26
フェリッシュと別れ、次に向かうのはシャロンのところだ。
彼女は普段なら魔術教官の詰所か訓練場にいる。
町の中心を抜け、訓練場の横にある小さな建物に向かう。
扉の前で、少しだけ躊躇する。
会いたいような、会いたくないような。
今はお昼時だ。
教官たちは交代で席を外す時間だった。
——いなければ、それでいい。
緊張しながら扉を叩く。
「どうぞ」
落ち着いた男性の声。
中に入ると、数名が書類を整理していた。
挨拶をしつつシャロンの机を確認するが、空だった。
「やっぱり、いないよね」
寂しいようなホッとしたような気持ちで踵を返そうとした時、後ろから声がした。
「…ノラ?」
一度安心してしまっていたので、必要以上に驚いたし、緊張してしまう。
「シャロン…挨拶をしにきました」
そう伝えると、
ここじゃ落ち着かないわね、と言って、奥へ案内してくれた。
書類や防具が無造作に置かれた、小さな部屋だった。
「少し埃っぽくてごめんね。本当は面談用の部屋なんだけど、普段は使ってなくて」
そう言いながら、シャロンは指先を軽く払う。
途端に、私たちの周りだけ空気が澄み、床と椅子が静かに整った。
どこからか茶壺も出てきて驚く。
「どうぞ、座って。お茶、飲むでしょう?」
「……はい」
シャロンが淹れてくれた薬草茶は、いつもの優しい香りだった。
二人で、静かに飲む。
言葉が、出ない。
何を言えばいいのか分からない。
沈黙がじりじりとのしかかってくる。
「正直に言うとね、意外だったわ」
そう言って、シャロンは私を見た。
「旅立つ話はもう耳に入っているの。でもね、挨拶に来てくれるとは…思っていなかったわ」
あの日、私、何もできなかったし、と静かに視線をおとす。
シャロンが立ち上がり、棚から何かを取り出す。
「あなた、昔からそうだったわ。うまくいかない時ほど、辛い時ほど、誰にも言わずに黙って背負う子だった」
振り返ったシャロンの手には、小さな布袋があった。
「これ、持っていきなさい」
受け取ると、中には何か硬いものが入っている。
「薬草よ。傷に効くの。外では手に入りにくいから」
「……ありがとうございます」
「それと」
シャロンは、私の手を取った。
「限界を見極めなさい。自分の心を消耗しすぎてはいけない」
その言葉に、胸が詰まった。優しい声。
私の手を包む指に、力がこもった。
「……あなたが思っているより、あなたは頑張りすぎるから」
「……シャロン」
「ん?」
「私、シャロンみたいになりたかったんです」
シャロンは、少しだけ驚いたような顔をした。
「自然の特性で、魔術も上手で、優しいだけではなくて、私にも普通に接してくれた」
言葉が、次々に溢れてくる。
「シャロンに教えてもらえるかもって、ずっと楽しみにしてました」
シャロンは、黙って聞いていた。
「でも、私は特性も分からなくて……」
声が震える。
伝えたいことを伝えておこう、そう思って勇気を出しているのに言葉がついてこない。
シャロンが、静かに言った。
「あなたは、あなたの道を歩き始めたばかりよ」
優しく私の肩を撫で、まっすぐに、私を見て言った。
「ノラ。あなたはもう、自分の足で歩き始めているわ」
その言葉に、涙が溢れそうになった。
でも、こらえる。
「……はい」
「いつか、また会いましょう。その時は——」
少しだけ、声を落とし、優しい笑顔で言った。
「本当の名前で、呼ばせてね」
胸が、ぎゅっと締め付けられた。
「……はい」
小部屋から出て詰所の扉へと向かう。
扉の前で一度振り返り、深く頭を下げた。
シャロンが柔らかく笑い、他の教官も手を振ってくれた。
町の子が役割を果たさず、果たせず、旅に出る。
罪悪感からここに来ることを悩んだけれど、来て良かった。
外に出ると、風が頬を撫でた。
ここで育った14年と、これから始まる旅と。
どちらも私の人生だ。
深呼吸をして、私は楽団のある町外れへと歩き出した。




