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沈黙を破ったのは、リュミの疑問の声だった。
「お兄さん?」
「そう呼んでいただけで、家族ではないの」
自分でも驚くほど、声は落ち着いていた。
さっき言われた言葉が胸の奥でゆっくりと広がっていく。
——見てるからな。
離れていても、見ているらしい。
町を渡り歩く旅商人が、いちいち私の様子を知るはずもない。
それなのに根拠もなく、確証もなく、胸を張って言うんだから。
小さく笑う。兄さんらしい。
覚えていてくれる、の方が近いのかもしれない。
「……面倒な人で」
ぽつりと呟く。
説教臭くて、声が大きくて、勝手に心配してくる。
正直、鬱陶しいと思っていた。
兄さんが旅商人になって町を出るようになり、ほっとしたりもした。
けれど。
ああいう人がそばにいることを、私は当たり前だと思っていたのだ。
あの町に家族の縁などないと、決めつけていたのに。
「……甘やかされて、いたのかも」
口に出してみて、ようやく腑に落ちる。
何も与えられていないと思っていた。
でも違う。
無理なら言え。
大丈夫なのか。
見ているぞ。
繰り返し聞いた言葉たち。
あれはきっと、あの人なりのやり方だった。
胸の奥が、じんわりとあたたかくなる。
私のぼやきも、軽口も。
全部あの人は笑って聞いてくれた。
“その顔は、前よりましだ”
——ということは、前より私は自然に笑っていたのだろうか。
「ほんと、うるさい人です」
けれど、その声はもう棘を持っていなかった。
リュミが不思議そうにこちらを覗き込む。
「リネ、泣いてる?」
「泣いてない」
即答する。
けれど、視界の端が少しだけ滲んでいた。
ユーシリアさんが、何も言わずに私の肩を抱いたまま歩き出す。
「ほら。お腹が空いている人がいるでしょう」
「あ、そうだった!」
屋台に近づくにつれて、様々な香りが風にのって運ばれてきた。
リュミは何を食べるか、すでに屋台に夢中だ。
詰めていた息をそっと吐く。
「……ほんと、兄さんは頭まで筋肉で出来てるんだから」
見られているというのなら、少しだけ、胸を張ろう。
屋台の並びを眺めながら3人で歩く。
甘い匂い、香辛料の匂い、湯気。
どれも美味しそうで、なかなか決まらない。
ひとつの店の前でリュミの足が止まった。
香ばしい匂いが、ふわりと流れてくる。
薄く丸く広げられた揚げ生地に、小さな川海老がぎっしりと張りついている。
油のはぜる音が、ぱちぱちと音を奏でる。
「これ、なんだか美味しそうだし、楽しそう!」
リュミが香りと音に誘われて身を乗り出す。
その瞳はきらきらと輝き、今にもよだれが垂れそうだ。
「1つくださいな」
ユーシリアさんがそんなリュミの姿を見て、店主に声をかけて焼きたてを受け取る。
受け取ったそれは、近くで見ると思っていたよりも大きい。
「…大きい」
「そう?3人で食べるのにはちょうどいいよ」
リュミが端を持って、そっと力を入れる。
ぱきん
乾いた音が響く。
「わ、いい音!」
リュミが楽しそうに笑う。
それぞれが割れた欠片を手にとり、ひとくち齧る。
海老の香ばしさが一気に広がる。
それから、塩気とほんのり甘味。
食感もいいし、確かにこれは楽しい。
川風が吹き抜けて、海老の香ばしい匂いをさらっていく。
3人で並んで、ぱり、ぱり、と音を立てて食べながら歩く。
その音が妙に可笑しかった。
宿に戻るとユーシリアさんは作業があるから、と1人部屋へ戻っていった。
まだ昼まで時間がある。
手持ち無沙汰だ。
何か私にもできることはないだろうか。
「ねえ、舞台の反対側の川辺見に行かない?」
リュミがくるりと振り返る。
願ってもない誘いだった。
「行きたい!」
川の向こうに水車がある、とフェリクスさんが昨日言っていた。
水車というものを知ってはいるが、本物が動いているところを見たことがない。
時間があったら見に行きたいと思っていたのに、色々あってすっかり忘れていた。
私たちは宿を出て、川辺へ向かった。




