ここは、あの日の交差点
ある平日の昼間。バイトをすっぽかした俺は、耳障りな着信音を響かせるスマホをアパートにほったらかしたまま、当て所無く街を彷徨い歩いていた。
きっと今頃バイト先では、顔を真っ赤にしてキレる中年ハゲ頭の店長が、何度も俺に電話をかけていることだろう。
「――ハッ! ざまァみろ! 死んじまえクソ店長が!」
口に出した事で幾分溜飲が下がり、僅かに周囲を気にする余裕が生まれた。おかげで、ここが交差点の横断歩道前である事に気付いた。
誰かに聞かれてやしないだろうか。
我ながら自分の気の小ささに辟易するものの、周囲に誰もいないことに胸を撫で下ろす。
その時、
「ピッポ、パッポ……」
不意に鳴り響いた電子音に大きく驚いた俺は、咄嗟にその方向へ視線を走らせた。
「――ッ! って信号かよ。あれ? ここ……前に来たことあるような?」
どこかで見たことのある交差点を何度も見渡して、埋もれた記憶を掘り返す。
すぐに思い出せないが、ここでとても大事なことがあったはずだ。そう思いながらしばらく首を捻っていると、背後から唐突に聞き慣れたアイツの声が聞こえた。
「……あの、渡らないんですヵ? 信号……青ですよ」
――誰だ? 誰だ? 誰だ? 店長!?
そんな訳あるか。
アイツがこんな所にいるはずがない。
でも、この粘着質な喋り方は間違いなくアイツだ。忘れたくても忘れるものか! やれ仕事が遅いだの、気配りが足りないだの、いちいちウザいあの声だ。他のバイトの前で何度も俺を吊るし上げたあの声だ!
そうだ……だからあの日、俺がアイツを殺してやったんだ。あれは――そう、この交差点だったじゃないか!
それにみんなも言ってた! キモいとかウザいとか。だから俺は人混みに紛れて、この交差点でアイツを後ろから……
脳裏に血だらけのハゲ頭がよぎったのと、背中に衝撃を感じたのはほぼ同時だった。
「押すなっ……クソッ! ふざけんな! 何で俺が……俺はみんなのためにっ!」
「渡らないんですヵ? 青信号ですよ?」
あり得ない状況に混乱しつつも、交差点に押し出されまいと必死に抵抗する俺の耳に、ピッポ、パッポと耳障りな電子音が響く。
騙されるものか! 横断歩道の信号が青になったら全力で走って逃げてやる。それまでの辛抱だ。
――だから俺は気付かなかった。
押し出されまいと必死に抵抗しているうちに、体の向きが変わっていた事に。
冷静さを失った俺が全力で飛び出した先は、耳障りな電子音が消えた横断歩道の真ん中だった。