89.
「無礼者。手を離しなさい」
大の大人でも、すくみ上がってしまうような声で低く凄む。
いつもなら引き下がるはずの藤城は、ひるむどころか、さらに腕に力を込めた。
「斬れるのですか?実の兄のように慕っていた人を」
舞がかすかに身をよじった。
「あなたには関係ないでしょう」
ひた隠しにしている動揺が、声にはありありと滲んでいる。
「私の竿を斬ってください」
藤城の言葉に、舞は目を見開いた。
「何を言っているの?」
「私が狭山様の身代わりになります」
舞は鼻先でせせら笑った。
「馬鹿なことを言わないで。藤城、あなた頭がおかしくなったの?」
部屋は耳が痛くなるほどの静けさに包まれ、互いの呼吸音以外、何も聞こえない。
「竿を失った男は、顔つきも身体も精気が抜けてしまうもの。竿があるかないかなんて一目で見破られてしまうわ。そんな浅知恵で騙されるような相手ではないのよ」
舞は腕をほどいて、藤城に向き直った。
「だいぶ見当違いだったけど、あなたの気持ちはありがたく受け取っておくわ」
「舞様」
「あなたはここで祈っていてちょうだい。私が無事に任務を遂行できるように」
舞は既に非情な竿斬りへと表情を変えていた。
藤城はいても立ってもいられず、叫ぶように、
「このままでは、あなたの心は壊れてしまう。お願いします。どうか逃げてください」
「私が壊れれば、次の誰かが力を継ぐだけよ。仕える相手が変わるだけ。あなたが心配するようなことはないわ」
藤城は舞の手を取る。なぜか、すさまじい倦怠感が身体を襲っていた。
「私が生涯仕えるのはあなただけです。舞様、わたくしはあなたが」
「黙って」
舞は強い口調で遮った。
視界が薄暗くぼやけてゆくなかで、舞の姿は神々しいほど美しかった。
「藤城……ありがとう」
薬を盛られたのだと気づいたときには、藤城の意識は急速に遠のいていた。




