88.
夜の帳が落ちてくる。
舞は夕食もとらずに部屋に引きこもり、黒装束に着替えていた。
右手の調子はいい。
暴走する気配も、今のところは見せなかった。
「どうせなら、いっそのこと暴走してくれればいいのに」
それなら、自分のせいではないと言い張れるのに。
舞は忌まわしい右手を見つめ、机の上にあるカッターナイフに目をやった。
鋭い刃を出し、左手で握りしめ、目をつむって思い切り振りおろす。
その手は藤城に強い力で阻まれた。
「離して」
「できません」
「誰に向かって口をきいているの。私が離せといったら離すのよ」
舞は主の風格を滲ませ、言い刺した。
だが藤城は、一歩も動かなかった。
「舞様を傷つけようとする者は、誰であろうと許すわけにはまいりません。それがたとえ舞様自身であっても」
そう言うと力ずくで手のひらを開かせ、カッターナイフを取り上げ、自分の胸ポケットにしまう。
舞は藤城を睨みつけ、視線を右手へ転じた。
「こんな腕さえなければって、三年前から何度考えてきたか分からない。
だけど……今夜ほど強く思ったことはないわ」
低く呟くと、藤城の顔が歪んだ。
「そんな顔をなさらないでください」
「どんな顔をしようと、私の勝手よ。行くわ」
歩き出した舞は、突然後ろから強く抱きしめられて立ち止まる。
藤城は舞の肩に頭を乗せ、
「行かないでください」
吐息まじりの切ない声が耳の間近で響く。
藤城の体温が服を通して伝わってくる。
舞は天井を仰ぐと、瞑目した。




