第四話 「変わりたい」
「これは君のものではない」
なぜか、直感的な本能で返した。勝手に口が動いてしまったのだ。
「……でしょうね」
対する彼女は、さも蔑んだ様子でこちらを眺めてくる。
また、やってしまった。
変わりたいと思うたび、間違ったことを言ってしまい、負の循環に嵌まってしまう。
こういう瞬間に限って自分が独りな理由が分かっているくせに、なぜ今日の朝みたいな普段の時や、先程みたいにものを言う直前では忘れてしまうのか、憎たらしくてしょうがない。
一方、彼女は何を考えたのだろう。飛びつくように押し倒して四肢を抑えてくると、僕が持っている剣の柄を掴み、無理くり引っ張ってきたのだ。時間が過ぎたために、ゲームを取り上げてくる母のような野蛮さがある。
「は、な、し、て」
だが気迫が強く、荒々しい鼻息が伝わってくるだけで、何でもない力だった。本来、こんなに女子と近いと妙な気分になりそうだが、今はそんなことを考える余裕がないほど自分が嫌いになり、本能とせめぎ合いになっていた。
しかし、やっぱり負けてしまう。
「嫌だ」
変わりたいと強く思ってしまう程、また口走ってしまい、力む。これこそがダメだというのに、なぜやってしまうのだろうか。
そうして自分を恨んでいると、柄を引っ張っていた彼女は諦めて手を離し、嫌悪を露わにし始めた。眉間に皺を寄せて、僕の顔をしっかり見ながら、口をもごもごさせるようにこう呟く。
「本当にボッチって、なんでこんな理屈っぽくて、いざ欲しいモノ得たら馬鹿力出るの。 ほんとキモい」
彼女は、柄を返さない僕が嫌いなだけでなく、僕のような「ボッチ」と関わることも嫌いなのか。
「今朝はやり損ねたけど、いい加減にしないと、死なせるわよ」
これが柄を返す最後のチャンスだろう。しかし、「ボッチ」揶揄されて触発された本能は、そう判断させる猶予も与えてくれなかった
「死んでも返さない。なぜならこれを手放したら、僕が変われなくなるから!」
今まで以上に、一つ一つの語気を強め、この言葉をしっかりぶつけてしまった。
もう、戻れない。本能に従う以外の道が残されている気がしない。ならばいっそのこと諦め、身を任せてみることにした。
本能はこう囁いていた。
◇
アーサーが引き抜いて王に変わったように、僕も何かが変わるはずなんだ。
だから、せっかく見つけたこの希望を、絶対に渡さない。
この思いは、正しいんだ。
◇
こんなに幼稚で嫌な奴が今の僕なのかと絶望し、やっぱり抗って返そうと、謝罪の言葉を出しかけたその時。
彼女はさらに頭に血が上ったうえに、眉間の皺がより深くなり、口が締まっていった。全力で間近に睨み始めたのだ。それはあまりにも禍々しく恐ろしい雰囲気を放ち、少しも動いてはダメだと、気迫でも僕を強く縛りつけてくる。
「『変われなくなる』? あまり人に慣れていないような、緊張しすぎて語気が強くなっちゃうしゃべり方、ほんと気持ち悪い」
振り切れ過ぎて人として大事なものを捨て去ってしまったのか、何も構わず罵倒する彼女。
それに対して言い返したいのか、本能はうるさく叫び始め、心に発狂させてきた。
無視しようとするほどに強くハウリングし、従わなければ気がどうにかなりそうだ。
さらに今度は心臓や頭に反響してきたので、本能がどう考えているのか整理してはっきりさせようと、今度こそ身を任せてみた。
本能は、こう唸っていた。
◇
「変わりたい」という僕の希望は、とことん踏みにじられた。自分が心から正しいと思ったことを言っては、また否定される。こんな感覚、前にもあった気がしてならない。
あれは、中学の頃だ。
「ねえ、いじりは良くないよ!」
「授業中しゃべっちゃダメ!」
「お腹からワイシャツ出てるよ!」
「勉強は大事だよ!」
「あれ面白い!」
そんな言葉を言うたびに、和気あいあいと話し合うクラスメイトは静かになり、一気に表情をストーンと変えてきた。あるいは、耳を自らの指で栓をして、視界に僕の顔を入れないようにしてくる人もいた。
あいつをいじってて楽しかったのに、うるさ。
授業中のおしゃべりも、教師のチャックが開いていることに気づいたときなんかは楽しいのに、うるさ。
お腹からワイシャツ出ていた方が、風通しがよくなって夏場でも涼しいからいいだろ、うるさ。
勉強はあまりにも面倒くさいのに、うるさ。
いや授業で学んだ内容のあれはどこがおもしろいんだよ、うるさ。
みんな何も言わずに黙り、僕を見ないようにし、まるでこう言っているみたいだった。凍てつく空気を打ち出す空気砲を作っては、その場から僕を吹っ飛ばし、徹底的に排斥してきたのだ。
さらに、二度と近づいて来ないように「距離をつくる」「極力関わらない」「避ける」という電気柵を張られてきた。
何回も吹っ飛ばされるうちに、電気柵に触れてでも、自分が正しいと思うことをやるのは。
中学一年生を最後になくなった。
それが柄を見つけた今、もう一度正しいと思えることを貫こうと思えた。電気柵を握りしめてでも立ち向かうことにした。
だから、この柄は彼女のものであろうと、彼女に渡さない。
◇
柄を見つけてしまったばかりに本能は、残酷な思い出を引っ張り出してきており、人として間違ったことをしてでも、昔のように正しいと思えたことをするつもりだったようだ。そう気づいたとき、遂に決めた。
絶対、本能には従うべきではない、と。
何も変わろうとしないどころか、むしろ中学の時に戻ろうとしていたのだ。負の循環に陥ってしまう原因は、ここにあった。憎むべき自分とは、本能であるようだ。
ようやくしがらみを振り払おうと、落ち着いた気分を取り繕い、今度こそ謝罪の言葉を口の中に含めば、彼女はさらに言葉を続ける。
「あんたみたいにボッチな人は、受け身って相場で決まってんのよ」
受け身という言葉に、なにかがぴったり当てはまるような感じがした。
その時、「何の罪で牢屋に入れられているのか」という疑問を思い出したのだった。
僕の学校生活は、孤独を味わわせる独房。そこに、受刑者として収監された罪。
それが「本能のままに動いた末、彼女のような人に吹っ飛ばされ続け、電気柵の痛みに耐えられなくなるうちに受け身になりすぎてしまったこと」なら、悔しいことにどう考えても、今までの辻褄が合ってしまう。
せっかく本能を抑えたとしても、残るのは、殻から破れなくなった心のみ。知らず知らずのうちに、誰かから声を掛けられることを待っている、受け身の自分も憎むべきだったのだ。
本能に任せて動こうが、本能を抑えて動こうが、負の循環から逃れられない悔しさで胸が詰まった。




