4
まだ明るいうちに、男性用と女性用の天幕が2つ建てられた。
野営地では早さが何より大切らしい。
組み立ては力のある人と、補助の魔力操作が得意な人が自然と担当していく。
誰が何をするか、言葉にされなくても決まっているようだった。
私は焚き火に使う枯れ枝を集める役になり、森の縁を歩き回った。
「火は最小限でいい」
枝を組み始めたところで団長の声が飛んでくる。
森の中だからだろうか、その言葉には念を押すような響きがあった。
言われた通り、小さく枝を組んでから慎重に火をつける。
炎は控えめに揺れた。
夜。
簡易的な食事を済ませ、各々洗浄魔法を使い体を清め、休むための準備を終えたとき。
森の気配が変わった。
それまで微かにあった風が、ぴたりと止む。
葉擦れの音も、焚き火の揺らぎも、同時に息を潜めた。
——地面が、揺れる。
誰かが息を呑んだのが、はっきりとわかった。
私は緊張と恐怖で指一本も動けない。
「……見るな」
団長の声は低く、短かった。
「視線は下げたまま。振り返るな」
その瞬間、背後、いや頭上に“影”が落ちた。
火の明かりを遮る、あまりにも大きな影。
何かに、見られている。
それは視線というより、森そのものがこちらをはかっているような感覚だった。
団長はそばに置いてある剣に手を掛けなかった。
ただ、独り言のように言う。
「明日には、ここを抜ける」
「ただ、通るだけだ」
しばらく、沈黙が続く。
やがて影は薄れ、地面の揺れも止んだ。
風がまた流れ出す。
まるで、森が判断を終えたかのように。
「……交代で見張り、いつも通りでいい」
団長がそう言うと、張り詰めていた空気が緩む。
「了解」
「じゃ、先に寝るわ」
誰かがあくび混じりにそう言った。
拍子抜けするほど、皆いつも通りだった。
私はその流れについていけないまま、リュミに支えられながら天幕に入る。
「今日は見張り、リネはしなくていいよ。目を閉じて少しでも休んで」
気遣う優しい声。
ありがとうを伝えたいのに言葉が出てこない。
そんな私の頭を優しく撫でて、リュミは天幕から出て行った。
布をかぶった途端、全身が小刻みに震えだす。
音を立てないように、歯を噛みしめた。
外では誰かが「おやすみ」と言っていた。
夜が明ける頃には、あの気配が嘘のように消えていた。
森はいつも通り、鳥の声と葉擦れの音を取り戻している。
気づけば眠っていたようだ。
あの恐怖の中、初めての野営で眠れるのだから、人間って強い。
「リュミ、起きて」
きっと。
私を抱きしめて眠ってくれたリュミの暖かさが、恐怖を和らいでくれたんだろうとは思う。
…とはいえ離れて欲しい。
動けない。
そんな私たちをみてユーシリアさんは笑い、アナスタシアさんは呆れている。
「昨日は片付けもできず、すみませんでした」
挨拶をしたあと2人に謝る。
「初めての夜を乗り越えた、まずはそれでいいのよ」
ユーシリアさんが優しく笑ってくれた。
「朝の片付け、私の分もよろしく」
そう言ったアナスタシアさんは自分の支度を済ませて天幕を出て行った。
皆で集まり明るくなってきた空を眺めつつ朝食を食べる。
「…何もしてきませんでしたね」
セヴランが、火を始末を再度確認しながら言った。
団長は肩をすくめた。
「影路に反応しただけかもしれねぇ」
そして、伸びをしながら続ける。
「自然には、自然なりの理がある。昨夜のは様子を見に来ただけだろ」
誰もそれ以上は聞かなかった。
「盗賊じゃなくて助かったよな」
「ほんとそれ。戦うの、正直疲れる」
軽い調子の声が重なる。
冗談めいているけれど、その裏には確かな実感が滲んでいた。
こういうやり取りが自然に出てくるあたり、皆はそれだけの場数を踏み、乗り越えてきたのだろう。
危険を危険として認識し、それでも過剰に構えすぎず、起きなかったことを良かったと喜べる強さ。
それは、旅慣れている人の余裕だった。
私はまだ、その感覚を知らない。
ようやく外に出たばかりだ。
だから昨晩あの後も震えが止まらず、それを自分にも周りにも隠すのに必死だった。
けれど皆の話を聞いていたら、ずっと胸の奥に止まっていた緊張が少しずつほどけていくのがわかった。
今は怖さよりも、焦燥よりも、安心の方が勝っている。
団長は灰色の馬を撫でながら言った。
「今日の昼には着くぞ。影路を使っても問題なさそうだし、予定通りだな」
「出発だ」




