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仮初を生きるもの  作者: 木南一果
呼ぶ声

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37/65

「さて、私も荷物を片付けてしまわないとね」


ユーシリアさんの言葉に、私は手伝いを申し出た。

話し合いでは役に立てそうにない。

でも片付けの手伝いならばできそうだ。


「あら、じゃあお願いしようかしら」


そう言ってもらえて、ほっとした。


2人で階段を上がる。

階下から皿の触れ合う音と笑い声が響いてくる。

香辛料と酒の匂いが、階段をのぼって部屋まで流れてきた。


まだ他の部屋には誰もいないのだろうか。

客室は階下の酒場と比べて静かで、板張りの床が小さく音を立てた。


「旅をしてみて、どうかしら?」


片付けをしながらそう聞かれて、なんと言えばいいのか悩んでしまう。

楽しいことも、不思議なことも、面白いこともある。

その反面。

寂しくないと言えば嘘になるし、不安と緊張の日々で足元はふわふわとしたままだ。


「新鮮で、あっという間に時間が流れていきます」


これは事実。

旅を始めると決めたその日から、変化に追いつけず時間を必死に追いかけている気がする。


「そうね。旅って、そういうものよ」


ユーシリアさんは手を止めずに、穏やかに言った。


「楽しいだけじゃないし、作業に集中しても不安が消えるわけでもない。それでいいの」


少しだけ、微笑む気配が伝わってくる。


「ちゃんと感じているならいいのよ」



その言葉を反芻しながら片付けの手伝いを終えた。


次は何をするか考えていると、ユーシリアさんが声をかけてくる。


「少し外に出て、この町の空気をゆっくり味わってきて。体をゆるめておくのも、大事な準備よ」


でも…そう少し悩んでいると、馬たちの様子を見るついでに、ね?と優しく言われる。


“休んでいい”と言われることに、まだ慣れていなかった。

何かをしていないと、置いていかれる気がしてしまう。

皆が次の舞台の話をしているあいだ、自分だけが手持ち無沙汰でいることが、少し怖かった。


それでも、ユーシリアさんの声は急かすものではなかった。

馬たちの様子を見るついで——

それなら、楽団の役に立っていると言える。


そうやって理由を差し出してくれる、そのやさしさがありがたくて。

私は小さく息を吐き、頷いた。


もう一度階段を下りる。

話し合いは終わったようで酒場に皆の姿はなかった。

裏口から外へ出る。


夕方の空気はひんやりとしていて、風が強い。

風に運ばれて川の匂いが強くなっている。


厩舎は宿の裏手にあった。

近づくにつれ、干し草の甘い匂いと、湿った土の匂いが混ざりあっていく。


中では、茶色い馬が首を揺らし、灰色の馬がゆっくりと鼻息を鳴らしていた。

藁を踏むたび、かすかな音が響く。

生き物の体温がこもった空気は、外よりも少しだけ暖かい。



「いい子だ」


エルドが世話をしているところだったようだ。

水桶には新しい水が張られ、干し草も十分に積まれている。


次はブラッシングだろうか。

手伝おうと思い、声をかけかけたところで、エルドが軽く手を上げて止めた。


「ここは私がやる」


穏やかな声だった。


「君は、少し休むといい」


戸惑っていると、エルドはゆっくりと振り返り、こちらを見た。


「町に入ってから、ずっと力が入っている」


責めるでもなく、ただ事実を告げるように言う。


「無理をしている、というほどではないが——君はきちんと動いている」


一度言葉を切り、馬の首を撫でる。


「だからこそ」


視線が戻ってくる。


「このままだと、どこかで息が詰まってしまう」


夕方の冷たい風が、厩舎を抜けていった。


「町の音、匂い、空気、そういったものを体に入れる時間をとりなさい」


少し間を置いて、付け足すように言う。


「それも、“ついていく”ために必要なことだ」



「……はい」


頷くと、エルドは何も言わずに、また馬に向き直った。



私は厩舎を出て、宿の横にある川沿いの道を少し歩くことにした。


私を気にかけて見てくれている人がいる。

リュミも、ユーシリアさんも、エルドさんも。


そう思うとなんだか肩の力が抜けた。

それに、少しくすぐったい気持ちになる。


深く、息を吸う。

今はこの景色を感じよう。明日のために。



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