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みんなで食事を楽しみ、午後の練習に向けて片付けが始まった。
食器洗いはできます、と伝えたら私にも仕事がもらえた。
リュミと一緒に皿を集めて天幕の外にある洗い場へと運ぶ。
残りのグラスを運ぼうと天幕の中に戻った時、酒を飲んでいる団長と目が合った。
周りの喧騒が嘘のように静かな、有無を言わさぬ視線。
手招きされ、緊張しながらそばにいく。
「明日の朝、町長のとこに出しに行くぞ。この紙書いとけ」
渡されたのは四つ折りにされた紙だった。
折り目のついた紙は思ったよりも重く、指先にざらりとした感触があり、インクの匂いがかすかにする。
公的文書特有の堅い書体で、《王国巡行登録書》と記されていた。
下段にはいくつもの記入欄があり、最後の方には署名の枠があった。
これに名前を書けば、私は正式にこの町から旅立つ人間になる。
心臓が強く打ち付ける。
「後悔はないな?」
団長が真剣な眼差しで私の目をみる。
一見すると黒いが、近くで見るとわずかに緑を帯びた瞳だった。
見透かすようでいて、試すようでもある視線。
その強い視線にためらい、一瞬、言葉に詰まる。
喉がひりつく。
返事をしない時間が、思ったよりも長く感じられた。
不安がないと言えば嘘になる。
明日の朝のことも、これから先のことも、何一つ見えてはいない。
それでも…ここに来たことだけは間違いじゃないと、胸の奥でわかっている。
立ち止まる選択肢は、もう私の中になかった。
「はい。後悔はありません」
話す度に心臓が飛び出しそうだったが、なんとか言い切る。
後悔はない、緊張と不安はあっても。
「名前の欄は空けとけ。なんて書くか明日の朝考えりゃいい」
はい、わかりました、そう答えながらも明日の朝のことを考えると憂鬱だ。
「午後は練習だ。それから…必要以上に気負うな、倒れんぞ」
「はい……ありがとうございます」
自分でも驚くくらい素直な声が出た。
気を張り続けていたせいか、その一言で胸の奥が少しだけ緩む。
「別に礼を言われることじゃねぇよ」
団長は視線を逸らしながら、ほら、片付け行ってこい、と追い払うように手を振った。
頭を下げてその場を去る。
グラスを何個か持って外に出て、肺いっぱいに空気を吸い込んだ。
張り詰めていたものが、ゆっくりとほどけていく。
頭の中で色々考えてもきっと答えは出ない。
まずは身体を動かして、余計な思考を振り払おう。
そして、今日をやりきることから始めればいい。
天幕の中では、誰かが楽器をひきはじめた音がする。
弦を弾く軽やかな音が、真昼の空気に溶けていく。
午後が、始まろうとしている。
私の旅の準備もまた、静かに動き出していた。




