69.
一詩を屋敷の門まで送りながら、舞は希望が胸にこみあげてくるのを止められなかった。
誰にもどうにもできなかった暗闇で、強く自分の手を掴んで引き上げてくれる存在がいる。
長きに渡る支配に耐え忍ぶ日々を、終わらせるため戦おうとしてくれる人がいる。
「一兄……本当に、ほんとにありがとう」
声を震わせて言うと、一詩は振り向いて、にかっと子どものように笑った。
「何言ってるんだよ。当たり前だろ。お嫁さんにするって約束は守れなかったけど、可愛い妹が困っているのを見捨てるなんて、できるわけないよ」
どうしてこんなにも真っすぐで純粋でいられるのだろう。
うつむいて黙りこみ、涙をこらえている舞を見つめて一詩は目を細めた。
「舞……お前、変わったな」
「え?」
顔を上げた舞に、一詩の心配そうな眼差しが注がれる。
「昔のお前は、そんなふうに大人しく俺の後をついてきて、しおらしく黙っているような子じゃなかった。西に女の子をいじめる奴がいれば、走って行って蹴り倒し、東に先生に怒られて泣いている奴がいれば、追いかけていって笑わせた。
誰よりも強くて明るくて……舞は、みんなの太陽だったんだ」
心臓に畳針を突き刺されたような心地だった。
過去を知る人物との接触は、過酷な現実をつきつける。
今の自分がどれほど悲惨な境遇にいるか、嫌というほど思い知らせる。
変わってしまったのだ、取り返しのつかないほど。
どれだけ願っても、あの輝かしい日々は二度と戻ってこない。
「どうして辛いこと、辛いって言わないんだ?日向野でアルバイトしてるって言ってたけど、どうせろくな仕事じゃないんだろう。 見たくないよ。舞がそんなに哀しそうな、何もかも諦めちまったような目をするところなんて」
舞の両肩をつかみ、
「今までだってずっと、俺には何でも話してくれたじゃないか。たった五年で、俺はそんなに、お前にとって信用のならない奴になり下がっちまったのか?」
一詩は舞を責めながら、自分が泣きそうな瞳をしている。
――ずるい……そんな顔されたら、泣くこともできない。
舞は渾身の力を振り絞って、何とか唇の両端を持ち上げた。
「……ごめんね」
冷たい風が梢を吹きぬけ、常緑の葉をこすって寂しい音をかき鳴らす。
舞に向かって伸ばされたであろう一詩の手が、力なく体の横へ落ちた。
【第六夜・終】




