第八話 錯覚
季節は既に6月の後半に差し掛かっていて、間近に迫った期末テストに皆精を出し始めた。この試練の期末テストを通過すれば、後に通知表という名の敵が現われ、ほとんどの生徒がこの敵を家に持ち帰り、本物のラスボスと戦わなければならない。それさえ終われば待ちに待った夏休みだ。
期末テストまで一ヶ月を切った。そろそろ本格的にテスト勉強を始めなければならないときに私の頭の中はいつ少年タカヒロから電話がかかってくるのか、ということで一杯だった。最後に少年と話してから既に2日、何も音沙汰もない。
メールでもしようかと思ったが、何についてメールを作ればいいのか分からず私もただ待っているしかできないし、一方で彼氏のけんじとはどんどんギクシャクして行く一方で、毎日一緒に通っていたのに、何らかの理由をつけてこの2日間一緒に登校をしていなかった。
けんじはいつものように”おはよう”メールを送ってくるが、私は返信せず学校で「おはよう」と言い、期末テストが近いからという理由で下校も避け始めた。
けんじが悪いわけではない、って事くらい分かってる。
でも自分でも分からない。夢の中のタカヒロに惹かれ始めてから、少年タカヒロに夢の中のタカヒロを重ね合わせてしまっている。頭では違うってわかっていても、私の心臓が高鳴ってしかたがない。まるで初恋をしているかのようだ。
携帯が鳴れば少年かと思い、けんじだった場合小さな怒りすら覚えてしまうほどだ。
でも、なぜだろう?
ほんの少し前まで私達はとても上手く行ってるカップルだった。たったこの期間で、けんじを腹立たしく思ってしまうのはなぜだろう。もし仮に私に他に好きな人ができたとしても、普通なら腹立たしさではなく罪悪感に押しつぶされるのではないだろうか。
正直私はけんじに対して憎悪なようなものさえ感じ始めていた。
少年との最後の電話から3日目が過ぎた頃、いつものように学校が終わりけんじが私の机にやってきた。
「まい、ちょっと話せる?」
いつもより真面目な表情のけんじから、ついに私達も別れ話だ、と感じた。
「部活でしょ?」
またツンとした態度を取り、けんじの方は見ずカバンの中に教科書を仕舞いながら聞いた。
「今日はサボる。俺達話した方がいいよ。」
そして私達は仲の良いときに”二人の隠れ家”と呼んでいた屋上の扉の前の踊り場で話しをすることにした。階段の下からはまだ生徒の笑い声が聞こえてくる。よくここで一緒にお弁当を食べたなぁ、なんて幸せな頃の思いでも頭をさえぎったりもした。それでも私は、もしこの時間に少年から電話があったらどうしよう、などと考え再びけんじが嫌で仕方なくなってしまったのだ。
「話して何?」
冷たい言葉でけんじを見た。
「まい、何があったの?なんで避けてんの?」
「何言ってるの?避けてないよ。」
「避けてるじゃん!嫌なことがあったら言えよ!俺何かした?」
私はどうして優しくできないんだろう。
かつて大好きだったけんじが目の前でとても寂しそうな表情で私を見つめているのに、私の口から出る言葉は冷たい言葉ばかり。
「まい・・・俺と別れたい?」
私の腕をそっと掴んでけんじは聞いた。
あんなに好きだったのに。
あんなに好きだったのに。
私の口から出たのは
「ごめんなさい。」
だった。
けんじは視線を足元に向け、小声で「わかった。」と呟いて掴んでいた腕を離した。
「もう何も聞かないよ。」
そういい残すと足音を響かせながら階段を降り始め、中段まで行ったところで足を止め、背中越しに言った。
「俺達の前世にお互い存在してなかったもんな。」
ズキン・・・
胸が痛い。
そう、ストラップを買ってから全ておかしくなったんだ。現実と夢を混合させて、一番大事な人を今失ってしまった。一瞬で力が抜けたようにペタリを床に腰を落とし自然と目から涙が溢れてきた。
そしてスカートのポケットに入れていた携帯を取り出しパワーストーンを見た。屋上の窓から夕日が差してアメジストに反射して綺麗な紫色に光っている。
「どうしてこうなっちゃったのかなぁ・・・。」
ぼそりと呟くと突然携帯が鳴り出した。そして画面には”タカヒロ”と表示されていたのだ。
私は流れる涙を袖で拭い、平然を装って答えた。
「も・・もしもし!」
「あっ、どうも。今大丈夫っすか?」
「うん!どうしたの!?」
流れる鼻水を何度かすすった。すると少年は何か異変に気付いたのか
「・・・泣いてるの?」
と聞いた。その声が懐かしくて仕方がない気持ちになり涙が止め処もなく流れ始めた。そしてしまいには声を出して泣き出し、少年はただ黙っていた。
そして優しく聞いた。
「何かあった?」
しゃっくりまで出始め、言葉にならない声を無理やり押し出し
「・・・・たい・・」
「え?」
「会いたいよ・・・うわぁーん。うわぁーん。」
そしてまた私は泣き出した。
すると少年は焦った様子もなく、言った。
「じゃあタバコ屋行くから。じゃ。」
少年はこんな突然泣き出す私をおかしな女だと思っただろう。しかし変わらず優しく、むしろ私より年上のように冷静に対応して今からタバコ屋に来てくれるとまで言ってくれた。
私は流れた涙と鼻水を濡れた袖で拭きなおし、早足で階段を駆け下りた。
教室にはけんじがまだ友達と一緒にいて、私が教室にカバンを取りに来たときに私が泣いた事に気付いたのだろう、声をかけようとしていたが私はそのまま早足で教室を出た。
「まい!」
後ろで私を呼ぶ声が廊下に響いた。しかし私は振りかえることもなく長い廊下を走った。
タカヒロの待つタバコ屋まで、一度も立ち止まることもなく。