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午後の練習が始まった。
私は楽器を触ったことも踊りを踊ったこともない。
町にいた14年のなかで、踊りや歌を生業とする人たちをみるのも、毎年の名前を授かる儀式の時だけだった。
だからどの楽器がなんという名前なのかもわからないままにみんながそれぞれ出す音に耳を傾けた。
今私は楽団の荷馬車を引く馬たちの世話を任されている。
ユーシリアさんに「練習を聴きながらでいいからね」と言われたが、馬は賢い生き物だ。
初対面の私が集中せずおざなりにお世話をしていると分かれば、それなりの対応をされてしまう。
音に耳を傾けつつも、しっかりと心は馬に向かう。
昼は水と干し草の減りを確認して少し足す程度だ。
たっぷりと水を補充した水桶を置き直してから、革袋からブラシを取り出す。
最初に近づいてきたのは明るい茶色の馬だった。
そこにブラシがあることを覚えているのだろう。
こちらが何も言わないうちに、鼻先をぐいっと寄せてくる。
匂いを確かめるように息がかかり、思わず小さく笑ってしまう。
「初めまして、よろしくね。大丈夫だよ」
言葉がわかるわけでもないのに、そう声をかけながら首筋にブラシを当てると、茶色の馬はくすぐったそうに首を揺らした。
耳が前を向き、どこか得意げだ。
そのすぐ横で、灰色の馬がじっとこちらを見ていた。
距離は保っているが、視線だけは離さない。
茶色の馬への私の動作すべてを値踏みするような、静かな目だった。
しばらくして、灰色の馬が踏み出してくる。
私は動きを止め、ブラシを持ったまま姿勢を低くする。
急がない。触れない。ただ、ここにいる。
あなたたちの敵ではないよ、これからよろしくね、心の中で呟きながら灰色の馬を見つめる。
しばらくして、鼻を鳴らしてから再び下がっていった。
それでいい、と言われた気がした。
合格かどうかはわからないが、お世話をすることを許してくれたのはわかった。
ふたたび茶色の馬の背をブラッシングしながら、私は肩の力を抜いた。
そろそろブラッシングも終わりにして天幕の中の練習の様子を見学しにいこうと思った矢先、バラバラだった音が変化した。
曲の練習に入ったのだろうか、音が重なり始める。
太鼓が一定のリズムで土台を作り、弦楽器がその上に音の層を重ねていく。
笛の音は高く抜け、全体をひとつにまとめるように響いていた。
茶色の馬の耳が、ぴくりと動いた。
音楽に反応しているのだとすぐに分かった。
優しい旋律の時は落ち着き、力強い時は少しだけ足を踏みならす。
まるで踊っているようだ。
「あなたたちも聴いてるんだね」
馬の背中に手を添えたまま、私も音に身を任せた。
天幕の中では、きっとみんなが息を合わせている。
声を、音を、動きを。
こんな風に作り上げていくんだ。
その時、天幕の中から明るい声がした。
「踊り、合わせます!」
リュミの声だ。




