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仮初を生きるもの  作者: 木南一果
呼ぶ声

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38/67

夜は静かに過ぎた。

あのあと皆で食事をとり部屋で明日の準備を少ししてから灯りを落とす。

川の音だけが途切れずに流れていて、気づけば眠っていた。



目が覚めたとき、体が昨日より軽い気がした。

窓を開けると冷たい空気が入り込む。

川霧が立ちこめ、向こう岸が白く霞んでいる。


外から、荷車の軋む音が聞こえる。

足音、短い呼び声、生き物の鳴き声、川の音。

町がゆっくり動き始めている。


深く息を吸う。

昨日、ユーシリアさんとエルドさんに言われた通り。

町の空気を、体に入れる。

今朝は楽団の一員として仕事を任されている。

役に立ちたいという気持ちだけではない、皆の演奏をまた早く聴きたいし聴いてほしい。

そのために、準備頑張らなくちゃ。

 


「リネ、行こう!」


リュミの声に呼ばれて、階段を駆け下りた。

手には紙の束。

これは昨夜皆で用意したものだ。


《本日より3夜限り 川沿い舞台にて演奏》


文字はそれだけ。黄色の紙に大きく書いてある。

文字の周りを楽器の絵がぐるっと囲み、とても目立つ。

この絵はセヴランさんが描いていた。

特徴を捉えていて上手く、驚いてしまった。

これを町のあちこちに貼っていくのだ。


「掲示板があるところ順に回ろう。橋の近くと、あとは店の多い通り」


そう言って、リュミは迷いなく歩き出す。

私は半歩遅れてその背中を追った。


 


最初に向かったのは橋のたもとにある掲示板だった。

古い木の板には、商いの知らせや張り紙が幾重にも重なっている。

うちの町にもあった、皆が知らせを貼る掲示板。


リュミが紙を押さえて私がそれを貼っていく。

朝の冷気で、指先が少し冷たい。


通りがかった男性がちらりとこちらを見て、足を止めた。


「楽団か?」


「そうです。今夜から3夜、川沿いで」


「ああ、あの舞台か」


男は短く頷き、橋の向こうへと去っていった。


その背中を見送りながら、胸の奥がわずかにざわつく。

演奏する前から私たちはもう“楽団”として見られている。


 


それからも店に声をかけて貼り紙をする許可をどんどんとっていく。

パン屋の前や酒場の入口など、人が多く目にしそうな所に紙を貼っていった。

「今夜からかい?」と声をかけられたり「リクエストはきいてくれるのか?」と質問されたり。

町の人たちが楽しみにしてくれているのが伝わってきて嬉しくなった。



同じやり取りを繰り返しながら、貼り紙は町の中に点々と増えていく。

黄色の紙はなかなか目立つ。

たくさんの人が聴きにきてくれたら、嬉しい。

 


無事に貼り終えて宿へ戻る途中、リュミがこちらを見る。


「初仕事はどうだった?」


「…少し緊張しました」


「だよね。でも、ちゃんとできてたよ」


元気よく笑って。それからリュミは真剣に言った。


「宣伝も大切な仕事だからね」


その言葉が、胸の奥に静かに落ちる。


私はもう一度、息を吸った。

朝の冷たい空気がさっきよりも自然に体に入ってくる。


初仕事。

たくさんの人が聴きにきてくれますように。

まだまだこれから舞台が始まるまでに宣伝の仕事がある。

頑張ろう。


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