第五十一話 「モーターヘッドで、エース・オブ・スペーズ」
昼休みに置いていってしまったお弁当を取りに、音楽室へ向かったが、鉛のおもりを付けられたように足が重かった。ヤマブキ・イエローは今頃、昨日の彼の宣言通りなら中庭でストリートライブをやっているはずで、鉢会うわけがないにもかかわらず、中庭から彼の演奏が中庭から聞こえてこないのだ。
まだ機材の準備をしているのかもしれないが、万が一音楽室に居て、これから目が合ってしまうかもしれないと思うと、胸が締め上げられるものがあった。
音楽室の扉はとても分厚くて重く、僕が入るのを許そうとしなかったが、それでもノブを捻って目一杯引っ張り、中に敷かれたカーペットの床へ足を踏み入れた。
そこに彼は居らず、部屋の端の机に弁当が置いてあるだけだった。それも蓋を閉じられた状態で。昼休みに彼から逃げ去った際、蓋は開いたままになっていたはずなのに。
弁当の蓋を見つめていると、鼻の奥で何かが詰まり、息が苦しくなってきた。視界も、下からだんだん潤んできた。彼はこの部屋のどこにもいないはずなのに、どうも屈託ない笑顔を見せる彼と目が合っている気がして、まともに立っていられないくらいに胸が締め上げられる。
僕はかえって彼を傷つけ、罪を深くしてしまったのだ。
何かに押しつぶされたように、地面で這いつくばってしまう。まともに立っていることさえ、何も感じていないふりをしているとして、今の僕には許されない。
顔からあふれ出たいろんな物をカーペットに垂らしてしまっていると、外より、窓ガラスを何度も殴って圧し割るような勢いで、昼休みの時に聞いた低いギターの音が部屋に届いてくる。
僕の罪は、音によってさらに抉られたのだった。
◇
今日はどうも、気持ちよく演奏できる気がしない。
機材達の調子が狂わないか、不安だからってわけじゃない。むしろ今日の昼休みに確認したときは、いつも通り絶好調だった。
聞いてくれる人がいなくならないか、不安だからってわけでもない。何なら昨日より十人増えて二十人ぐらいになってて、いつもなら気分が上がるはずだ。
音がぜんぜん悪くなることのない、黄色く光るこの無線シールドのメーカーが今日もしっかり機能してくれるか、不安になるからって訳でさえもない。サウンドチェックをしたときはいつも通りの粘りのある音を出力している。
なんだこの胸騒ぎ。
明日もここで演奏してやるって伝えたうえに、昼休みに一緒にヘドバンできたあいつがいなくなるだけで、こうも気が散ってしまうのか。こういうこと、ストリートライブを長くやってればザラにあるわけで、もう慣れてきたはずなのに。
いや、あいつはなんか変だった。俺が嬉しくなって肩を組もうとした途端に、気まずそうになって、逃げ去ったんだ。
今まで一人になる事なんて慣れてたはずなのに、一人にされたことは無かったから、モヤモヤしたのを覚えている。だからせめて、あいつが置いていった弁当箱を閉めてみたが、やっぱりモヤモヤは晴れなかった。
どうもあいつは、俺までも変にしちゃっていたみたいだ。
今日の放課後もボーカルしながらギターを披露しようと朝から思い、赤いSGベースを持って行ったのは、あくまでも昼休みに音源制作を行うためのはずだった。しかし、やっぱりベースが弾きたくなっちまったのは、そういうわけなのだろう。
「モーターヘッドで、エース・オブ・スペーズ」
疾走感を大切にするべく、暴れるようにピック弾きをしていると、無性に虚しくなってきた。
これはきっと、あいつに狂わされたがために持ち出して弾き始めたベースだからだろう。目の前にあいつがいないのなら、今はもう狂わされないし、ましてや狂い方も覚えていないから、どんな気分で弾けばいいのか分からない。
ただ、演奏者の責任としてこの一曲だけを最後まで弾ききり、その後すぐに機材を片付けて帰った。
この日の演奏は、一番楽しくない無礼なものになってしまった。




