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君の横顔は  作者:
4/6

3


新しい制服にも、少しずつ慣れてきた。

朝のざわめき、昼休みの笑い声、教室に満ちる日常の音。

ほんの一週間前まで他人ばかりだったこの空間が、

少しずつ、自分の輪郭になじんでいく。


1限目の現代文。

先生の話を聞きながら、ノートの端に小さな線を引いていたら、

隣の席の子が覗き込んでくる。


「なにそれ、ラクガキ?」


「……集中してるふり」


「バレてるよ~」


小声で笑い合って、すぐまた静かに戻る。

そんなやりとりが、なぜか嬉しかった。


昼休みには、ふたりで教室の隅に座ってお弁当を広げる。

「今日、卵焼き焦がした」と友達が言う。

自分の方を少しだけ差し出すと、

「えっ、くれるの? やさし~」と笑われた。


ほんの少しずつ、関係ができていく。

それがうまく言えないままでも、

静かに続いていくことが、今の自分にはちょうどよかった。


でも、放課後になると、話は少し変わる。


チャイムが鳴っても、自分はすぐに立ち上がらなかった。

カバンの中から文庫本を取り出して、静かにページを開く。

誰もいなくなった教室は、どこか落ち着く空気に満ちている。


窓から射し込む夕日が、机の端をじんわりと温めていた。

ページをめくる指先だけが音を立てる。

何も考えずに読めるその時間が、少しだけ、自分をまっすぐにしてくれた。


「まだいたのか?」


入り口から聞こえた声に、顔を上げる。

担任の先生だった。

自分はほんの少しだけ笑って、

「……本、読んでただけです」と答える。


先生はそれ以上は何も言わず、「気をつけて帰れよ」と言って去っていった。


また静けさが戻る。

その空気が、自分にはちょうどよかった。


家に帰っても、こんなふうに本を読むことはできなかった。

テレビの音、足音、誰かの小さなため息――

些細なものすべてが気になってしまう。

だから、ここが、自分にとっての避難場所だった。


誰もいない教室で、誰にも気づかれずにページをめくる。

その時間があるだけで、

今日一日が、少しだけ救われた気がした。


本を閉じ、ゆっくりと立ち上がる。

窓の外はもう、夕暮れに染まりはじめていた。


カバンを背負って、校舎を出る。

駐輪場へ向かう足取りは、どこか名残惜しいようで、

でも、一歩ずつ帰りの現実へ近づいていく。


そのときだった。


視線の端に、見覚えのある後ろ姿が映った。


あの人だった。

教室の前の方の席に座っている――あの人。


駐輪場の少し離れた所で、誰かと会話をしているようだった。

一瞬、目が合いそうになって、

自分はすぐに視線を逸らした。


見なかったふり。

いつも通りのふり。


無言のまま自分の自転車へ向かい、

鍵を外して引き出そうとした瞬間、

チェーンが外れていることに気づいた。


しゃがみ込んで、手を黒くしながら元に戻す。

その間ずっと、心のどこかで

“まだ、あの人がそこにいるかもしれない”

そんな期待のような不安のようなものが揺れていた。


でも、自転車を起こして、ハンドルを持ち直して、

何となく顔を上げたときには――

もう、彼の姿はどこにもなかった。


夕暮れの風が、制服のすそを揺らした。

その音だけが、自分の心に残っていた。


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