第五十三話 「僕に届けさせてください」
「先生、ヤマブキ・イエローくんに届けるプリントとかって、無いですか?」
翌日の朝、僕は職員室に駆け込むと、クラスの担任の先生へしっかり目を合わせ、こんなことを聞いていた。
昨日、赤の柄によって妙な夢を見せられた際に気づいたことがあった。そこで、不登校であるヤマブキ・イエローの助けに少しでもなろうと思い立ったのだ。
それに対し、優しいふくよかな白髪のおじさん、といった風貌の担任の先生は少し驚きつつ、感心した様子で応えてくれる。
「君がそう言うなんて珍しいね。 まあ、あるにはあるけど、今の時代は全部データにしてメールで送れるし、いいかな」
「いや、僕に届けさせてください」
「……そんなに自分の手で届けたいのかい。 何が、そうさせるんだい?」
言おうとした瞬間、一瞬何かに口を塞がれた気がした。心のどこかで、今の僕の年齢に似合わない言動だとして理性が抑え込もうとしていたのだ。しかし、これを先生に伝えないと、僕は彼を手助けすることができない。
理性の手を押しのけるように、遂に口を開き、ゆっくり言葉を吐き出す。
「彼と、その、友達になりたいんです」
「そうか。 そんな君と友達になれたら、彼もきっと、嬉しいだろうね」
そう言うと先生は、机に置かれていた分厚い茶封筒に赤ペンでヤマブキ・イエローの住所を書きつけ、僕に渡してくれた。きっと、彼が本来受け取るべき書類が入っているのだろう。辞典ほどの厚さになるまで彼が受け取っていなかったことに、心の内で哀感が深まるのを感じた。
「って、朝に渡しちゃ困っちゃうか。 放課後までは自分が預かっておくから、また取りに来てもらった方がいいか」
思い出したように先生が書類に手を掛けようとし始めたその時。
青海さんと初めて会った際にも出てきたような、本能ともいうべきささやきが聞こえてくる。先生の善意に対して懐疑的になっており、書類を返すものかと殺気立っており、どこか怨念深い声が聞こえてきた。
迫ってくる手が茶封筒に近づくたび、声はどんどん大きく、ドスが効いて低くなり、脳裏に響いてくる。
「やめろ」
ひとりでに、喉が動いた。まるで僕じゃない他の誰かが、パペットみたく僕の体の中に手を突っ込み、口を勝手にパクパク動かしたような感じがしたのだ。
僕の体の中に入った手は、さらに口を動かそうとしてくる気がしたので、すぐさま両手で口を覆い隠し、もう何も喋らないようにした。
「……ああ、ごめんね、先生が悪かったよ。 けどせめて、もうちょっと柔らかい言い方をしてほしいな」
おずおずと手を遠のけた先生は、一瞬乗っ取られた僕の言葉に少し傷つきつつ、心配の念も抱いているようだった。
本当は先生に謝りたかったが、まだ体の中に手が突っ込まれている感覚があり、これ以上どんなことを言ってしまうのか分かったもんじゃないため、茶封筒を両手で抱えてすぐさま職員室を後にした。
この日、時限の間ごとの教室移動の際はヤマブキの茶封筒が入った鞄を毎回背負ったため、肩が凝り固まってしまう。
そんな中の昼休み。一応確認のため、凝った肩に鞭打ち、音楽室の重い扉を恐る恐る開けるが、今日は誰もいない。ヤマブキは来ていないようだ。
放課後になると同時に僕は、すぐにでも茶封筒の住所の場所に向かうため、校門を飛び出す。その際、中庭を少しの間だけ横切ったが、機材の準備などをしているであろうはずのヤマブキの姿は、やっぱり無かった。
この茶封筒は、僕が届けないといけない。
ヤマブキの家へ、スマホの地図アプリをもとに走って向かうまでの間、そんな使命が体の中を巡っていた。
急いで向かっているうちに、いつの間にか通る道のどこかにヤマブキがいないか、探している自分がいた。だが、どこを見ても彼の姿は無かった。
そのせいで、僕は余計に急いだ。
◇
「やっと見つけたよ、赤の柄」
どこかの家の屋根の上から、白い甚兵衛に身を包み、目を閉ざした少年が赤山がいる下の方を向いている。
「僕、新しい柄の使い方を見つけたんだよね」
彼が先端の金色のレリーフを摘まんでぷらぷらさせている白の柄は、大理石のように白くて短い刃が生えており、ぼんやり白く光っていた。




