第五十八話 「レインボーで、ザ・テンプル・オブ・ザ・キング」
「……まだ音が聞こえてくるよ。 なんで?」
白いケルベロスに跨った少年は不思議そうにつぶやきながら、ヤマブキ・イエローが嚙み千切られたはずの場所であり、今は土埃に隠れている二階の窓枠の方を地面から見上げる。そのあどけない口調が、人の命を弄んでいるように感じられて仕方がない。
だが少年の言う通り、本当になんで、だ。
あともう少しのところで僕が飛び上がる高さが足りず、刃がケルベロスに届かなかったばかりに、彼は死んだか、かなりの重傷を負ってしまったはず。少なくとも、まともにギターを弾けるような状態ではないと考える方が自然だ。
しかし現に弾けているどころか、噛みつかれる前から放っていた音が今も途切れずに響いている。仮に奇跡的に避けたとしても、体を動かす関係で少しは音が途切れそうなものなので、やっぱりなんで、となる。
狐に包まれたような気分で僕も窓枠の方を見上げていると、だんだん土埃が晴れてくる。
黄色く輝く何かの光が、土埃から漏れてきた。
それは、人が座りこんだような形をしていて、横から特徴的な形の竿が飛び出していた。
あの竿は、間違いなくエレキギターのものだった。
光の輪郭を凝視していると、だんだん見覚えのある姿がそこに浮かび上がってくる。
金髪交じりの黒髪に、吊り上がった細い目つき、黄色いジャージに、黄色の眩いギターがケルベロスに噛みつかれる前と変わらず在った。無傷の彼は何も無かったかのように、未だに自らが放っている終止の音を堪能していたのだ。
時折、雷が雲で作られた時の千切りかすのような小ささの電流が、ジャージや彼の顔、手の表面から漏れ出るように一瞬スパークしていたが、遂に音を終えて辺りに静けさを漂わせると、そんな様子は無くなった。
「どうやら、泣きのギターソロもお気に召さなかったのか」
明後日の方向を向きながら、彼は気障っぽいセリフを吐く。声に反応し、ケルベロスの頭らは再び低く唸った。
「あとは、バラード系もあるが……」
「なんで、死んでないの?」
イエローのセリフにかぶせるようにして、少年は上にいる彼に疑問を投げかける。
「……どうやら俺を食べようとしていたようだが、俺はその時、電流になってたんだよ」
「「電流になってた?」」
少年も僕も、彼のセリフを繰り返す。同じタイミングで言ってしまい、なんだか間抜けに聞こえた。
「エレキギターってのは、弦の振動で電流が起きて、それが音になるものだ。 だから、弦を震わせて良い音になる電流をつくるなら、俺の場合は電流と一体化しないといけないんだよ」
あまりにも変態的すぎるこだわりが現れ、芸術的にも聞こえてしまう説明に理解が追いつきそうになかった。
「それじゃ、バラード系ならあの曲弾くか。 レインボーで、ザ・テンプル・オブ・ザ・キング」
イエローがそう言った瞬間、彼に怒りや憎しみを向けてきているケルベロスが再び飛びかかっていってしまった。今度こそ赤の柄を振るうも、今度は瞬発力と速さが足りなかったばかりに、あと一歩のところでまたもや剣が届かなかった。
ケルベロスが今度は前足で引っ掻こうと、彼の腕に鋭い爪を食い込ませ始めたその時。イエローの腕は黄色いスパークを発しながら、爪をすり抜けさせたのだ。どうやら「電流になっていた」とは、文字通り自分の肉体を電気にすることのようだった。
一方、当の本人はというと驚くそぶりを見せず、怒りや憎しみを向けてきているケルベロスに対し、冷静に再びギターを弾き始める。一つ目の演奏や二つ目の演奏と違い、弦を弾くその右手の動きは風に乗せられているようで軽やかだった。さらにそこへ、力強いながらも悲しげなボーカルも加わってくる。
どこか救いを求めるような迷える不安を醸し出す雰囲気と、ゆっくりで神秘的なメロディーは、先程まで牙をむき出しにして警戒していたケルベロスをだんだん落ち着かせ始める。
三つの頭とも口を閉じて牙を隠したかと思うと、その場で伏せをし、眉間に皺を寄せることも無く何気ない表情でイエローを見つめていた。
「ねえ、どうしちゃったの?」
背中に跨っている少年がケルベロスの白い頭へ声をかけるが、ケルベロスは反応する素振りなど何も見せず、ただじっと演奏を聴いていた。
だんだんケルベロスから、上へ上る白い光の粒が出てくる。きっとケルベロスの心を癒したのだろう。
イエローが最後の一音を弾き終えた頃には、いつの間にか地面に座り込む少年と白の柄が目の前に在った。




