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昼休み。
机を少し引いて、友達と向かい合ってお弁当を広げる。
今日の空はよく晴れていて、
教室の窓から差し込む光が、机の上をやさしく照らしていた。
「ねえ、あの人って毎朝けっこう早く来てるよね」
ふいに友達が、前のほうの席をちらりと見て言った。
その声に釣られて、自分もつられてそっちを見てしまいそうになる。
でも、ぐっとこらえて、箸を動かすことに集中した。
「中原律くん? なんか静かだけど、ノートめっちゃきれいだった」
「へぇ、そうなんだ」
「だってこの間、机の上にプリント並べてた時見えたもん」
友達の声は明るくて、なんてことのない会話のひとつに過ぎなかった。
でも、自分の中では、その名前だけがやけに大きく響いていた。
中原律くん。
そう呼ばれている、その響きが。
誰かにとってはただのクラスメイトの名前で、
誰かにとってはほんのちょっとした話題でしかないのに。
自分のなかでは、
その一言が、確かな境界を越えてしまった気がした。
名前を知る前は、ただ“見かけた人”だった。
風景の一部みたいな存在だった。
でも、名前を知ってしまったことで、
その人はもう“知らない人”じゃなくなってしまった。
知りたくなかったわけじゃない。
でも、知らないままでいたほうが、
心は静かだったかもしれない。
箸を止めて、ふと窓の外を見た。
春の光が、どこまでもまっすぐに差し込んでいた。