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異世界恋愛短編集

妹の欲しがりが国を滅ぼすとき

作者: 星キノ

「まあ、お姉様ったらずるいわ。お姉様にも出来るのであれば、私だってこの国のために商い事をしてみたいわ」


 最後に妹とあった時、彼女はそう言って妖艶な笑みを王太子殿下に向けたのを覚えている。王太子殿下はかつての私の婚約者、そして今は妹の夫。いやーー夫だった(・・・)と言うべきか。


「それは、流石に……」

「あら、お姉様でも出来るのですから、私にも出来ない道理なんてありませんわ。それに、私にはティオ様が付いていますもの……ねえ、お姉さま?」


 普段は天真爛漫な妹がティオ王太子殿下にしなだれかかったその瞬間に見せた、あの冷たい目付きと冷酷な顔、そしてあの予想もしない狂気を孕んだ唇を、恐らく私は生涯忘れないだろう。



《お姉様は黙って見ていて(・・・・・・・)



 王太子殿下の死角となる位置で、私にだけ見せたあのゾッと底冷えのする敵対者へと向けるような眼差し。

 その目付きのまま彼女はそっと自らの唇に指を立て、彼に気づかれぬまま私にそう読唇させた。


「そ、そうか?」

「ティオ様ぁ、そんな事よりもっと楽しいお話をしましょうよ。ねっ?」


 今まで一度だけ見たことのある、あの妹の一面。まるで別人としか思えないそれは、深く私の脳裏に刻まれていた。

 まさか、あのような恐ろしいことをあの時考えていたなんて、当時の私には想像もつかなかった。





『ずるいわお姉様ばかり。私もお姉様のそのドレスが欲しいわ』


 妹は私よりも3つほど下の妾腹の娘で、所謂庶子にあたる。最愛の母を亡くして、僅か(3ヶ)月で後妻とその娘を父に紹介された時の衝撃と来たら。


 彼女は幼い頃こそは庶子らしくと言うべきか、よく言えば天真爛漫、悪く言えば貴族界について世間知らずで、花のような笑みを浮かべることから珍獣を見るかのように好奇の目で見られる事がしばしばあった。

 ピンクブロンドの美しい髪を持つ、そんな妹を父は溺愛し、彼女の欲しがるものは何でも与えた。恐らくはそれが良くなかったのか、彼女はとても我儘な子に育った。

 今思えばそれは無理もなかったのかも知れない。庶子でしかなかった彼女の目から見たら、私たち貴族の世界はさぞ煌びやかに見えたことだろう。

 そんな煌びやかな物とは無縁だった子供が、ある日突然あらゆるものが手に入るようになってしまったら。あれもこれも欲しがるのは仕方がないのかもしれない。


 はじめは小さなクマのぬいぐるみだった。手のひらに乗るような、かわいらしいぬいぐるみ。私の持っている、私の髪色と同じ、茶色いクマのぬいぐるみを彼女は欲した。私もそろそろぬいぐるみは卒業かしらと思い、それを妹にあげた記憶がある。

 しかしそこを皮切りに彼女は次々とものを欲するようになった。そして困ったことに、彼女はやがて通常のものでは飽きたのか、今度は通常では手に入らないようなもの、人のものを欲しがるようになってしまった。

 そしてそして、更にいえば、そういったものに手を出せてしまうだけの権力が当家にあったという環境が悪さをしたのだろう。

 庶子故に家督の継承権もなく、また父としても嫁に出すくらいしかできないこともあってなのかは知りませんが、父も継母もそう言った物を惜しまずどんどん与えてしまう悪癖があった。そしてその悪癖は、私にも半ば強要するような形で現れてしまっていた。


『ペティに譲ってやったらどうだ』

『デビー、貴方は姉でしょう。妹に譲ってあげなさい』

『妹を泣かせるものでは無いぞ』


 もちろん、私も初めのうちは抵抗することもあったけれども、後々になってまた前みたいに他人の物をねだられ恥をかくよりは……と考えを改めるに至り、また両親の目にはペティしか見えていないこともあって、私はいつしか諦めてねだられる物は何でも渡すようになってしまっていた。


『お姉様ばかりずるいわ。私もお姉様みたいに王立学園に通いたい!』


 そんな事を言い出した日には、父は多大な寄付金を納めて(裏口で)妹を入学させた。到底通える程の成績ではなかった妹を。

 私は一方で王国との結び付きをより強固なものにするために、ティオ王太子との婚姻を行う事となり、そんなこともあり王太子の婚約者の妹という肩書まで増えた妹はより一層好奇の目を浴びることとなった。


 風向きが変わったのは、そんなこんなで私が王太子殿下との面会を王宮で行った帰りでのことだった。


『まあお姉さま、その髪飾り素敵ね!』

『これは、王太子殿下から頂いたものなの』


 たまたまその日、私が王太子殿下から頂いた髪飾りを早速つけて家に戻るとベティが目をキラキラさせながらそう言った。その瞬間、ドキリとした。

 これはダメだと。これを渡すのはさすがにマズいと、私の中の本能が警告する。


『素敵だわ。私もその髪飾りが欲しい』


 その魔法の言葉が聞こえたとき、思わず眩暈がしたのを覚えている。


『これは、ダメなの。これは殿下から頂いたものだから』

『えっ……?』

『本当にごめんなさい』

『ど、どうして……? なんでくれないの……?』


 そこからはあっという間で、妹は久々に大癇癪を起こし、家中がひっくり返るような騒ぎとなった。

 すかさず飛んできた両親も最初こそはいつものワードを口にするだけだったが、欲しがったものが私が殿下から賜ったものだと説明すると、流石にその顔色を変えた。


 さすがに殿下からの贈り物はまずいと両親は悟ったらしく、二人はそのあと妹を宥める方向に動いたが、妹の癇癪は収まらず、なんとそのまま妹は熱を出し寝込む始末。

 いやいや、そんなことあるのかとどこか冷めてしまった様子で私の中の俯瞰者視点が囁くが、妹は軽快してからそのおねだりの()を僅かに変えることとなった。


『お姉さま』


 夜。

 夕食も終わり、静かに部屋で読書をしていると、ふとベティが声をかけてきた。


『ベティ?』

『ねえお姉さま。私気付いたの。私がお姉さまの物を欲しがっていても仕方がないって』

『……!?』


 ろうそくの灯りだけで薄暗い部屋の入口に佇む妹は何とも不気味であった。


『私がそんなことをしていても……本当に欲しいものは手に入らないって』

『本当に、欲しいもの?』


『ねえ、お姉さま。王太子殿下って……さぞや素敵な御方なのでしょうね?』



 あのゾクリとするような、底冷えする瞳を見たのは、それが初めてだった。

 その時、直感的に私はこの妹が、間違いなく私の婚約者を欲しているのだと察した。


 ほどなくして、妹の欲しがりはその()を変え始めた。


『お姉さまったらずるいわ。どうしてお姉さまばかりがいろいろと見聞を広める機会に恵まれて、私には何も教えて下さらないの?』

『まあお姉さまったら難しい本を読んでいるのね。お姉さまにしか理解のできない本だなんてずるいわ』

『私でも曲がりなりにも王族の関係者にはなると言うのに、マナーの教師はお姉さまだけなのね? ずるいわ、生家の人間が恥をかくのはいいってことかしら?』

『ねえお父様、デビーの髪飾りって相変わらず素敵だわ。でもどうして私だけあの髪飾りの意味を知らなかったのかしら? お母様とお父様とデビーの三人でだけその意味を理解して、私だけその意味を知らずに除け者にされていたなんて、なんだかずるいわ』


 物も相変わらず欲しがるが、妹は形のないもの……知識を求め始めた。

 その日を境に、それまでは学力も下のほうであったベティは急速にその知識量を増やし始め、わがままはそのままにあらゆる教養を身に着けていく。


 私の身に着けたマナーを彼女は欲しがった。

 私にあてがわれた講師を彼女は欲しがった。

 私がその時使っていた、私のメモ書きもあるような正真正銘私の教科書、参考書すら彼女は欲した。


『先生、それはだめよ。私も鞭で叩いて。デビーお姉さまには鞭で叩いて私をたたかないだなんて、何だか私がずる(・・)をしているみたいじゃない』


 それどころか彼女は私の受けてきた厳しい鞭までも欲した。

 これには父母は勿論、甘やかすようにそれとなく言われていた家庭教師までもが驚愕した。


 そうして彼女は、学園では天真爛漫なままに、要所ではしっかりと淑女として振る舞うことで周囲の驚きを買った。

 そして驚かれたのはそれだけではない。

 何より彼女は、驚異的な速さで知識を身に着けていったのだ。


 王太子妃としての教育を受けてきた私も十分吸収能力が高いと言われてはいたが、ベティの吸収力はそれ以上であった。というより、ものによっては初めから知っていたと言わんばかりの速さで新しい知識を積み重ねていく。

 それにもかかわらずプライベートでは相変わらず無礼……いや、マナーを覚えつつあるので礼節を弁えつつも天真爛漫な振る舞いを続けるので、一度それとなく一体いつ勉強しているのか尋ねると、彼女は事も無げに寝る前に予習復習をしていると答えるだけだった。そんなことは私だってしていたはずだけれども、これは地頭の差だろうか。


 今の彼女を見て、実は彼女が裏口での入学だったなんて、いったい誰が思うだろうか。

 そう内心ぼんやりと悩んでいると同時に、私に対する良くない噂が、学園内で囁かれ始めた。


『デビーは家で傲慢な振る舞いをしている』

『デビーは家では庶子だという理由で妹を虐めている』

『ベティが今までもの知らずだったのはデビーがベティの教育係を追い出して教育を禁止しているせい』

あの(鞭の)傷はデビーがベティを鞭で叩いて虐待しているからだ』

『実はデビーが優秀なのは妹の手柄を横取りしているため』


 無論、どれも噓である。

 しかし人の口に戸は立てられない。

 その噂が広がるに合わせ、ベティはより賢く……そして美しくなっていく。

 その様は、とてもあの天真爛漫で無邪気で……『無礼』だったあのベティと同一人物には見えない。


『時にデビー、かつては珍獣と言われていた君の妹も、最近は随分と貴族らしくなってきたという話じゃないか』


 またある日、放課後の教室で婚約者である王太子殿下がそんな話題を振ってきた。


 カーライル王国王太子、ティオ・カーライル。


『え、ええ……最近はすっかりマナーも追いついてきたみたいで、驚異的なスピードであらゆる知識を吸収していますわ』

『へえ。あの妹がね……』


 もしよかったら、今度三人で茶でも飲まないか。

 目の前が暗くなるような一言にぐっと自分の意を圧し止め、声を絞り出す。


『ええ。もちろんですわ』


 殿下が妹に興味を持ってしまった。このままでは、取られる。

 そう思った時にはすでに手遅れであった。



『君との婚約を解消したい』


 そう静かに言った殿下に思わず聞き返す。

 そうして理由を尋ねると彼の口から出たのは夢にも思わない内容であった。


 それは彼が、全面的にあの噂を信じてしまっていたというところ。

 私が、妹の手柄を取り、事ある毎に妹を虐めているという噂。

 私が傲慢に振舞い、鞭で彼女を叩き、ベティを虐げているということを。


『その様な噂は、全て噓です』

『火の無い所に煙は立たないというが?』

『世の中には火の無い所に火を放つ輩もいるものです』


『でも君の妹は、君のお古ばかりを身に着けているというじゃないか』


 それは、予想外の一言だった。

 まさに青天の霹靂と言うべきの。


『そ、れは……』

『要らなくなった物を妹に押し付け、贅沢三昧をしている、だったかな。なるほど確かに君が同じ服を二度着ている所を見たことはないし、宝飾品はおろか教科書や講師の果てまで、全て君がかつて使ったものを与えているのだそうだな。それは何故だ?』


 それは、妹が何でも欲しがるから……とは言えなかった。

 まさか、まさかここにきてそれが仇となって帰ってくるとは。


『手に鞭による怪我の跡もあったが、それはどう説明する?』


 それは、嘘ではない。

 100%の真実でもないが、どう説明すればいいというのか。


『代わりに、君の妹と婚姻関係を結ぼうと考えている。これは決定事項で、すでに父上や宰相にも話を通してあり承認済だ。何、大々的に婚約破棄をパーティとかで行うわけではないのだ。王家も君の家も、これなら体面に傷はつかないだろう』


 まさか、私を信頼していなかったのか。

 まさか、彼が普段から接している私よりも根も葉もない噂を信じてしまうとは。

 まさか、そこまで根回ししていたとは。


 まさか、まさか、まさか。


 そうして、私は婚約者を喪い、妹は欲しがっていた私の婚約者を手に入れた。


 失意の中、記憶も半分定かではなく歩いていた所に、たまたま留学していた帝国の第二皇太子に王宮の庭園で出くわした事をきっかけに、私は見初められた。

 家のことはどうなるかと心配していると、父は事も無げに弟に家督が渡るだろうと言っていた。それでいいのだろうか。

 父と義母はどうも王族の関係者として末席も末席ではあるものの、王家に携わることで手に入る年金で余生を静かに二人きりで過ごしたいらしい。

 領民のことはどうでもいいのかと問い詰めると、彼はシンプルに領地経営に疲れたとのたまい、王家に返上すればいいと軽く言ってのけた。税収も直接王家に嫁ぐ妹に入るわけだし何の問題もないと。ふざけている。


 ……とはいえ、今となってはそれも良かったのかもしれない。こうして私が心からの最愛と巡り合い、人生を共にすることができたのだから。



 でも。



「どうした、デビー」


 ――皇太子となった私の愛しい人が、肩越しに駆け寄ってきた私に声かける。


「マグナス。大変よ、王国で革命が起きたわ!」


 私の最愛。マグナス・ホス・パトリエ皇太子。パトリエ皇国の次期皇帝。

 そんな彼が目を見開き、口をあんぐりとさせる中、私はあわてて息を整え彼に事情を説明した。





 皇宮の大会議室に集められた家臣たちと同席した私は、愛するマグナスが対策会議の開始を宣言するとともにその詳細を聞くこととなった。


「どういうことだ? “賢妃の王国”は空前の好景気だったはずでは?」


 開口一番のマグナスの声に、私は大きく頷いた。

 私は帝国にきてしまったが、形式上は円満な婚約解消だったこともあって、その後マグナスの妃としてかつての婚約者……ティオ殿下と妹と同じ机で会談をしたことだってある。

 その時にあったのが冒頭の会話だ。


 私は当時、希少金属の発掘に着目したマグナスにその事業を実質的に任されていたのだが、その際に妹はあの寒気のする笑みを浮かべそう言い放ったのだ。

 そしてその後、王国で王太子妃の肝いりで打ち出された政策が『副次融資(サブプライムローン)制度』というものだった。


「その……どうもその制度が最近になって破綻したらしく、一気に不動産が不良債権化したらしいです」

「な、何故……」


 以前より好景気であった王国では、かねてより王都や各領の中核に住宅を建てるのが流行しており、貴族はもとより商人でも別邸を建てることなどが流行していた。

 当時、私とティオが進めてきた政策が功を奏し、王国は農業製品の輸出量が増えて農家の収入が上がり、綿花や麻、羊毛等が多く流通し織物や服飾品業界が大きく盛り上がっていた。

 それが妹にバトンタッチしてからさらに妹は服飾の祭典(ファッションショー)を開催するなどして、私の施策をただ引き継ぐだけでなくそれをブラシュアップし、祭典用の大型商業施設を開店させたりして、問題なく運営していたはずだった。


 そして妹の肝いり政策として始まったのが、金融政策。

 金融業を栄えさせ、更に好景気を循環させていき、王国は私がいた時代をも超える最盛期を迎えていた。


 そのはずだった。


「わかりません。ある日突然フィナン銀行が破綻し、各地で金融危機が伝染し一気に財政が破滅したとか……」


 私とマグナスはその言葉に顔を見合わせた。


 フィナン銀行。

 それは我が領の……私の実家の領にある銀行だった。

 フィナン領は空前の好景気だったはずだ。ますますわからない。


 あそこは私と妹の実家なだけあって、王都以外では最も栄えていたはず……

 それこそ大型商業施設などもいくつも建ち、私も一度だけマグナスとの外遊中に立ち寄ったことがある。あれはなかなかどうして見事なものだった。


 少しだけ悔しかったが、何とかすべてを吞み込んで、ティオと決別し私が前に進むためにも、負の感情が燃え上がるその火種を何とか踏み消して、私は素直に彼らを称賛したのだ。

 私がいなくても、王国はやっていけると。半分さみしさを、半分安心を噛みしめながら。


「そ、それで王家は……?」

「その……王弟殿下を除く国王、王妃、王太子、王太子妃全員が拘束され、現在王宮北の塔に軟禁されているとか……王弟殿下が暫定政府を動かしておられます」


 王宮の塔。かつて重罪を犯した王族が生涯軟禁されたとされるあの塔。

 一体、何があってそんなことになったのだろうか。なぜ王国は破滅したのか。

 王弟が運営しているということは、彼が革命の主犯? 何もかもが理解できない。


 理解できないと、私たちは動けない。まもなく、難民などが来るかもしれない。経済援助を求められるかもしれない。最悪の場合、国家自体が消滅しあの土地を各国が狙い、戦争になるかもしれない。


 事態を重く受け止めた私たちはその真相を探るべく、王国に舞い戻った。



「……、……。いつ見ても不気味ね、ここは」



 王家が幽閉されているとされる塔は鬱蒼と生い茂る茨の蔦が外壁に絡みつき、静かにその屈強な壁面を蝕んでいた。

 以前は使われていなかったため人の気配などまるで無かったが、今はその唯一の出入り口を兵士が見張っている。



「……!? ふ、フィナ――あ、失礼しました。パトリエ国皇太子および皇太子妃でしたね」

「私のことを覚えてくださる方がまだいらしたのですね」


 現在、王国は暫定的に王弟殿下が治めている。

 私も数えるくらいしか顔合わせをしたことはなかったが、彼もとんだ被害者である。

 里帰りにあたって王弟殿下と久しぶりに会ったら、彼の顔はなんともゲッソリとしていた。曰くたまたま外遊していたために革命を逃れたとかで、咄嗟に機転を効かせたから捕縛を逃れた、とか。


 どこまでが事実かはさておき、少なくともそうなると革命の原因は他にあることになる訳で。

 諸々の判断材料としてというていで私たちは面会の許可を与えられたのだ。


 衛兵の先導で封じられていた扉がギギギと開くと、時が止まっているかのような錯覚を覚えるような内観が露わになった。

 石でできた壁の内側にも、ところどころ蔦が顔を覗かせている。

 空気は重苦しく、埃とも違う、重みのある何かの香りが私の鼻を擽る。


 内壁をぐるりと這うような石の螺旋階段を上っていく。

 その途中にティオが閉じ込められている牢の前を通りかかる。


「……!」

「で、デビー……デビーなのか!? 頼む、助けてくれ! 私は悪くないんだ、全てベティが――」

「騒ぐな!」


 見張りをしている別の兵士が怒鳴ると、ティオは反射的に飛び退く。そして私の背後にいるマグナスにその視線が移った。

 ティオの姿は痛々しくやつれ、見る影も無く、正直に言うと声を掛けられなければティオと気づくことはなかったかもしれない。


「うう……こんなはずじゃ……どうして……」


 静かにつぶやく彼に背を向け、更に上へと昇っていく。用があるのはこっちではない。

 そして目的地についた私たちは、合図を出すと先導してくれていた兵士が牢の前に簡素な椅子を用意してくれた。

 私はその椅子に座り、鉄格子を挟んで向かい合った。

 私から国を奪っていき、繁栄させ、そしてその後破滅させた女――ベティと。



「まあ、お姉さま。わざわざ嗤いにきたのかしら。趣味が悪いわ」

「ベティ。あなた一体、この国で何をしたの」



 ティオとは打って変わって、彼女は牢にこそ幽閉されていて若干やつれていたものの、しっかりと正気を保っている様子であった。

 牢は簡素な作りで、およそ王族の入るものには見えない。どう見ても一般罪人の牢。

 寝る場所と思しき場所には簡素なシーツが敷かれており、枕の代わりにタオルが置いてある。そしてそのそばには、茶色く小さなクマのぬいぐるみが置かれている。


「何って、お姉さまの国が欲しくて手に入れたら、何だか途端に色褪せて見えてきてしまって。あとはわかるでしょう?」

「飽きたところで破綻するような穴はなかったでしょう。あなたは間違いなく、この国をより良くしていた。それなのに――」


「ずるいわお姉さまったら。前よりもいい国を手に入れ、より強大な権力を手にして、もっといい伴侶に巡り合えて……」


 その目には、確かに嫉妬が見えていた。しかし、どうにもその嫉妬の炎の色に、私は違和感を覚えた。

 そこには何故か、安堵の色があったからだ。


「頂戴、とは言わないのね?」

「手に入らないものを欲しがっても仕方がないことぐらい、私にもわかるわ」


 そう彼女は言うものの、その様子はなぜか満足感に満ちており、以前に感じた猛々しい狂気や毒気は、すっかり抜け落ちてしまっているようだった。


 この子は、こんなにも物分かりの良い子だっただろうか。ここまでおとなしかっただろうか。

 本当に、私から婚約者を、国を、奪っていった人と同一人物だろうか。

 欲しがっても仕方がないなんて、妹がおよそ発したとは思えない言葉だった。



「何が、あったの。何故こんなことになったのか、貴方なら――」

「そもそもね、私は自分がこの世で一番欲しかったもの以外、全てがどうでもいいの。国も、ティオも、お父様も、お母様も。正直どうでもよかった」


「……え?」


 ――いや、違う。

 私はこの妹を知っている。


「本当に欲しいものを手に入れるためなら、私はなんだって犠牲にできる」


 かつて一度だけ、彼女は言っていた。

 お姉さまの物を欲しがっていても本当に欲しいものは手に入らない、と。


「だから貴方は犠牲にしたというの……? 本来であれば守らねばならない領民を、国民を……?」

「そうよ」


 妹がすっと息を吸うとともに、その目に狂気が宿る。

 私のよく知っている、あの狂気を。



「だって私は知っているもの。その領民と国民が、いずれ私が最も欲しかったものを踏み躙る。私が最も大切にしていたものを、その手でズタズタに引き裂いて、つるし上げて、いずれ火にかける。そんなことはさせない。だから私は、前の世界(・・・・)で世界経済をハチャメチャにした時限爆弾をこの国に放り込んだの。私の宝を弄んだ罰を、全国民に与えるにはそれが一番効率よかったわ」


 その目が私の目と向き合い、ふっと和らいだ。


「前の世界? あなた、まさか――」

「それにね、お姉さま。実は私、ここに来るのは初めてじゃないの」

「え……」


 前回はお互い鉄格子の逆側にいたけど。そう小さく付け足した妹の目は、しっかりしていた。狂気はあるが、どこまでも正気ではあった。


 どういうことだろうか。私は今日ここに来るのが初めてだ。


「――そうか。お前は、異世界からの人間だったのか」


 マグナスがようやく口を開くと、その玉のような美しい目がようやくマグナスを捉えた。これだけの時間を過ごしながらも、妹はマグナスには見向きもしなかった。まるで視界に入っていないとでも言いたげに。


「ん~、半分正解。確かに異世界の記憶はあるけど、それだけじゃないわ」

「は……?」

「言ったでしょう、ここに来るのは初めてじゃないって」


 私とマグナスはお互いに目を合わせた。

 異世界の記憶だけじゃないというのは、いったい……


「時限爆弾とはなんだ。何故あれだけ繁栄していたこの国が一瞬にして財政破綻などする」


「あぁ、そんなの単純よ。低所得者に住宅とか住宅ローンを担保にお金を貸し付けさせて、その債権を優良債権とセット売りしたからよ」

「何?」

「低所得者の債権なんて、そのままじゃ誰も買わないでしょう? だから証券の内容を細かく分解して、優良な債権とかき混ぜて投資家からはぱっと見では分からないようにしたの。それにほら、好景気だったから土地の値段も上がっていたし大型商業施設とかもできていたでしょう? 担保にしている物件の値段がどんどん上がっていくんだから、万が一そのからくりに気付く人がいても黙らせるにはもってこいだったのよ」



 しかも、と彼女は指を立てる。



(ティオ)の一声で土地の価格上昇(不動産バブル)なんて止められるんだから、チョロかったわね。商業施設はかつての小農家や商店街の土地を買い上げて畑とかの上に立てて、なおかつその店員として鞍替えさせているし……まずはああいうの(商業施設)を解体しないと畑にできる土地ももう少ないから……今後数十年はこの国は貧困に喘ぐでしょうねえ?」


 クスクスと笑う妹の姿は、まさに悪女そのものだった。

 よく計算されている悪魔の計略そのものを成し遂げた彼女は、いっそ清々しいほどに毒婦と呼ぶにふさわしいものだった。


 小さい農家から、上昇している土地価格を背後に土地を奪い、商業施設を作り商店街を潰す。

 商業施設を作り全く違う種類の仕事をやらせることでそのノウハウを殺し、そこそこ繫栄させたところで叩き潰すのだ。


 厄介なのは、こうした施設は取り壊しにも時間がかかるところだ。そしてお金もかかる。

 しかしお金は肝心要の元締めである銀行から叩いたことで、どこにも今お金がない。ゆえにこうした商業施設は援助されることなく廃業することになり、取り壊す業者もいない上に支払う金もないので放置させる。

 そして放逐された元農民たちや元商店街の人々は、元の職に戻るにもその場所がない。商業施設を作るために、畑や商店街は全部潰したから。


 おまけに、彼らの住む家もまた、先述の金融資産とかの担保になっているので、そうした土地は取り上げられているのだ。つまり住む家もない。戻る場所など無い彼らは路頭で飢え、寒さに凍えるしかないのだ。

 そうするとどうなるか? 廃墟がならず者のアジトに化けるのだ。


 何とも周到で邪悪な計略だった。



「もっとも、その数十年の間、この国は果たして外国からの脅威に耐えられるかしら、ねえ……?」

「ベティ……あなたは、いったいどうしてそこまで……」


 妹は……ベティはいったいなぜ、そうまでして民を苦しめることにしたのか。

 そう問いただすと初めて、妹は僅かに動揺したようなそぶりを、一瞬その眼の裏に見せた。


「言ったでしょう、お姉さま。手に入れたら何だか飽き飽き(・・・・)してしまって、手放したらどうなるのだろうと思ったのよ。ただそれだけ」

「民を率いる立場でありながら、そんなことを――」


「そんなこと、ではないのよ。私が超えてはならない線を越えたのは百も承知だわ。でもね、お姉さま。民にも超えてはならない、私の中の一線というものがあるのよ。それが私にとってはとても大切な一線であったから、それを超えるような民にはそれ相応の事をする。それだけよ」



 話は終わりだと言わんばかりにデビーは立ち上がり、牢の奥へと戻っていく。


 理解ができなかった。


 あまりにも支離滅裂で、あの頃の無邪気な妹と狂気に満ちたもう一つの側面が共に介在するその雰囲気に、私たちは気押された。


「そうだお姉さま、最後に一つ」


 私も席を立ち、妹の牢から出ようとしたところで、ふと彼女に呼び止められる。



「何、ベティ」

「うふふ、こんなことを言うのは初めてかもしれないわね」


 ちょっと恥ずかしいかも、とあのころと変わらない無邪気な笑みを浮かべると、鉄格子のそばまで再びやってきたベティは大きく深呼吸し、満面の笑みを浮かべた。



「デビーお姉さま。どうか幸せになって」



 そして、愛しているわ。



 そういうと、彼女は牢の最奥まで下がってしまい、その表情は見えなくなった。


 その言葉の意味を理解できず、立ち尽くして頭でその言葉の咀嚼に努めているとマグナスが私の肩に手を置いた。


「行こう」

「……え、ええ」





 こうして、国王陛下、王妃殿下、ティオ、そしてベティは二度と王国の表舞台に立つことはなかった。

 ほどなくして暫定政府を治めていた王弟殿下も王家に連なるからという理由で自らその地位を退き、遠戚の公爵家があらたに王国の君主となった。


 王国の情勢は不安定を極めている。

 治安は著しく悪化し、廃墟となった商業施設はならず者の巣窟となり取り壊しすらままならない。


 私自身は勿論幸せだ。世継ぎも生まれ、政情は安定しており王国への援助も行える程度には財政も盤石だ。

 肝心の王国は現在周辺諸国と牽制しあっているので、今のところ戦火の上がる見込みは無い。ただ、気をつけないと火はいつ付いてもおかしくないのでハラハラしている。煙などなくとも火種を投げて放火する輩はどこにでもいるからだ。


 ただ、心のどこかに小さな棘が刺さっている。

 その棘が何であるかは、最期まで私が知ることはなかった。





誤字脱字報告ありがとうございます。

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次回作かつ前日譚『欲しがりの私が本当に欲しい、ただ一つだけのもの』はこちら
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異世界転生と前世回帰の合せ技かなぁ 妹視点の謎解きが無いと謎は謎のまま終わりそう
姉を……守ったのですね……
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