第八十三話 「いきなり中庭行きたいなんて」
「いてっ」
放課後、あたしは寅子と一緒に裏側の方の学校の門をくぐり、いつもより早めに帰路につこうとしていたのだが、寅子がちょっと声を挙げるなり、いきなり背中辺りをしきりに気にし始めた。
「どうかしたの?」
「いや、何かに小突かれた気がするんだけど……」
もしかすると、軽音部の用事で学校に残っていたはずの喜多子のせいだと思ったが、いざ後ろを振り返ると誰もいなかった。喜多子が予定より用事を済ませた、なんてことは無く、また、誰かがこちらを狙っているわけでも無かったようだ。
一安心してホッとしていると、寅子は立ち止まり、こんなことを言い始めた。
「なんかよく分かんないけど、中庭の方行きたくなってきた」
「そこで物落としたり、無くしたりちゃったの?」
「いや、そういう訳じゃなくて、何となく行きたい」
彼女の言っていることが、まるでよく分からない。いつもの寅子なら、訳もなく意味のないことをするはずが無いので、少し異常に思えた。ただ、生きているとそう言うことも思うのだろうと、頭の中で割り切った。
「いきなり中庭行きたいなんて、変なの」
「私もそう思う。 けど、とにかくもう行きたくてたまらないの。 ってかもう行く」
「ねぇちょっと、中庭ってここからかなり遠いよ?」
そう言いつつ、歩みを中庭の方へ変えた彼女に、あたしは渋々ついて行った。
この時の寅子の歩き方は、いつもと違って見えた。狭めの歩幅こそがお淑やかな彼女の歩みの特徴なのだが、この時ばかりは大股で早歩きっぽくなっている。気のせいか、いつもはそこまで大きく聞こえないはずの鼻息が荒くなっていた。
中庭に着き、ざっと二十人くらいの人だかりができているのを見つけるなり、寅子は有無を言わずその中へ入ってゆく。あたしのことは今の彼女の頭にないようで、こちらが付いてきているか気遣ってくれる様子は全くなかった。
人の群れの前よりの方に行くと、色んな機材に囲まれたベンチと、それらを操作する人の姿が見える。さらによく見てみると、機会を操作する人は、特徴的な金髪交じりの黒髪だった。まさしく山吹家郎だった。
中学時代の頃、彼のことをよく思っていなかったであろう寅子が、彼のことを見たらどうなってしまうのか、もう分からない。ただ確実なのは、彼女はひどく嫌な気持ちになるという事だけ。
人混みの中から寅子を辛うじて見つけ、何度も彼女の手を引っ張るが、こちらに反応する様子がまるでない。目の前の人間が山吹であると、彼女が気づくのはもう時間の問題だというのに。
一方の山吹は一通りの機会の調整を終えると、人の群れの中のあたしや寅子でも見えるように、彼はベンチの上に立って遂に姿を現してしまった。
「よう、俺は1-1のヤマブキ・イエローだ」
ぶっきらぼうな口調で、彼は口上挨拶を始める。あたしはもう諦め、寅子の腕を引っ張るのはやめにした
「今日は俺だけじゃなくて、友達も連れてきた。 紹介しよう、赤山だ」
そう言うと、赤いベースを抱えた赤山がベンチに登壇する。彼が何も喋る様子はなく、観客と目を合わせるのが怖いのか、俯き気味だった。
「それじゃあ赤山と一緒に行くぞ、ディープ・パープルで、紫の炎!」
山吹がそう言うと、演奏が始まる。
本来なら周りと同じように盛り上がるべきなのだろうが、今はそんな場合ではない。寅子の目つきが、まるで恐ろしい獣のそれになっていたのだ。言葉がなくとも察せるくらいに、彼女は今、最悪の気分になっている。かといって再び腕を引っ張ってみても、彼女はぴたりと動かない。
彼女と山吹が再会してしまうのは、防げなかったのだ。




