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仮初を生きるもの  作者: 木南一果
呼ぶ声

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37

リクエストの3曲が終わる頃には、空はすっかり暗くなり、夜になっていた。



フェリクスさんの声がけで壇上にリュミと団長が戻る。

いよいよ、後半が始まろうとしている。

今日の目玉演出の出番だ。

上手くできるかな…少し緊張する。


私は椅子の下に置いておいた籠を取り上げ、再びその上に立った。


花びらの感触が指先に触れる。

ひとつひとつ、ほぐした花びらだ。


舞台を見る。


アナスタシアさんと目が合う。

笛の音に合わせて薄花色の蝶が、客席へと舞い出る。


——今だ。


手首を返すように、そっと花びらを夜空へと解き放つ。

同時に、魔力で優しく柔らかく細心の注意を払って風を付与する。


花びらが風と同化して空を流れる。


ひとひら。

また、ひとひら。


光の蝶とともに、客席のあいだをゆっくりと漂い、踊るように舞う。


「あ……」


誰かが小さく息をのんだ声が聞こえた。


子どもが空に向かって手を伸ばす。


花びらはその指先をすり抜け、ふわりふわりと、夜空へ上がった。

風に乗り、客席をゆっくりと横切っていく。

光の蝶がその軌道をなぞるように舞い、夜の空気が柔らかく揺れた。


ざわめきが、静かな感嘆へと変わる。


誰も声を張らない。

ただ、口を開けて空を見上げている。


花びらが灯りを受け、淡く輝く。

白にも、薄紅にも、金にも見える。


2曲、3曲、と演奏が進むにつれて夜空や客席、川の上や地面を彩る花びらが増えていく。



いよいよ、本日最後の曲だ。


舞台の上でリュミが力強く1歩踏み出す。


その動きに合わせるように、花びらの流れを少しだけ強める。

風は強すぎず、包むように。

ユーシリアさんとタイミングを合わせないといけない。

今日の練習では1度しか成功しなかった。


緊張から、額を汗が伝う。


団長の歌声が低く伸びやかに広がり、夜空にいた蝶が消える。


その瞬間、花びらをふわりと持ち上げる。

それに合わせて光の粒も空を駆け上がってくる。


まるで夜空に咲く光と花の静かな花火。


客席から遅れて歓声が上がる。


子どもが笑い、誰かが拍手を始める。

それが波になって広がっていく。


私は風を細く、長く保つ。


花びらが舞台へ進む。

光と混ざり、音と重なり合う。




——きれいだ


自分たちで起こした風なのに、まるで夢を見ているみたい。


最後の一音が夜に落ちる。


同時に、残っていた花びらを高く放つ。

小さな渦を描きながら、光とともに空へ散る。


静寂。


一拍遅れて、割れんばかりの拍手と歓声が押し寄せた。

地響きのような拍手の力強さに驚く。



壇上の皆が満足そうな顔をしている。

やり遂げた。

大きなミスなく、やり遂げたんだ。


嬉しくて視界が歪む。

まだ終わりではないのに、達成感でくらくらする。


ユーシリアさんの方向を見ると2回光の合図が来た。

私も2回合図を返し、椅子から降りて興奮している観客の横を通り前方の舞台へと向かう。



その時だった。

足元で、くしゃりと音がした。


花びらを踏んでしまった音のようだ。

さっきまで空を舞っていた、あの花びら。

至る所に落ちているので踏んでしまうのも仕方ない。


私は何気なく踏んでしまった花びらへ視線を落とす。


違和感を感じて拾い上げる。



その1枚だけ、色が沈んでいる。

光にすかしてみるけれど、薄花色のはずが、縁のあたりがわずかに黒ずんでいる。



焦げたような…いや、焦げたというよりも黒く塗りつぶされたような。


思わずもう一度空を見る。


花びらはまだ舞っている。

光も、音も、歓声も、何も変わらない。


私の手の中の1枚の花びらだけが、違っていた。


地面を見渡してみても黒ずんだ花びらは見当たらない。

空を流れる花びらは、淡く光っている。


気のせいだろうか。


踏まれて、色が変わっただけかもしれない。


胸の奥に小さな棘のような違和感を残したまま、私はその花びらをそっと懐にしまって舞台へと急いで歩き始めた。

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