復活の呪文
大学卒業を前に、エミと京都へ旅行に来た。彼女は俺の幼馴染で、小中高はずっと同じ学校だった。大学は別だったものの、偶然バイト先で再会し、それがきっかけで付き合うことになったのだ。
祇園四条駅を出て八坂神社に向かうため四条通を東へ歩いていると、通りの反対側を見覚えのある男が歩いていた。
「ごめん。ちょっとこの辺で待ってて」
戸惑うエミを残し、俺は急いで横断歩道を探し向こう側に渡った。人ごみを掻き分け、目当ての男を見つけると、その後姿に声をかける。
「おい。辻本!」
そいつは高校の同級生の中で、特に親しくしていた男だ。毎日一緒に帰ったし、しょっちゅう遊びにも出かけた。あの頃の俺がもっとも信頼を置いていた奴だ。
だがあいつがここにいるのはおかしい。と言うよりもいてはいけないはずだ。なぜならあいつは、高校卒業直前にバイク事故を起こして死んでしまったのだから。お通夜やお葬式にも出たのだから間違いない。
振り返った彼は俺を見て目を丸めた。
「あ……。遠藤……」
俺は相手の頭のてっぺんからつま先までしげしげと眺めつつ、
「お前、死んだはずじゃ?」
辻本はあたりを見渡してから、こっちへと言って俺の腕を引っ張った。
狭い路地に入り人気がなくなると、彼は気まずそうに口を開く。
「まさか、こんなところで会うとはな……」
「おい。どうなってるんだ?お前バイク事故で……」
「ああ。死んだよ」
「じゃあなんだ。お前は幽霊か?」
「違うよ」と彼は自分の足元を見下ろした。確かに足はある。透けていることもない。
「俺はちゃんと生きてる。生き返ったんだ」
「バカな。そんなことあるはずないだろう」
辻本は俺との距離を詰めると、声を潜めた。
「いいか。お前だけには本当のことを教えてやるから、絶対他人には言うんじゃないぞ」
「なんだよ、本当のことって」
「いいから。言わないと約束できるか?」
肯かないことには話は前に進みそうにないのでとりあえず肯いてみせると、彼は意味ありげな笑みを浮かべた。
「復活の呪文、って知ってるか?」
「それって、ドラクエのあれか?」
「そう。あれだ」
昔のゲームはデータをセーブすることができず、中断したゲームを再開するためにはパスワードが必要だった。それを復活の呪文と呼んでいたと父から聞いたことがある。
「それが、どうしたんだ?」
「復活の呪文は、リアルな世界にも存在するんだよ」
「は?どうせならもっとましな嘘をつけよ」
「嘘じゃないって」
辻本は真剣な表情で話を続ける。
「俺の家は神職の血筋でね。これは、そういった家系の人間しか知らない話なんだ。だからもう一度言うぞ。絶対他人には言うなよ」
念を押すように俺の目を見つめる相手に肯き返すと、
「お宮参りってわかるか?」
聞いたことがある気はするが、どんなものなのかはわからないので今度は首を横に振った。
「赤ちゃんが生まれたあと、初めてウブスナの神にお参りをすることなんだよ」
「ウブスナ?」
「産まれた土地の神と書いて産土の神。その土地の守り神ってことだ。氏神さまと言ったほうがわかりやすいか」
そういえばそんな写真をアルバムで見たことがある。赤ん坊の俺が着物を着せられ、境内で母親に抱かれる姿。あれはどこで撮ったものだったのか。地元の神社だとすると限られてくるが。
「復活の呪文は、そのときにお参りした神社で聞くことができるんだ。ただし、それはあくまでも自分が生まれた土地の氏神様に限ってのことだ。仮に、東京生まれの人間が八坂神社にお宮参りしていたとしても何の意味もない。復活の呪文を聞くことはできないんだ」
「じゃあ、俺も地元の氏神様にちゃんとお宮参りしていれば、復活の呪文を聞くことができるのか?」
「できるはずだ。ある特殊なお参りの仕方をすればな」
「特殊って、どんな?」
「普通は、お賽銭を入れて、鈴を鳴らして、それから二礼、二拍、一礼だろ」
辻本は言葉と共に体を動かして見せるが、俺にはそれが合っているのかどうかわからない。今まで深く考えずにお参りしていたからだ。でも彼が言うのならそうなのだろう。
「復活の呪文を聞くときは、お賽銭は要らない。まず四礼四拍して、それから鈴を鳴らすんだ。それ以外のことはしなくていい。そうしたら声が聞こえてくる」
「それが、復活の呪文ってことか?」
「うん。でも復活の呪文が必要になるのは自分が死んだときだ。だから呪文は信頼できる誰かに預けておく必要がある。死んだら呪文も唱えられないからな。代わりに唱えてもらうんだ」
「なるほど。もし自分の身になにかが起こったら、指定した神社で呪文を唱えて欲しいって頼んでおくわけか」
「そういうこと。ただし、呪文は一度の死に一度だけだ。呪文を使って生き返ったら、また新しい呪文を聞いておく必要がある」
「ああ、そこはゲームと違うわけだな」
「うん。それと、生き返れるのは不慮の事故なんかで死んだ場合に限るぞ。例えば老衰なんかで天寿を全うしたってパターンで死んだってもう生き返ることはできない」
まあ確かに。それでも生き返ることが出来れば永遠の命を得たことになってしまう。
「ちなみに呪文を唱えてもらうときにも特殊なお参りの仕方があるのか?」
「いや、そこは普通のお参りの仕方でいい」
「お前は、誰に呪文を預けていたんだ?」
「進んで預けていたわけじゃない。俺は生まれてから小学校入るまではこっち……京都に住んでいたんだ。母親の実家も京都だから、お盆や正月に里帰りするたび、母さんは俺を氏神様に連れて行った。その頃は面倒くさいなと思っていたけど、今となっちゃそれに俺は救われた。つくづく間違えずにメモしておいてよかったと思うよ。母さんは俺の復活の呪文を大切に保管していたんだ。俺が死んだとわかったら、すぐに京都に飛んで、復活の呪文を唱えた。それで俺は生き返った。ただ、京都まで行っている間に、俺が死んだことが周囲に知れ渡ってしまった。だからやむなくお通夜やお葬式をすることになったんだ。だがそうなると、たとえ生き返ったとしてもそのままそこで生活するわけにもいかなかった。仕方なく俺は母の実家に引き取られることになった。俺は過去を捨て、京都で新しい人生を始めたってわけだ」
「ねぇ」
突然の掛け声にびくりとして振り返ると、エミが立っていた。
「どうしたのよ?急にどっか行っちゃうん……」
彼女は俺の隣にいた男を目にして言葉をなくした。当然だ。彼女も辻本とは同じ高校だったのだ。
「え……?辻本君?」
搾り出すように問いかけた言葉に、辻本は間髪いれずに「違います」と答えた。
「今もこの人に間違われたんですよ。似た人っているんですね」
じゃあ失礼と言って会釈をしてから通りに出た彼は、そのまま振り向きもせず人ごみに紛れていった。
「おどろいた。すごい似てたよね」
目を丸めたエミは笑顔を浮かべているものの、俺は笑う気にはなれなかった。異変を感じ取った彼女は真顔に戻り、「どうしたの?」と訊ねてくる。
誰にも言うなと念押しされていたが、言わずにいられなかった。
今しがたの男は辻本だったこと。死んだはずの親友は生き返ったこと。その秘密は復活の呪文であることを告げると、彼女はぎこちない笑みを浮かべた。
「ちょっと……、そんなことあるわけないでしょ。他人の空似をいいことに、うまいこと引っ掛けられたんじゃないの?もしかして、私が来なかったら変な宗教に勧誘されたりして」
「いや、違う。辻本は俺の親友だったんだ。たった今話したんだからわかる。あいつは本当に生き返ったんだ」
真剣に話す俺を見て、エミは「だったら……」と少し考えてから、
「試してみない?」
「試す?」
「だから、私たちも復活の呪文を聞けるかどうか」
「なるほど。もし本当なら、俺たちが互いの呪文を持っておけば、いつなにがあっても安心だもんな」
旅行から帰ったらすぐにでも氏神様にお参りしよう、そう話しつつ、俺たちは八坂神社目指して歩き始めた。
母が教えてくれた神社は実家から程近いところにあった。小学生の頃、毎日登下校に使っていた道沿いだ。エミも同じ地元なのでその神社のことはよく知っていた。もちろん彼女にとってもそこが氏神様だった。
礼もせずに鳥居をくぐり、手水舎の横を通り過ぎ、先へと進む。彼女と並んで拝殿の前に立った。
「どうする?」と彼女が俺を見る。
ここはレディファーストとは言わず、俺から行動して見せるべきだろう。
一歩進み出て、辻本が言っていた通り四回お礼をしてから四回拍手を打つ。それから鈴を鳴らした。すると……。
「おお、遠藤ケンジよ。よくぞ無事で戻ってきた。そなたにふっかつのじゅもんを教えよう……」
慌てて携帯を手に取り、聞こえてくる言葉をメモしていく。それは古代語のような響きにも聞こえるが、文字に起こすと意味のないひらがなの羅列に見えた。
「そなたの活躍、期待しておるぞ」
それを最後に声は聞こえなくなった。呆然と立ち尽くしていると、エミが肘で俺を小突いた。
「ねぇ。どうなったの?」
無言で携帯の画面を見せると、
「それが、復活の呪文?」
「うん」
「じゃあ、本当に聞こえたんだ」
どうやらあの声は本人にしか聞こえないようだ。
それから彼女も復活の呪文を聞き、それらを交換した。これでどちらかが不慮の事故に見舞われたとしても、生き返ることができるってわけだ。
その翌日。エミに誘われて飲みに行くことになった。おしゃれなイタリアンに入ると、彼女はなぜだか驚くほどのハイペースでワインを飲んだ。店を出るときはすでに足元がおぼつかない状態で、俺は彼女を支えながら歩く羽目になった。
駅に向かう途中、気分が悪いと言って彼女は道端にうずくまった。しばらく介抱してから彼女をそこに残し、俺は近くのコンビにまで水を買いに走った。
ペットボトルを手に戻るとエミの姿が見えない。慌てて辺りを見渡すと、彼女がふらふらと車道に踏み出す姿が見えた。それと同時に前方から接近するヘッドライトの光が目に入る。
まずい。車が減速する気配がない。エミに気付いていないのかもしれない。
俺は急いで彼女の元に走り、歩道に引き戻そうとしたのだが……。
あれ?どこだ、ここは……。
体が、浮かんでいる?
足元には見覚えのある建物が見えた。
あれは、俺の氏神様のお社じゃないか。
と言うことはなんだ?もしかして俺は死んだのか?
そんなことを考えているうちに気づいた。そうか。今俺は幽霊のような状態ってことだ。車に轢かれて命を落としたが、復活の呪文を聞いていたおかげでここに留め置かれているのだろう。
そういえばエミはどうなった?あの時彼女を救おうとしたにもかかわらず、俺がこうなってしまったと言うことは、間に合わなかったのだろうか?もしそうなら大変だ。復活の呪文を聞いてはいるが、それはエミにしか教えていない。万が一エミも亡くなっていたら、俺も彼女も復活できないことになる。
「ケンジくん」
その声で悟った。どうやら俺の不安は的中したようだ。振り返るとエミがいた。俺と同じく中空を漂っている。
「まさか、俺たち二人が同時に死んじゃうなんてことは想定してなかったな……」
頭を抱える俺とは対照的に、エミは微笑を浮かべた口を開く。
「私は大丈夫よ」
「え?」
「こんなこともあるかもしれないから、友達に復活の呪文をメールしておいたの。もうすぐこの神社に来るはずだから、私はちゃんと生き返れるわ」
「私は生き返れる?って、おいおい。俺は?」
軽く笑いながら突っ込んだのだが、エミは真顔のまま俺を見つめていた。
「え?どうしたんだよ」
「あのさ。前々からケンジ君に訊きたいと思っていたことがあるの」
その眼差しにどきりとなった。急に険のある目つきになっていたからだ。なにを訊かれるのだろうと思いつつ「なに?」と応じると、
「辻本君がバイク事故で死んだ前の日、ケンジ君が彼のバイクを借りてたって本当?」
確かに借りた。それまでそんなことをしたことはなかったのだが、急に思い立っての行動だった。でもなぜそのことを知っている?それを知るのは俺と辻本だけなのに。
俺の心のうちを見透かすように、目を細めていたエミがすいと視線を逸らせた。つられてそちらを向くと、鳥居をくぐり、神社の境内に入ってくる人影が見えた。
それを目にしてぎょっとなった。
「あ。やっと友達が来てくれたみたい」
玉砂利を踏みしめ歩いてくるのは辻本だった。
「高校の頃、みんなにはナイショで、私、彼と付き合ってたの、知ってるよね?」
想定外の言葉に心臓が高鳴った。
あの日、親友だからという理由で俺に教えてくれた秘密。辻本の照れくさそうな表情は今も眼に浮かぶ。だが、そのとき激しい嫉妬に駆られたことは誰にも言えなかった。
ずっと好きだった。小学生の頃から。でも言えずにいた。高校を卒業してからもエミのことはあきらめ切れなかった。だからSNSで追跡していた。彼女が新しくバイトを始めたと知り、俺もそこに応募し、ようやく付き合うきっかけとなった。
辻本はお社の前まで来ると、復活の呪文を唱えた。
「私、ケンジのことは死んでも許さないから」
そのセリフを残してエミの姿は見えなくなった。魂は肉体へと戻ったのだろう。
「おい、遠藤!」
見えないはずなのに、辻本は俺のほうを見上げていた。
「誤算だったな。復活の呪文なんてものが本当にあるとは思いも寄らなかっただろう」
なんだ?辻本の奴、なにが言いたいんだ?
「俺はな、生き返ってからずっと、お前のことを殺してやりたいと思っていたんだ。でもそんなことしたら捕まっちまうだろ?だから計画を立てたんだ。お前が自ら死んでくれるようにね。エミには少し痛い思いをさせたけど、そうしないことにはお前は死ぬような行動にはでないからな。まあ後でちゃんと生き返れるし、それも含めて彼女も納得済みのことだった。おかげで俺は復讐を果たすことが出来たってわけだ」
復讐だと?バレていたのか。俺がやったことを知っていたのか?バイクに細工して事故らせたことに気付いていたのか……。
そういえば、復活の呪文を試そうと言い出したのはエミだった。俺が死ぬきっかけとなった事故は彼女が泥酔したせいだ。それらは辻本が言う計画の一部だったのか。そもそも京都に行きたいと発案したのもエミだ。そのときから既に彼女は辻本に協力していたということか?他人のふりをしたのも芝居だったのか……?
「男の嫉妬って、マジ見苦しいよな」
嘲笑った辻本は踵を返してお社から離れていく。数メートル進んでから、ああそうだと言って振り返った。
「一つ言い忘れていた。復活の呪文を知った魂は、呪文が唱えられるまでそこを動くことが出来ないんだ。でも、俺とエミが呪文を唱えることはないから、覚悟しておけ」
つまり俺は天国にも地獄にも行けず、ましてや生き返ることもできず、ずっとここにいなければならないということか。
「そこで後悔してろ。永遠にな」
吐き捨てるように言ってから、辻本は背中を向けた。