第四十三話 「露供生」
黒の柄の男から、この真っ暗で冷たい地下の水中へ緑の柄を落とさせ、奪い取るまではよかった。
だが、大きな泡音を立てて、黒の柄の男も一緒に落ちてくるとは思わなかった。
彼は水中に慣れていないのかそのまま深く落ちていきながらも、あたしの青の柄の刀身が放つ光を頼りに、こちらへでたらめな泳ぎ方で近づいてくる。人間らしからぬ、不自然で異形な動きだった。
そして遂に彼が延ばした右手は、あたしの左手が掴んでいる青の柄の方へ向かうが、何とか避けた。
青の柄を彼の右手から遠ざけるまでは良かった。
しかし彼は、左上にしがみつくヒトミの、ジャージの首元を代わりに掴んだ。さらに、あたしから引き剥がそうとした。
「剥戒無頼」
再び、心の中で叫んだ。
これ以上、自分のせいでヒトミを追い詰め、体が後悔でじりじり侵されるような思いはしたくないのだ。
文字通りスカイブルーに光る刀身は、男の手の方へ勢いよく向かい、その余波で男を暗闇の奥まで吹き飛ばした。彼が通った後にはいくつもの細かい泡が残っており、どれも寂しく揺れながら上へ向かい、消えてゆく。水中に流血の跡までは残っていないので、手を突き刺せたわけではなかったが、彼にダメージを与えるには十分な衝撃であった。
ヒトミの方はというと、あまりの恐怖で口や鼻から大粒の泡をいくつも吐き出し、肩で息をしてしまっており、腕のみならず全身に抱きつきつつも両足を大きく動かして再び水面へ向かっていた。黒の柄の男が存在する水中から一刻も早く逃げたかったのだろう。
そうして、あたし達は再び水面になり果てた地表から顔を出し、地上の息を吸った。改めてヒトミの方を見ると、水中にもぐってしまう前まで感じていた身長差が、お互い水のようになった地面に浸かって目線の高さが合っていることでなくなっていることに気が付いた。なんだか、中学時代の頃の目線の高さで、どことなく懐かしかった。
お互いの肺が落ち着いた頃、ヒトミが口を開く。
「つるぎ、そ、それ……なに?」
喉を震わせ、言葉を詰まらせながらも青の柄のことについて聞いてきた。彼女に対しては特に教えてはいけない義理はない上に、わけの分からない武器を何の説明もなく振っている方が彼女を不安がらせると思い、一旦色の柄のことを説明した。
特に、技を発動する際は想像しながら色の名前を言わないといけないこと、そしてあたしが持っている柄は緑の柄と青の柄であること、この地面の変化は緑の柄によっておそらく引き起こされたことなど伝える。
「だから最初、ブルーとかって叫んだんだ」
「ええ」
「じゃあ、こうしたら……」
すると彼女は、緑の柄を持つあたしの右手をいきなり両手で握ってきた。
「ちょっと、どうしたの?」
両目を閉じ、何かを静かに念じ始めたので試しに呼びかけてみるが、うんともすんとも言わない。
「露供生」
いきなり彼女が静かにそう言うと、あたし達の体がさらに浮き上がり、やがて地表に足が着いた。濡れて重くなり、体にべったりまとわりついた服からは、黒い水滴がいくつも細かく地面へ落ち、しみ込んでは消えてゆく。
遂に、水中の束縛から解放されたのだ。
ヒトミに色の柄の説明を終えた後にやろうとしていたことを、まさかヒトミがやるとは思わず、さらに最初に彼女の口から出た技でいきなり成功したことに、ぎょっとしてしまう。
そして、身長差による目線の高さの違いも、元に戻った。なんとも言えない寂しさが、そこにあった。
「気になってたんだけど、ヒトミって身長どれくらいになったの?」
「167cmくらい、だったけど、今はわかんない」
その時、あたしの足元からいきなり黒く短い刃が飛び出し、思わずヒトミの方へ飛び上がって抱きつくような体勢になってしまう。あと数㎝ズレていたら、確実に足に刺さっていた。
黒の柄の男は、まだ諦めていなかったのだ。




