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1ドルの涙

作者: 小城

 長年勤めていた会社を定年退職したあとは日々、何かを成す訳でもなく、余りある余暇を、過去の人生を整理するかのように振り返りながら過ごしていた。そんな日々は、まるで自分と世界とを分け隔てていくように遠く離していった。かつてなく、自分は自分自身を生きていた。窓から指す夕日の光は遠く離れていった世間に対する、そしてもう戻らないあの日への郷愁を誘った。今を生きる人たちにはそのもう戻らないであろうその一瞬というのを大事に生きてほしいと願った。しかし、それは世間から離れた老人の戯言として、今を忙しく生きる当人たちにとっては必要のない言説とされるのだろう。

 そんな中で、お昼の後の散歩が日課となった。特に用事はなく、ただ近所を散歩する。そして、そこにいる人たちを観察する。今を生きる人々。それを観察するのは表舞台から降りた当事者ではない客。俳優たちにとってはうるさい客となるのか応援してくれる客になるのかは分からない。ただ私は人生の傍観者の如く公園まで歩いた。ベンチにてしばしの休憩。特に持病はないが、長く歩くと息切れをする。公園では子どもたちが遊んでいる。もはや夕方は近くなってきている。

「おじいさんどいて。」

「ああごめん。」

小学生ほどであろうか子どもが私にそう言うと、自分もベンチに腰掛けた。その子どもは何をするのでもなく、忙しそうに手を動かしていた。

「おじいさんは何をしてるの。」

「私かい。私は散歩をしてるんだよ。」

「ふうん。」

そう言うと子どもは再び手を忙しそうに動かしていた。そろそろ行こうかと思ったとき、子どもがまた話しかけてきた。

「暇ならいっしょに遊んでよ。」

「私がかい?」

「うん。」

子どもは私の手を引っ張っていき、連れていく。私はそれに従って公園の遊具に上ったり、下がったりした。太陽が落ちてきた。日の光はいつのまにかオレンジ色に輝いていた。

「また明日も来る?」

「ああ来るとは思うが。」

「また遊ぼうね。」

そういうと子どもは駆けていった。家に帰るとすでに日は暮れて、暗くなっていた。

「今日は遅かったですね。」

妻が言う。彼女は未だ働いている。週に3、4日のパートになるが。

「公園で子どもに話しかけられてね。」

「まあ。それは、それは。」

「いっしょに遊ぼうと言われたよ。」

「それで遅くまで遊んでいたんですか?」

妻は笑っていた。

「明日もいっしょに遊ぼうと言われてしまったよ。」

その日は久しぶりによく眠れた気がした。

次の日も日課の散歩に出かけた。今日はいつもより早い時間に行った。あの子どもはいた。私を見つけると駆けてきた。

「約束守ったね。」

「ああ。」

危うく行かなかったなら約束を破ったとされるところだった。

「君は早いな。」

「遊ぼう。」

子どもは私の質問には答えず私の手を引っ張って連れていった。そのような日が続いた。子どもは明日は来られないという日はそう言って帰った。そのときは私も散歩は休んだ。

 ある日、子どもといっしょに公園から出た。子どもは冒険に行くと言っていた。どこで覚えたのかその冒険の間彼は私のことを「ご隠居」と呼んだ。私は恥ずかしさに苦笑いするしかなかった。公園の近所は改めて見ると新鮮なものばかりだった。用水路の水。浄化施設。図書館の裏の何かの記念碑。それらは私にとっても冒険だった。家に帰ってそれらの話をすると妻はたいてい笑っていた。

 公園には子どもたちの他にもお客がいる。しかし、彼、彼女らは、毎日のように子どもといっしょに遊んでいる白髪の老人のことを特に気にとめることもなく、それぞれの時間を過ごしている。遊び疲れてのどが渇いた。私は子どもにも何か飲み物をあげようといっしょに自動販売機のところまで行った。小銭はなるべく持たないようにしていたので、何気なく手にした紙幣を販売機に入れようとしたが入らなかった。よく見ると1ドル紙幣だった。妻と米国を旅行したときのものだった。

「おっといけない。」

私は慌てて千円札を入れた。

「君は何がいいかい?」

「なんでもいいよ。」

子どもがそう答えたので自分の分と彼の分のコーラを買った。

「はい。」

「ありがとう。」

私たちはもといたベンチへと戻った。

「ねえ。おじいさん。さっきのなあに?」

「さっきのとは?」

「変なお金?」

「ああ、1ドル紙幣のことか。」

私は財布からくしゃくしゃになった1ドル紙幣を出して見せた。

「それは外国のお金だよ。」

「ふーん。」

子どもは1ドル紙幣を手にしてずっと見つめている。

「よかったらあげるよ。」

「えっ!?いいの。」

子どもはぱっと笑顔になった。飲み物には興味を示さず、外国の紙幣に笑顔を見せるなんて変わった子どもだなと思った。しかし、自分自身も子どもの頃、古い貨幣を集めていたことを思い出した。

 家に帰り、妻に尋ねてみた。

「あの貨幣のコレクションはどこに閉まったんだっけ?」

「さあ、どうでしたかね…?」

確か今の自宅へ引っ越して来るときいっしょに持って来たはずだった。翌日、朝早く起きて、押し入れの中を掻き出してみた。

「あった。」

古い貨幣のコレクションアルバムが見つかった。私はそれをあの子どもにあげようと思い探していたのだが、ふとこんなものをあげても迷惑になるだけなのではないかと思った。その日の午後、いつもどおり散歩に出かけた。

 数年後に妻が亡くなった。脳出血だった。私が散歩に出かけている最中だった。それから私は散歩へ行くことはなくなった。自責の念と妻を亡くしたショックで私は家から出ることはなく引きこもりの生活となった。もう食事を採ることもなくなった。近々、私も妻のもとへ行くだろう。ふとあの子どものことが浮かんだ。彼に対する恨みはなかった。ただ私の愚かさと無念さが残っていただけだった。あの子どもはこれから多くの人生を生きなければならないし、彼の人生に悪い影響を与えてはならない。私はただこのまま消えていくことだけを望んでいた。運命。私はすべては運命であると受け入れていた。そうすることが私の心の平安を守る唯一の術であった。私の目には一粒の涙がこぼれた。その涙の中には100万ドルの景色ならぬ、たった1ドル分の景色が見えていた。

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