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剣色の夢  作者: チャカノリ
あの日突き放した緑
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第三十九話 「久しぶり」

 目覚まし時計の無機質なアラームが、あたしの頭の中をつんざく。


 正直、ならないで欲しかった。


 本当は黒の柄の分身との戦いや赤山兄妹とのことなど、今週は色々ありすぎたので週末くらい落ち着いて寝たいのだ。しかし、神主であり、周辺地域の町内会長もしているあたしのお父さんが運営するイベントに参加するため、そうもいかない。


 部屋の窓から差し込み始めたばかりの春光を浴び、今日も重い体を起こした。


 眠気混じりに朝の洗顔などの身支度を一階の風呂場で終えると、紺色のブラウスと水色の長ズボン、七宝柄の水色の甚兵衛で身を包み、青の柄をズボンのベルトを通すところに括り付ける。そうして、キッチンや居間がある二階に向かった。


「おはよう、つるぎ」


「うん、おはよ」


 キッチンでは、少し先に起きていたお父さんが朝食の目玉焼きを作っていた。


 紺色の作務衣を着たその姿は、父の体格の良さを強調していて貫禄を感じるが、さらに青い花柄のエプロンを着けていたせいで、ちょっとしたシュールさも感じた。


 辺りはごま油の香ばしい香りと小気味よく焼かれる音や、他に作っていた味噌汁の香りで満たされており、食欲をそそられた。


 いつものこの調理の流れでいくと、そろそろあの料理を作り始める頃だと悟ったあたしは、お父さんにこう聞いてみる。


「ねえ、そろそろソーセージ焼く? もしそうなら冷蔵庫から出せるけど」


「ああ、出すのお願いしていい?」


 そうしてあたしは小さめのソーセージの袋詰めを取り出し、お父さんに手渡す。


 さて、このまま目玉焼きとソーセージの二品だけどと栄養バランスが偏っているので、こんな提案もしてみる。


「ねえ、あたしの方でサラダ作っとくね」


「いいね、ありがとう」


 そうして、我が家の朝食である目玉焼きプレートが完成した。その他に味噌汁とご飯も各々でよそい、席に着くと、同時に慎ましくこう言った。


「「いただきます」」


 常日頃思うのだが、目玉焼きの半熟な黄身によるとろっとした感触と甘みが、体に染みわたって癒される。


 少しばかり目玉焼きに酔いしれた後、今日のイベント、もとい近隣住民で地域のごみ拾いをする清掃イベントのことについて、いろいろ話し合った。


「ねえお父さん、今日の清掃イベントって何人ぐらい来るの?」


「事前の申し込みを見た感じだと、うちを除いてざっと五世帯くらい」


「ふーん、いつも通りだね。 その中に赤山家は?」


 ウィンナーをかみながら、お父さんはこう返す。


「どっちの方の赤山家? 盾の方の赤山か、矛子の方の赤山か」


「いやその二人は兄妹だけど」


「そうだったの? へえ~。 まあ赤山家は今回も来ないみたいだけど」


 確かに、兄妹だったことについてはお父さんに言い忘れていた。


「そしたら来月誘ってみようかな~」


 あたしが気の抜けた独り言をつぶやくと、お父さんはさらにこう続けた。


「でも、緑川家は珍しく来るって言ってたなぁ」


 その名前に、あまりいい記憶がない。


 何を隠そう、中学時代の林間学校の際、あたしが遂に耐えきれず突き放した子であるヒトミの苗字こそ、緑川だったのだ。


 ただし、この地域には緑川という苗字の世帯が二つあり、二つとも今日の清掃イベントにあまり来ない方なので、もしかしたらあたしと因縁がある方の緑川じゃないかもしれない。


 ――もし因縁深い方の緑川だとしたら


 先日、赤山に初めて会った際に起きた自分の想像の暴走のこともあったので、ヒトミと今一度向き合い、あの日のことを謝るべきだ。


 しかし、彼女が何を言ってくるか想像もつかないので、ヒトミから逃げたい自分がどこかにいた。


 一体どちらの緑川家なのか、これ以上聞く気になれなかった。


 そうして朝食を済ませ、お父さんと二人で歯を磨くと、清掃イベントの集合場所である色生神社へ向かう。


 あたし達が一番乗りだったが、しばらくすると参加する世帯が集まってきた。


 ある世帯は老夫婦で、またある世帯は三人家族で、またはカップルで来ている人もいた。


 ――そして、ヒトミもいた。


 目元は無造作な前髪に隠れていて見えなかったが、口元の童顔っぽい感じと、腰まで届くほど伸び放題なぼさぼさな髪の感じ、そして何よりも、緑色の芋ジャージによって残されている陰鬱な雰囲気から、ヒトミだと確信することができた。


 しかし、かつて同じくらいの背丈だったはずが、あたし以上に身長が高くなっていたのには驚いた。緑色の芋ジャージでも隠しきれていないその大人びた体形を見ていると、なんだか羨ましくて胸が逆撫でされるような、だけど時の流れを感じさせて切なく、締め付けられるような感覚を覚えた。


 もしかしたら、見て見ぬふりをするという手もあったのかもしれない。


 だが彼女から逃げては、もう二度と、赦されなくなる気がした。


 現に、彼女から目を離そうとするたび、心臓が苦しいくらいにうるさく打っているのだ。このままの状態でも、果たして自分は何の後ろめたさや苦しさを感じずに、大切な人達と共に生きていられるのだろうか。


 重い足取りで彼女に近づいていくと、あたしは声を掛ける。


「おはよ。 久しぶり」


 まずは挨拶から始めた。もしも謝ることから始めれば、ただでさえあたしと話すのが久しぶりなヒトミを、かなり困らせることになるだろうと思ったのだ。


 対するヒトミは、一瞬こちらを見ると、すぐさま目線を離し、後ろを向く。彼女の挙動不審な様子から、昔の自分がしでかした事の恐ろしさを、再び理解した。


 しばらくして彼女は震えながらもゆっくりとこちらを向くと、片手で口を隠しながら捻りだすようにして、こう返す。


「その……あ、あの頃、ごめん……なさい」


 きっと、ヒトミにとって謝ることはかなり勇気のいる事だったのだと思う。彼女に報いるべく、手足が震えるのを我慢してあたしも謝る。


「……あたしの方こそ、あの時は突き放しちゃって、ごめん」


 息ができないくらい、お互いを取り巻く空気が重苦しくなってしまった。


 その時、あたしのお父さんが声を張り上げて指示を出し始めた。


「それでは皆さん集まりましたので、これより清掃を始めましょう。 一人の方は、どなたかと一緒になってください」


 すると、右手から握られる感触が強く伝わってきた。


 今にも折れそうなくらい細長い指が滑り、冷たくて大きな手のひらと共に、あたしの指に絡みつく。


 それは、何かを探し出すような手つきだった。


 あの時みたいに突き放したくない一心で、あたしも両手を目一杯広げ、強く握り返した。

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