第五話 「駆蓮奈行」
彼女は僕を罵倒してから、怖いほどにピリピリしている。何を起こすか予測できない。
「本当はあんたが柄を使いだしたら、あたしも使うつもりだったけど、もう限界」
怒りに震えた声で、彼女は呟く。
すると僕の四肢を抑えた状態のまま、右手だけを素早く動かし、僕が持つ柄のような物を腰から出した。
銀色の線が縦にバーコードのように真っすぐ連なる、青い柄だ。日本刀のような重みを感じさせるが、刀身は僕のと同じく、無い。柄の先端についた金色のレリーフは、先端がとがっており、そこには漢字の「青」に近い形の文字が刻まれている。僕のは「赤」と刻まれていたため、何か関係があるかもしれない。
柄を持った右手は、右拳で殴るヤンキーのようにがっちり構えた。影が、傾いた夕日の逆光で先ほどより濃くなっており、禍々しい殺意を感じる。
彼女の構えに怖気づいていると、地面からターコイズ色の、手のひらサイズのガラス破片がふんわり浮いてきた。それはふわふわ浮き、ゆっくりと柄の、刀身があった根元へ向かう。
チリンと音を立ててぶつかると、なんということか。
柄とつながり、砕けていたはずの刀身となり始めたのだ。
ターコイズのガラスは、砕けた断面にくっついては、鈍い銀色に変色。さらにそこから、銀色は面積を押し広げる。
そうして、最初はガラスだったはずの欠片は、柄につながって刀身の一部となり、鋼のような、鏡のような、銀色に輝く刃へ姿を変えてゆく。だんだん日本刀らしく、刀身も反ってくる。
全てのガラスがひっつき、遂に刀が完成したその時。
彼女の肩から、ふくらはぎから、そして刀身から、なんとターコイズ色の炎が吹きでた。
理科の授業で使うガスバーナーのように燃えては、まるでマントのような、のぼり旗のような形を作りだしている。
刀の柄からは、怒り狂ったエンジンの駆動音が響く。
炎は「ボォォッ」と鋭く喚き、周りの空気をグラグラ揺らしていた。
そのうえ、夜色に染まり始めた橙色の空を、色濃く塗りつぶし、灯す。
そんな風景の中、彼女が刀身を左の脇へしまい、前へ重心を置くと、彼女の両目の黒い部分はターコイズ色の光で一気に満たされた。
そして、高くこう叫び放った。
「“蛇高速射”」
たーこいず。そう聞こえた。
その瞬間、刀を握る彼女の拳が、僕の胸へ突進してきた。生存するための直感でなのか、僕のあばら骨を殴り折ろうとしているのが分かる。この拳のスピードでは確実に死ぬだろう。
驚いて目を閉じ、両腕で胸を守る態勢を取った瞬間、急ブレーキとその火花のような音が一瞬響いた。
目を開けると、彼女は残像を残し、目から発する青緑の光の軌跡を描いて、消えた。一時は安堵し、その場で立ち上がる。
が、事態は奇妙になっていった。
ブォンッ！
蛇が這うような音が、爆風とともに背中を走り去った。
ブォンヴォン！
まただ。今度は僕の左を横切った。
かすかながら、ターコイズブルーの炎と光の軌跡が見えたとき、
ビュンッ！
今度は左から横切ったとき、見えてしまった。ターコイズブルーの、炎と光が。
消えたのではなく、目に見えないスピードで走っていたようだ。
そしてさっき見えたのは、地面を走っているうちに摩擦の影響と体力の低下によって減速しているからだろう。
とはいえ、それでも十分すぎるほどに、まるでレーシングカーのように速い。
彼女は、僕に対して短時間で徹底的に、「やる」みたいだ。
ここから逃げるべきだと判断し、そう右足を出したかったが、音速のように速い彼女に、足を踏まれる可能性もあると思うと、踏み出せない。かといってここで立ち尽くすのもよくない。
そうしていると彼女は、列車の車輪から出るような火花を散らし、いつの間に砂の竜巻を作り出していた。
こんな状況でも目を開けていると、地面から飛び散る砂が目に入るため、下まぶたが突き刺され、やすりで削られるような痛みが走る。そのため目を閉じざるをえなくなり、視界が奪われてしまった。
彼女の運動靴の靴底が地面に、それも高速で擦れることで、地面は熱くなり、煙の匂いが鼻を燻る。まさか視覚のみならず、嗅覚まで封じようとしているのか。
五感という五感を奪いに来ているのといい、今の彼女の行動には、殺気のほかに何もない。
次の瞬間、砂嵐から出た右拳が僕を襲ってきた。
殴られたのは、首の左側。
一瞬、息ができなかった。打撃なのに、息を絞められるような苦しさで、四つん這いになりかける。
そこに追い討ちをかけるため、今度は正面の残像から左拳で殴ってきた。
潰されたのは、喉仏。
本当に息が吸えない。そうして四つん這いになった。
一旦は攻撃が止むものの、弱って四足歩行になった僕の周りを、彼女は土煙挙げて走り続ける。すこし冷静になるんだ。このまま殴られれば気絶し、せっかく得た剣の柄が取られる。そうしたら僕は変われなくなる。
それにしても、なぜ「たーこいず」と彼女が言ったらこんな高速移動できるようになったのか。
ターコイズと言った時、刀身が生成されていた。何かの色を言えば、それに対応した技ができるのか。もしかしたら、自分が右手に持つ剣の柄でもできるのだろうか。頭に血が登って耳が赤く熱くなりながら、ある結論を導いた。
「たー、こいず」
今度はおでこを手のひらで引っ叩かれた。眉間がヒリヒリし、相変わらずスズメバチの羽音に似た雑音が轟き、砂粒がザザザっと響く。
ターコイズではダメだった。もう少し何かないか考えていると、羽織っている甚平といい、彼女は青にこだわっていたのを思い出した。彼女の柄の金のレリーフには「青」と書かれ、僕の柄のレリーフには「赤」と書かれている。僕の場合は「赤系」なのだろう。そう思いつくと、今度はこう叫んだ。
「…くれない」
今度は左耳の後ろを叩かれた。脳がぐわんぐわん揺れる。
ただ色の名前を言うだけではダメなようだ。まだ何かないか、彼女の様子をもう少し見てみると、全身から青緑の炎が吹き出すのが変であることに気づいた。あれは漫画やゲームでも見たことあるのだ。
エフェクトだ、想像上の。
想像上。
今、底なしに凄く自信がつき、これまでにないほど冷静な自分がいる。だが、この命の危険の中でそれに驚く暇はなかった。
今度は、彼女のように高速移動し、その時に出る残像のようなエフェクトを想像して、こう叫んだ。
「……駆蓮奈行！」
なぜだろうか。周りが一瞬遅くなった。
その一瞬で閉じていた目を薄く開くと、彼女の動きを追えた。つむじだ。彼女は僕のつむじを、正面から引っ張ろうとしている。
それを止めまいと、髪を引っ張ろうとした右手を掴んだ。
そうして、彼女の動きは止まった。
