第六十二話 「上倉楽器店」
「お願い! このゴールデンウィークでギター始めたい!」
「いや、うちにそんなお金はないよ」
あまりにも素っ気ない返答により、僕の希望は儚く潰えてしまった。ちょっと前までに想像していた、ステージ上でヤマブキ・イエローと共演する風景が一瞬にして煙みたく消え失せてしまった事で、代わりに空虚な穴が頭の中で空いてしまう。
他に埋め合わせになる未来を探してみるが、見つかるのはどれも、文化祭中の学校のどこかしらで独り惨めに時を無駄にしている僕ばかりだった。今、まさにこうなろうとしてしまっていると思うと、焦燥感で胸が張り裂けそうだ。
一方母は、困惑した様子になりながらもキッチンに戻り、いつも通り夕飯の支度の続きに取り掛かる。まるで、僕がギターを始めたいとお願いした事実なんてどこにもない、と言われているようで、やるせなかった。
もう耐えられなくなった僕は、自分の部屋に戻って沢山ある小説の内の一冊を手に取り、物語の世界で自分を満たそうとする。だが、アーサー王伝説のことを描いたこの本を読み進める度、物語の世界でもむしろ蔑ろにされているような感じがして、すぐさま本を閉じてしまった。
物語に罪はない。ただ三人称視点で描かれているだけの、数あるうちの一つだ。
今の僕が、いけないのだ。
母の反応のせいで、ちょっと前まで頭の中で浮かんでいたはずの希望が、全てひどい痛さや惨めさに置き換わっていき、辛いことばっかり想像し始めてしまっている。
母に駄目といわれたから諦める、というのは一つの理由として成り立つかもしれないが、よくよく考えれば、だからといって絶対にギターを手に入れられないことが決まったわけではない。
まだ道は、あるのかもしれないのだ。
もしも他にあるとしたら――
今からでも軽音楽部に入る?
いや、ゴールデンウィーク前に入るのはもう遅い。きっと既にバンド組みは終わっているだろうから、今から入部したとしても、楽器を扱えないどころか、ボーカルさえもできるか不明な自分を入れてくれるバンドは無いだろう。音楽に関する知識も無いのに、バンドに入らずにソロで活動するのはもっとダメだ。
楽器の貸し出しをしてくれる音楽教室に通うにしても、月謝を支払う必要がある。そして、僕は今バイトをしていない以上、親に支払ってもらう事になるだろう。
――いや待てよ、バイト?
どうせなら、ギターに近いところでバイトに就きたいと思い立った僕は、スマホで近くにあるとあるお店を調べ、家を飛び出してとにかくそこへ向かった。
家の最寄り駅である色生ニュータウン駅の、目の前の商店街にそのお店は軒を連ねており、名は「上倉楽器店」。ネットのとある個人ブログでは、主にギターや、「ベース」という楽器を取り扱っているお店だと書かれていた。
いざ辿り着いてみると、ショウウィンドウにはびっしりと色々な大きさ、色、形のギターが飾られており、思わず見とれてしまう。さらに、硝子戸を開けて中に入ればショウウィンドウ以上の数のギターが展示されている。
さて、本題のため、店員さんらしき人に声を掛けようとしてみるが、ちょうどレジの隣にある作業台でギターのお手入れらしき作業をしていたので、作業がひと段落するまでは少し離れた所からその様子を眺めた。
やすりで竿部分を磨いたり、あるいは謎の液体を竿部分に垂らして布巾でそれを拭いていたり、さらには乳白色の液体をボディ部分に垂らして布巾で磨き上げたりするなど、お手入れの手際一つ一つが見たことないもので、とても新鮮だった。
ここでのバイトを通して、あんなふうにイエローのギターもお手入れできるようになったら、あるいは自分で買ったギターをお手入れ出来たら、かっこいいだろう。
しばらくすると作業がひと頓着したようなので、僕は声を掛けようとした。
しかし、躊躇ってしまった。気難しそうな顔をした店員さんを見ていると、果たして自分もあんなふうに職人気質になれるのか、心配になってしまったのだ。




