第七話 「吾火」
そういえば、さっき青海さんが言っていたことで、何か引っかかるものがある。
「一つ質問なんだけど」
「?」
青海さんは確か、速いものを想像したということと、想像の暴走により想像したそれが襲ってくることを言っていた。一体何が襲ってくるのだろうか。
「その、想像してた速いものって何?」
「蛇とか」
普通、速いものといったらチーターとか挙げそうなものだが、なかなか変わった物を想像していた。しかし思い返すと、僕の四肢を抑えて至近距離で殴ろうとしたのかと思えば、いきなり四肢を抑えるのをやめて高速移動し、結局殴るという蛇のような回りくどい戦い方をしていた。
そうこうしているうちに、先ほどの爆発でできたであろう青緑の火が立ち上り、炎の中に居る何かの影が浮かび上がってくる。
揺らめくたびに、その輪郭がはっきりとしてきた。青海さんが想像したものは腕や足がない蛇のはずだが、影はなぜか四肢を形成しており、人間と同じく脚で立っている様子だ。
聞いていた話と違って内心焦り始めた僕に対し、青海さんはさも慣れた様子で、こんな提案をしてきた。
「それじゃ、あんたの剣貸して。あいつを後ろから切るから、あんたは囮になって逃げて」
これは僕が変わるための剣。あとで取られると思うと正直貸したくない。
「ええ……。 渡すの?」
「いいでしょ。 あたしの方がそういうの使い慣れているから」
確かに、それはそうだ。
僕が剣の柄を青海さんへ向け、青海さんの手の中へ託そうとしたとき、糊で引っ付いたように、剣が張り付いて取れなくなった。
「はあ?なにこの場に及んで剣を持ちたがるのよ」
「僕だって渡したいけど、ぴったりくっついたみたいなんだ。ほら、剣を持ってる手のひらをパーにして、こんなに振っても、落ちない」
「くだらない手品はやめて」
そう言い、彼女は柄を引っ張ったが、やっぱり剥がれない。
「分かったよ”赤の柄”。あたしが囮、あんたが背中から切りつける役ね。ほら、来るよ」
「わかった。けど、青海さんって足速いの?」
「陸上部なめんじゃないわよ」
決め台詞を言い放った青海さんは、いつでも走り出せるよう、スタート時のマラソン選手にありがちな前傾姿勢になっていた。
青の柄が、悪いことに使った青海さんに愛想を尽かしたといい、まるでこの剣の柄に意思があるような言い方だ。
やがてターコイズの火の中から、地面を擦る音と共に影の正体が現れる。
それは、紺色のセーラー服を着た、前髪で目元を隠す中学生ぐらいの女の子だった。ただし、肌や長い髪の毛はターコイズブルーに近い色に染まっており、スカートから出ている下半身は人間の脚ではなく、大蛇のそれだ。しかも髪の毛をよく見れば、それらは一つ一つ蛇になっていた。
まさしく、メデューサのようだった。
「ヒト……ミ?」
あまりに衝撃を受けたのか、臨戦態勢だったはずの青海さんの表情が引きつる。
「ヒトミって、誰?」
「……あの想像の暴走の顔、中学校の頃のクラスメイトそっくりなの」
青海さんは、ヒトミと呼ばれたその女子となにか深いかかわりがありそうだった。
一方で青海さんの想像の暴走、もといヒトミはというと、威嚇のつもりなのか音を立てて尻尾を小刻みに揺らし、長く伸びた鋭い牙をこちらに向けてくる。
ひときわ大きく尻尾を叩きつけた次の瞬間、こちらの方へヒトミがとびかかってきてしまい、思わず腕で顔を隠す。
腕を顔からどかした時、そこにヒトミは居らず、僕の体は何ともなかった。軽く一安心しつつも、ヒトミはどこへ行ったのか探ろうと後ろを振り返れば、おそろしい光景が広がっていた。
先ほどまで隣にいたはずの青海さんが、ヒトミに馬乗りにされ、さっき僕にしていたように四肢を抑えつけられていたのだ。特に青海さんの脚は、ヒトミの尻尾に縛られており、身動きが取れそうにない。しかも青海さんの細い首は、首の後ろ側にまで突き抜けそうなくらい長い牙によって今にも噛まれそうになっており、あまりにも鋭く恐ろしすぎて、僕はただ、足を震え上がらせることしかできなかった。
不意に青海さんの表情を見れば、恐怖のあまり小刻みに身体を震え上がらせているも、抵抗するような姿勢も見せず、何かを悟って受け入れたように目を閉じていた。
何かを諦めた様子だった。
だんだん、腹の底で何かが沸き立ってきた。
それは、正義かもしれない。
あるいはエゴなのかもしれない。
ただ、思いを言葉にするならば、こうなるだろう。
「青海さんに死んで欲しくない」
さっきは助けたはずの青海さんを死なせるものかと、むきになった僕は、地面に張り付いて震えていた重い片足を何とか上げ、少しずつ歩み始めた。
歩みは勢いづいて、走りになっていった。
「駆蓮奈行!」
走りは、右手の赤の柄と共に加速していった。
そうして遂に辿り着き、ヒトミの横から思いっきり体当たりを喰らわせた。
ヒトミはとっさの抵抗で僕の腕に嚙みついたが、あまりに強い体当たりだったためか、牙が皮膚からすぐさま抜けてしまい、そのまま地面で何回か弾みながら数メートル先まで吹っ飛んでいった。
「大丈夫、青海さん?」
呼びかけに応じ、青海さんは再び目を開くと、しばらく僕を見つめてこう返す。
「生きてる……? ってかあんた鼻血出てる!?」
まさかと思い鼻の辺りを拭ってみると、確かに赤い血が指に付いた。しかしその血は、青緑色の液体が混ざっていた。
一方のヒトミさんは、痛んでいるであろう腰を抑え、堪えながらも再び立ち直そうとしている。
不意に、折れた牙から青緑色の液体を垂らしているのが目に入った。
その時、嫌な予感が頭をよぎる。
再び鼻血を拭うと、やっぱり青緑色の液体が付いている。
どうやら噛まれた腕から、今は鼻の所まで毒が巡ってしまったようだ。
心なしか眩暈までしてきたが、絶妙にまともな思考ができなくなってきたおかげで、ヒトミに立ち向かうための方法が思い浮かんだ。
しかし、その過程で自分が本当に囮になるなら、ヒトミの牙がかなり厄介だ。
それにヒトミが再び起きた時、ヒトミが僕を狙うとは限らない。
嚙まれず、かつ僕の方を確実に狙ってもらうには……
赤の柄を眺めた際、とある策も思いついたため、実際にそれらを行えるようにするべく、青海さんにこんな質問をしてみる。
「青海さんって、ヒトミと何があったの?」
「それって話す必要ある?」
「……多分、想像の暴走って、本人の何か良くないところを反省してもらうために、起きてるんじゃないかなって思いついたから、つい」
青海さんは深くため息をつくと、語り始めてくれた。
◇
あたしとヒトミの初めての出会いは、中学に入った頃だった。
入学当初、ショートカットだったヒトミはクラスの皆と上手く打ち解けていたものの、全員に対してあまりにも馴れ馴れしすぎる態度をとっていたせいで、逆にクラスの皆から嫌われて距離を離された。
自分の耳にも入ってきたからって、人のことをいきなり変なあだ名で呼び始めたり、まだそこまで親密ではないのに貶しが若干混じった冗談を当人に対して言ったりし、人間関係においてボッチになってしまっていた。
ただ、あたしだけはヒトミと距離を離さなかった。嫌いではないと言えば嘘になるが、彼女なりに皆と仲良くなろうとしていたと思うと、ほっとけなかった。
それに、当時はクラスの委員長をやっていて、先生に良く思われたかったのもあったのだろう。だんだん彼女とつるむようになっていった。
しかし周りはヒトミのみならず、ヒトミと一緒に居るあたしまで避けられるようになり、いつしか学校ではヒトミと常に一緒だった。しかもヒトミの馴れ馴れしさは加速し、あまり話したくないプライベートのデリケートなことなども聞いてくるようになり、もう一緒に居たくなかった。
特に、中学一年の夏休み前にあった林間学校で、遂に限界を迎えた。
大自然の中、敷地内に用意されたピザ窯を使い、班で夕飯にピザを作って食べるイベントがあった。もちろん、あたしとヒトミは班員から仲間外れにされ、班員たちと別のテーブルで二人きりになり、班員から押し付けられた不細工なピザを食べていたのだが、その際、ヒトミがこんなことを言い出した。
「ねえつるぎ、首になんか付いてるよ」
そう言うと、ヒトミはなんと首に噛みついてきたのだ。
あまりにも怖かったので、すぐにあたしは思い切り叫び、近くの先生を呼んで助けてもらった。
後に先生を介した事情聴取にて、ヒトミはトマトソースたっぷりのピザを夜に食べているうちに吸血鬼の気分になった、などとふざけ半分のような訳の分からないことを言っており、もう我慢ならなかった。
そうして、遂に言ってしまった。
「もう、近寄ってこないで」
熱帯夜な上に夜の短い夏だったはずだが、その日の夜は嫌に涼しく、長かった。
この一件を経てクラスの皆はあたしに同情したのか、あたしが仲間外れにされることは無くなり、随分と楽な気分で学校生活を送れるようになった。一方、あたしまで離れてしまったせいで学校で話しかける人がいなくなり、完全に受け身になってしまったヒトミは、その後ほとんど学校に来なくなり、来たとしても保健室登校になってしまった。
教室で授業を受けていた時、だいぶ遅刻して校門をくぐるヒトミを窓から見かけることはあったが、あの時から見た目がだいぶ変わってしまっていた。髪はショートヘアからぼさぼさで伸び放題になっており、馴れ馴れしい態度から一転してかなり陰気な雰囲気になってしまっていたのだ。
◇
青海さんはさらに一呼吸置くと、締める言葉を重々しく吐いた。
「良かれと思って助けようとした矢先、ヒトミみたいに誰かの人生を狂わせてしまうのが、恐ろしかった。 だからもうボッチと関わらないようにしてたのに……本当、ごめん」
俯いたその顔は、かなり思い詰めていた。
ヒトミさんは決して常識的でなかったが、そんな彼女を助けきれなかったせいで、青海さんの強すぎる責任感が一周回ってしまい、僕みたいなボッチを嫌っていたのだ。さらにヒトミさんに馬乗りにされた際は、死を受け入れていた。
そんな惨すぎる経験があった青海さんを見て、僕までやるせない気分がこみ上げてきた。
だからこそ、想像の暴走であるヒトミさんに立ち向かうには、あの方法を取るべきだろう。
「青海さん、ヒトミさんに謝ろう」
「え?」
「僕がヒトミさんの囮になるから」
そう言うと、僕は一歩ずつ、ヒトミさんの元へ近づいてゆく。
今度はとある策を思いついていたが、思ったとおりに上手くいくかどうかは分からなかったため、相変わらず足取りは地面にへばりつくようで重かった。
完全に戦闘態勢になっているヒトミさんは、蛇特有の威嚇するときの声と揺れる尻尾と共に、僕と青海さんを見比べてどちらに折れて複雑に鋭くなった牙を向けようか、悩んでいた。
遂に、策を講じるときが来た。
「吾火」
そう呟くとともに、赤の柄を握る右手から赤い火が走り、やがて全身を包んだ。痛みを覚悟していたが、不思議なことに、お風呂に浸かるような温かさで特に火傷をしそうな感じはしなかった。
一方のヒトミさんはと言うと、思った通り、熱いものに対してより強く興味を示すヘビの特性で僕の方を向いていた。
「あんた正気なの!?」
僕の様子を見て青海さんは目を見開いて驚いている。
「そんなこといいから、ヒトミさんが僕の方に来たら、謝るんだ!」
僕が言い終わった矢先、ヒトミさんは尻尾で地面を一際強く叩きつけ、次の瞬間には僕の上で馬乗りになっていた。
しかし、全身を包む火で火傷し、すぐさま飛び上がってこちらを威嚇しながら、距離を置く。何度か牙をむきだしてとびかかろうとしてくるが、火が怖いのか、上手くこちらへ飛び出せずにいた。
「青海さん、今だよ!」
青海さんは深く息を吸うと、こう叫ぶ。
「ヒトミ!」
その呼びかけで、ヒトミさんの前髪の合間から見えるヒトミは、黒目の部分が細いヘビのそれから、だんだん人間っぽくなってゆく。
「あの時、ヒトミに対して思うことを全部我慢して、そのせいで限界になって、あたしまでヒトミを仲間外れにしちゃって、本当ごめん!」
果たしてヒトミさんは、どう反応するのか。
固唾をのんで彼女の動向を見つめていると、こちらに牙を向けるのはやめ、ゆっくり、青海さんの方へ進んでいった。
襲い掛かるような敵意はなく、人に呼ばれて何気なく向かうような進み方だった。
ヒトミさんは青海さんのところまで来ると、静かにお辞儀をする。
きっと、青海さんが今まで抱えてきた不満に気づけなかったことに対し、謝っているのだろう。
そんな様子に対し、感極まったのか、青海さんは大粒の涙を流してヒトミさんを抱きしめた。
ヒトミさんもゆっくり抱きしめ返すとともに、髪の毛になっていた頭の蛇が抜け落ち、ショートヘアになっていた。
さらに、ヒトミさんからも涙が垂れていた。目から漏れ出る雫は、橙色の夕日に照らされ、青海さんの肩へ落ちてゆく。
最後にヒトミさんは、大きな笑顔を青海さんに見せると、青緑の光の粒になって消え、そうして元の、青の柄になった。
青の柄はそっと、地面へ落ちる。
責任感や過去のしがらみから解放され、あまりにも軽くなった青海さんは、その場で両ひざをついて生まれたばかりの小鹿のように震え、決壊したダムのように一気に泣き始めてしまう。
青海さんの嗚咽が止まらない横顔を、沈みゆく夕日は見守り、かがむ影の姿を地面へ焼き付けていた。




