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驚くほど遠慮のない力で私の腕をつかみ、暗く落ちていく思考を現実に引き戻したのは、さっき少し話した楽団のお兄さんだった。


「おーい」


振り返ると、先ほどは長い前髪の影になっていて見えなかった顔が少し見えた。鼻から右頬にむかって線状の古い傷がみえる。


「なにぼーっとしてんだ。顔、死人みたいだぞ」


……失礼すぎない?と思ったが、声が出なかった。

確かにその通りだから。儀式でおきた想定外の出来事も、私の本当の家族の話も、何ひとつ現実味がないせいで立っているのがやっとの状態だ。そりゃ顔色も悪くなるだろう。


私と町長たちを交互に見て、ふうん、と間の抜けた声を出したお兄さんは何故か私たちの会話に流れるように入り込んできた。


「名前、仮だったわけか」


どうしてそんなにあっさり言えるのか、理解できない。


「魔法、出なかったんだろ?」


私が小さく頷くとお兄さんは突然、笑った。


「めちゃくちゃ面白いじゃん」


思わず目を見開いた。


「……なにが」


「だってさ。まだ“本番前”ってことだろ?」


肩をすくめて楽しそうに笑うお兄さんの言葉を聞き逃してはいけないと本能的に感じ、今度は私の方からお兄さんの腕を掴んでいた。


「名前も、特性も、これから決まる。町のやつらには災難でも、お前には可能性だ」


他人事だからこそ言える言葉でしかない。

でも、不思議と腹は立たなかった。


「町の中にいたら、たぶん一生“異物”だろうけど」


そう前置きしてから、お兄さんは続ける。


「外に出りゃ、ただの“変わった新人”だ。よかったな」



そばで聞いていた神官と町長はお兄さんを睨みつけながら声を張った。

「この子は町の子だ!!」

「そうだ、町の皆が金を出しあい町長のわたしが代表してこの子を育ててきた。外も知らないまだ成人したての娘に何を吹き込むつもりだ。外になど…」



町長の声がまだ続いていたが、私はもう内容を追えていなかった。

代わりに、隣で小さく舌打ちする音がした。


「……あー、もう」


楽団のお兄さんが、頭をかきながら一歩前に出る。


「安心しろよ。何を勘違いしてるんだか知らんが連れ去る気はねぇし、外は素晴らしいところですよーなんて甘いことは言えないさ。一つだけ言えるとしたら」


町長と神官を一瞥してから、私のほうを見る。



「選ぶのはこいつだ」


一瞬、空気が止まった。


「町に残りここで“ノラ”を名乗り続けるのも、別に悪くない」

魔法の特性がわからないだけで生活魔法は使えんだろ?と聞かれて思わず頷く。

「それならここで自分ができる“恩返し”をしながら生きていきます、なんてのも選択できるわな」


「だけどよ」


お兄さんは少しだけ、声を落とした。


「名前も特性も“もう決まってる”って言われて育ったやつが、ほんとは何も決まってなかったってわかった日だぞ」


私は、息を呑んだ。


「動かない理由、あるか?」


それだけ言って、お兄さんは肩をすくめた。


「俺たちは明日、町を出る。歌って、食って、面倒ごと増やしながら毎日あくせく働く日々さ。でも嫌いじゃない、自分が決めたことだからな。」


それから、ちらりと笑う。


「本名がどこに登録されてるのか知らねえけどさ。探すなら、自分が外に出たほうが早いのは確かだろ?そこんところは教えてやらないとな」


町長も、神官も、さきほどまでの勢いが消えて「だが…」ともごもご口にするだけだ。


私は――

自分の足元を見る。


胸の奥にずっと眠っていたものがすこしずつ大きくなっていく。


特性がわかったら魔法の腕を磨いて布を作りたかった。

この町の外に売りに行ってみたかった。

他の世界をみて、この町に息苦しさを感じるのは気のせいじゃないと自分に言ってあげたかった。



すべて。全て、過去形だ。

名前がなかったから。

特性も、行き先も、何ひとつ。


それでも。


仮の名前しか持たず、特性もわからない私でも、進めるだろうか。


期待なんてない。不安しかない。

でも、ここで諦めたら、たぶん私は一生ここを出られない。


考えるより先に、口が動いていた。


「……わたし、服の補修と衣装作りが得意です」


自分でも驚くほど、声は落ち着いていた。

言い切ってから視線を上げると先ほどまであまり見えなかったお兄さんの顔が見えた。

焼けた肌に古い傷、彫りの深い顔立ちの外から来た人。



「祭りの衣装も、ほとんど私が縫ってました。破れたところ、サイズ直し、全部」


お兄さんは、すぐには返事をしなかった。

私の顔ではなく、手元を見る。

指先。針だこ。布を引っ張ってできた、小さな傷。


それから、短く息を吐く。


「……縫い手か」


その言葉に、心臓が跳ねた。


「正直言うとよ。歌や楽器少しできますってより、そっちのほうが飯に困らねえ」


町長が何か言いかけたが、お兄さんは気にも留めない。


「楽団ってのは、移動が多い。服はすぐ傷むし、直せるやつは貴重だ」


それから、私を見て言った。


「ただし」


声は軽いままだが、目は笑っていない。


「甘やかす気はねえぞ。働く。逃げない。自分で選ぶ。それができるなら——」


少しだけ、口の端を上げる。


「まあ、悪くない」


町長も神官も、もう言葉を失っていた。





胸の奥で、何かが確かに決まる。


「……行きます」


それは願いでも、お願いでもなかった。


自分で選んだ言葉だった。



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