第四十話 「炬晴斗」
お父さんの指示により、あたしはヒトミとペアになって指定された地区内の住宅街のごみ拾いをすることになった。
心なしか、歩道の領域であることを示す地面の緑色の部分が、いつにも増して嫌に鮮やかに見えた。今日は日がいっそう照る良い天気だからそう見えるのか、あるいは新たに舗装工事がなされたのだろう。
ごみ拾い中、ヒトミは中学の時のような馴れ馴れしい事を言わないどころか、何もしゃべらず、震えて黙ったままだった。
ただ、彼女の取る行動は中学の時より馴れ馴れしくなっていた。集合場所である色生神社で再会した際、お互い手を握っていたが、まさかそのままの状態で清掃場所であるここまで来るとは思わなかった。あたしが片手を離してもなお、ヒトミは身長相応に大きく冷たい両手で右手を握るのだ。
かといって振り解こうとすれば再び彼女を突き放すことになってしまうだろうし、口で伝えるにしても今の彼女では傷つきそうな気がする。頭半個分上にある、前髪の合間から見えた彼女の眼は何かを渇望して潤んでいるように見え、少しのきっかけがあれば泣いてしまいそうだ。だから、握られたままでいるしかなかった。
結局、彼女が手を離したのはごみ拾いを始めてからだった。
さらにごみ拾い中、疲れて伸びをしたかと思えば、何も言わずにあたしの背中へ細長い体を預けて来たり、今度は片手で手を繋いできたりした。その度に、驚きのあまりどこを通って出たのか分からない変な声が出てしまうが、やめて欲しいとは思えなかった。ヒトミの体の小刻みな震えがあたしの体にも伝播し、人肌を求める寂しさが胸に届いてくるのだ。
無口にはなってしまったものの、トラウマであるはずのあたしに対し、昔以上に身を寄せてくれるのが今となってはありがたいようで、でも彼女がくっついてくるせいで体に変な熱が溜まり、ちょっと涼みたくなってしまうようで、複雑だった。
お互いのごみ袋が道端の空き缶や吸い殻、弁当の容器などで半分まで満たされた頃。休憩しようと地面にしゃがんだあたしの下へ、ヒトミが背中合わせになりに来たときに、こんなことを聞いてみる。
「ヒトミって、学校に来なくなってからは、何してたの?」
「何も」
口が小さく開くと、ひっくり返りそうな声で彼女は答える。
「何もしてなかったわけないでしょ? ご飯食べるとか、どこか、その、そういうための所いくとかしなかった?」
彼女が何していたのか気になったあまり躍起になり、思わず言葉を連ねてしまう。
一方のヒトミは、大きく深呼吸したところで、ゆっくり話し始める。
「ただ、部屋で引きこもって寝たりしてるか、食べてるか、ママとマラソンとか水泳とかやってた」
「マラソン? あたしと同じ陸上じゃん」
嬉しさ混じりに、背中の彼女へ言葉を返す。
思えば、ショートカットな髪型の頃の彼女なら、見た目だけで言えば確かに陸上や水泳をやっていてもおかしくなったが、今の姿でそういった競技をやっていると聞くと、少し意外だった。中学の頃のヒトミは運動にはそこまで興味が無かったはずなので、おそらく彼女の体格を鑑みたお母さんに誘われる形でやっていたのだろう。
なんてことを考えていると、不意に彼女が口をゆっくり開く。
「つるぎって陸上、やってたもんね」
「うん。 ってか、今もやってる。 ヒトミは2000m走のタイム、どれくらいなの?」
「2000mは走ったことないけど、前に1000m走ったときは、4分3秒、とかだった気がする」
「速いじゃん! うちの部来てよ!」
なんて言ってしまったが、きっとヒトミは通信制高校か、別の高校に通っているのだろう。少なくとも、彼女を自分の学校で見たことがない。
「ええ……、つるぎと違って通信制のはずなのに、いいの?」
本当に通信制だったようで、彼女を困らせてしまったのはちょっと悪いと思った。
お互い十分休憩し、ちょっと会話を交わしたところで立ち上がり、清掃を始めようと、右脚から立ち上がろうとしたその時。
右脚が地面の中へ飲まれた。
とっさの事態に心臓が暴れながらも必死にもがき、焦った様子のヒトミにも引っ張ってもらうが、中々抜けない。まるで地面が粘土みたいに柔らかくなって、あたしの脚を掴んでいるようだった。
左脚の方に違和感を覚えたのでそっちの方も見てみると、右脚ほどではないにしろ、地面へ沈んでしまっていた。さらに、視線の先にあるヒトミの両足も、足首まで地面に沈んでいた。
「功露」
聞き覚えのある声と共に、上から黒の刃と緑の刃が素早く振り下ろされてくる。とっさにこちらも、ズボンのベルトを通すところにくくりつけていた青の柄を取り出し、
「無頼!」
瞬間、青白い閃光が走り、日本刀の刀身ような輪郭を形作る。
全力でしのぎを削る中、刃の先にあった顔は、見覚えのあるものであった。
それはあの日、取り逃した男の顔。
それはあの日、恐怖へ突き落されながらも討った、男の顔。
そしてそれは、先祖と因縁深い顔。
まさしく、黒の柄を使う長髪の男だった。
全身裸だったあの時と違い、上半身は裸ながら、今回は作務衣から取ったような深緑の長ズボンを履いていたが、そんな些細なことはどうでもよかった。
ただでさえ彼は身長が高いのに、あたしの両足が地面へ沈んでいるのに対し、彼は沈むことなく地面に足を着けて立っていたせいで、高低差がさらに生み出されて不利な体勢に陥っているのだ。
そのうえ、彼は黒い両刃の刀身を生やした黒の柄のみならず、緑色に輝く両刃の刀身を生やした剣も使い、青色に光るあたしの刃へ圧を掛けてくる。
刃が顔まで迫る中、彼の刀身の重みに体勢を崩されないよう気張りながら、慎重に緑色の剣の柄尻を見ると、金のレリーフが付いているのが見えた。
金のレリーフに刻まれた文字は「緑」。
いつの間にか彼は、緑の柄を得ていたのだ。
後ろではヒトミが怯えて、あたしにしがみついてくるのが分かる。震えは先程よりも増し、あまりの恐怖で喉がうまく動かず、叫び声さえも上手く出せずにいた。
それは、悲痛なる思いを伝えるには十分だった。
そして、あたしに馴れ馴れしくべたついてきていた理由を伝えるには、十分すぎた。
ヒトミは今まで、あたしをはじめとするいろんな人間から、様々な苦痛と恐怖を受けてきた。
追い詰められるたび、自分が潰れてゆくのが怖かったのだろう。なんとか自分を保つために、誰かの手を握り、誰かの背中に寄りかかり、誰かにしがみつきたかったのだ。
これ以上彼女に追い詰めようものなら、
あたしはそれを許さない。
「炬晴斗!」
そう叫ぶと、刃は一層輝いて青白くなり、ずっしり重くなってゆく感覚が腕に伝わる。
やがてこれでもかというくらいに重くなり、最高潮に達した時、任せに思いっきり刃を振り上げれば、そのまま黒の柄の男は軽々と空中へ飛ばされた。




