないような、闘争心に溢れた言葉だった。喜多子と寅子のバンドにとって山吹という男は、きっとそれほどまでに憎く、また、超えるべき因縁の壁のような存在なのだろう。
「わっ、分かった」
あまりの語気の強さに赤山は怖気づいてしまい、ひっぺり腰になってしまっていた。彼はすぐさま辺りの機材を近くに置かれた台車に積むと、やはり山吹みたいに逃げ去っていく。
「ケリ、つけてやる」
赤山が向かって行った夕日を前に、彼女は怨念深くつぶやく。
これほどまでに激情に駆られた寅子を見たことがなかったあたしは、もっと恐ろしいことが起きてしまうのではないかと、内心怖かった。




