第百話 「行けると思ったんだけどな、寅子なら」
「ギター! ギター! ギター!」
イエローが三番の歌詞を奏で始め、サビに入ったその時、トラコだったソレは深緑色の方の翼を閉じると、もう片方の黒く縁どられた茶色い方の翼を開き、そこから突き刺さるようなエレキギターの音を真っ直ぐ放ち始めた。よく見ると、音と共に細く真っ直ぐな茶色い毛も一緒に飛んでいた。
翼から音と共に放たれた毛虫の毛みたいなもののせいか、僕の全身に、毛穴という毛穴に針が入っていくような痛みが走る。思わず針を取り出そうと体中かきむしり、体から振り落そうとその場でのたうち回ってしまう。
それでもイエローの方はというと、止まることなくサビを奏でていた。しかも、痒そうな素振りを全く見せない。電流となった彼の体に茶色い毛が焼かれることで、時折小さなスパークがイエローの体に起き、白い煙が上がるが、そんなことも気にしていない。
正真正銘、彼は肉体的にも、そして精神的にも、音と一つになっていた。
イエローが演奏する「スピード・キング」の歌詞は、イエロー本人の英語の発音があまりにも良すぎるので、どんな意味なのかは分からない。けれども、俺の表現を聞け、トラウマに囚われたばかりに怖気づくばかりでいてたまるか、と言わんばかりの力強い意味は感じる。
彼は音と一つになったうえで、誰にも、何にも、トラウマさえにも己を縛らせることなく、思うままに表現していたのだ。
まるで雷が一瞬とは言わずいつまでも落ちてきているかのような、自分の目では受け止めきれない光が、そこにあった。
サビが終わり、曲を締めくくる劇的なエレキギターの旋律が放たれ始めると、ソレが翼から放つ音がだんだん弱まり、放たれる毛も少なくなってゆく。僕の全身の肌に走っていた、痒みにも似た痛みが引いてきた。
イエローが最後の一音を部屋に放ち終えたその時、辺りに静けさが訪れる。立ち尽くしたままのソレが、翼から音を放ったり毛を放ったりすることが無ければ、ソレの攻撃で僕がこれ以上翻弄されることもなく、イエローが引き続き曲を奏でることもなかった。
ソレは、羽毛を少しずつ落としながら、翼を形作っていた骨のようなものを縮ませ、背中に生えていたものを小さくしてゆく。羽毛は一本一本がひらひら床に落ちて積もっていき、やがて、深緑色と茶色の二つの山を作り上げた。
演奏後の余韻で天井を見上げているイエローをよそに、羽毛が積もった山の様子とトラコの様子をじっと見つめていると、羽毛がひとりでに舞い上がり、人の形を成し始めた。さらに、羽毛が密に固まってよりはっきりと輪郭を作っていき、色も変わっていくと、まるでアハ体験かのように、ベースの楊木くんと、ギターボーカルだったセミロングの女子がその場に現れた。
「今、何が起きたんだ?」
「たしか、トラコの様子がおかしくなったと思ったら、背中から生えてるものに触っちゃって……ってトラコは!?」
羽毛に変えられている間の記憶が無い様子の二人は、間で呆然と立っているトラコを見る。その瞳は元の黒色に戻っていた。
「なんで私、あんな怒ってたんだろう」
彼女は、目の前で未だ余韻に浸るイエローを見つめていた。滝を被ったかのように汗を流している彼を、トラコは憎んでいたはずなのだが、きょとんとしている今の彼女からはそんな殺気や闘争心は微塵も感じなかった。
「なんかトラコ、元に戻った?」
「キタコの言う通り、そうかも」
キタコという名前のセミロングの女子とトラコがお互いを見合い、笑い始めると、楊木くんはトラコの足元で何かを見つけた。
「先輩、なんかトラコさんの足元に変なモノ、落ちてますよ」
「「え、ほんとだ」」
「やっぱ先輩たち、双子ですね」
ハモったキタコとトラコに対し、楊木くんが手で口元を隠しながらにやける。個人的には双子にしてはそこまで似ている気がしないのだが、気のせいだろうか。
楊木くんがにやけながら拾い上げたそれは、大理石のような色をした、何かの刃の欠片みたいだった。しかし、それは光の粉になってどんどん小さくなってゆく。三人と、少し離れたところでしゃがみこんだ僕がしばらく見つめていると、楊木くんの手元から跡形もなく消え去った。
「白の柄の、一部……?」
僕は、直感を小声で口にした。
◇
「うーん、うまくいってるといいなぁ」
生徒でもないのに、一人、赤山が通う学校の校舎を歩き回っている少年がいた。白い甚兵衛、白い髪、閉じた目が特徴的な彼は、白の柄を手にし、大きく腕を振ってうきうきした様子だった。
にまにました笑顔の少年は、とある教室の窓の前を通ると、見覚えのある人物達らしき姿を見つける。窓をのぞき、彼らがそれぞれ誰なのか気づくと、笑顔が悔しさ堪える表情になった。
「あれ、やれてなかったんだ。 行けると思ったんだけどな、寅子なら」
少年はそのまま、窓を通り過ぎた。




