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仮初を生きるもの  作者: 木南一果
呼ぶ声

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33

沈黙を破ったのは、リュミの疑問の声だった。



「お兄さん?」

「そう呼んでいただけで、家族ではないの」




自分でも驚くほど、声は落ち着いていた。


さっき言われた言葉が胸の奥でゆっくりと広がっていく。


——見てるからな。


離れていても、見ているらしい。

町を渡り歩く旅商人が、いちいち私の様子を知るはずもない。

それなのに根拠もなく、確証もなく、胸を張って言うんだから。


小さく笑う。兄さんらしい。

覚えていてくれる、の方が近いのかもしれない。



「……面倒な人で」


ぽつりと呟く。

説教臭くて、声が大きくて、勝手に心配してくる。

正直、鬱陶しいと思っていた。

兄さんが旅商人になって町を出るようになり、ほっとしたりもした。


けれど。


ああいう人がそばにいることを、私は当たり前だと思っていたのだ。


あの町に家族の縁などないと、決めつけていたのに。



「……甘やかされて、いたのかも」


口に出してみて、ようやく腑に落ちる。


何も与えられていないと思っていた。


でも違う。


無理なら言え。

大丈夫なのか。

見ているぞ。


繰り返し聞いた言葉たち。

あれはきっと、あの人なりのやり方だった。

胸の奥が、じんわりとあたたかくなる。


私のぼやきも、軽口も。

全部あの人は笑って聞いてくれた。



“その顔は、前よりましだ”


——ということは、前より私は自然に笑っていたのだろうか。


「ほんと、うるさい人です」




けれど、その声はもう棘を持っていなかった。


リュミが不思議そうにこちらを覗き込む。



「リネ、泣いてる?」

「泣いてない」



即答する。


けれど、視界の端が少しだけ滲んでいた。

ユーシリアさんが、何も言わずに私の肩を抱いたまま歩き出す。



「ほら。お腹が空いている人がいるでしょう」

「あ、そうだった!」



屋台に近づくにつれて、様々な香りが風にのって運ばれてきた。

リュミは何を食べるか、すでに屋台に夢中だ。

詰めていた息をそっと吐く。


「……ほんと、兄さんは頭まで筋肉で出来てるんだから」


見られているというのなら、少しだけ、胸を張ろう。




屋台の並びを眺めながら3人で歩く。

甘い匂い、香辛料の匂い、湯気。

どれも美味しそうで、なかなか決まらない。

ひとつの店の前でリュミの足が止まった。


香ばしい匂いが、ふわりと流れてくる。



薄く丸く広げられた揚げ生地に、小さな川海老がぎっしりと張りついている。

油のはぜる音が、ぱちぱちと音を奏でる。



「これ、なんだか美味しそうだし、楽しそう!」



リュミが香りと音に誘われて身を乗り出す。

その瞳はきらきらと輝き、今にもよだれが垂れそうだ。



「1つくださいな」



ユーシリアさんがそんなリュミの姿を見て、店主に声をかけて焼きたてを受け取る。

受け取ったそれは、近くで見ると思っていたよりも大きい。



「…大きい」

「そう?3人で食べるのにはちょうどいいよ」


リュミが端を持って、そっと力を入れる。



ぱきん



乾いた音が響く。



「わ、いい音!」


リュミが楽しそうに笑う。


それぞれが割れた欠片を手にとり、ひとくち齧る。

海老の香ばしさが一気に広がる。

それから、塩気とほんのり甘味。

食感もいいし、確かにこれは楽しい。


川風が吹き抜けて、海老の香ばしい匂いをさらっていく。


3人で並んで、ぱり、ぱり、と音を立てて食べながら歩く。

その音が妙に可笑しかった。



宿に戻るとユーシリアさんは作業があるから、と1人部屋へ戻っていった。


まだ昼まで時間がある。

手持ち無沙汰だ。

何か私にもできることはないだろうか。



「ねえ、舞台の反対側の川辺見に行かない?」


リュミがくるりと振り返る。

願ってもない誘いだった。


「行きたい!」


川の向こうに水車がある、とフェリクスさんが昨日言っていた。

水車というものを知ってはいるが、本物が動いているところを見たことがない。

時間があったら見に行きたいと思っていたのに、色々あってすっかり忘れていた。



私たちは宿を出て、川辺へ向かった。


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