収獲
「なんで俺が拳骨くらわねェとなんねェんですかい……」
ヒリヒリと痛む頭部に手を当てる。そこには立派なこぶが仕上がっていた。そのコブを作った犯人はバツが悪そうな顔をしながらら自分の代わりに運転する。まさか自分がここの女性職員にちょっかいをかけたので折檻中という設定の為に本当に拳骨が飛んでくるとは思わなかった。
頭から星を散りばめてる間に潜入の口実だけという訳でもなく、ちゃんとした気難しい商談話が飛び交っていた事に驚いたが。
「貴方にはかなり危険な目に晒してこの仕打ちなのは謝罪しますわ。でも、バレたらきっとその『痛い』も感じなくなるところですわよ。……言い訳ですわね、その、とっさに怪しまれないような理由と、相手にこちらは特に何も企んでないオッペケペーと言う事を見せつけるに絶好のチャンスだと思いましたの。……こき使ってごめんなさい」
おやガチへこみとは。申し訳なさそうに形のいい眉を下げる姿にいつものカッコよさは見当たらない。その様子がなんだかおかしくて吹き出した。
「いいえェ、コレに関わるって言っちまった手前、仕方なしって割り切りますよゥ。その代わり報酬は俺の分は多めに頼みますぜ」
最初は馬鹿にされたと思ったのか不機嫌に頬を膨らませていたが、話を聞くにつれ頬の空気が抜ける。 その後はお互い無言で帰路につく。かなりいい収穫をしたので帰ったら早速作戦会議だ。すっかり日の落ちて暗くなった駐車場に止める。返すのは明日でいい。荷物を手に取り事務所へ向かう。駐車場が微妙に遠いので寒い風が体をかすめた。先を行くヴァレンの後ろをのたのたついて行く。先ほどまでの落ち込みはもう無いらしく背筋がまっすぐ伸びていた。
立ち直りが早い事、とあくびをしながら誰もいない道を進む。どこもかしこも明かりは落ちて昼間とは違った風景が広がっている。ある明かりといえば街灯と三日月の光のみ。
寒いな、と上着を着直した時、足をとめた。いや、勝手に止まった。
「(……は?)」
体が動かない。それどころか声すら出ない。ハクハクと開閉をくり返す事と、視線を彷徨わせる事しかできない。おかしい、何かがこちらを見ている。ジッと、闇からこちらを見ている。
ヴァレンは気づかないのか、と見つめるとまるで自分が元からいないかのように歩いて行く。その距離はだんだんと離れていく。手を伸ばして助けを請おうにも動かない。脳裏にあの時の話が蘇る。
「蛇に睨まれたように」
ブツリ、と小さく皮膚が破ける音がする。それと共にくる鈍い痛み。腕に居たのは白い蛇。痛みと共に何か、力が吸われていく気がした。
「ッ、うわぁあああああ!」
咄嗟に腕を思いっきり振りはらう。火事場の馬鹿力というのか、振りはらったせいで傷が広がって痛い。叫び声にヴァレンが気づき走ってくる音が聞こえる。別の足音も聞こえたのでそちらを見ると回収した陶器と同じ型の蛇が落ちていた。口元は赤く染まっている。早くそれを回収しようと手を伸ばすが、白い布が自分より先に奪っていく。つけられていたか、と緊張が走った。
「こ……で、み……た」
自分達などお構いなしのように陶器を持って去っていく。追いかけようにも身体に力が入らない。悔しさに奥歯を噛みしめたが、ゆらりとヴァレンが立ちあがる。そして
「お待ちなさい!」
単三電池が空を飛ぶ。真直ぐに白い服に飛んで行ったがあと少しのあたりでむなしく地面に落ちて行った。
再び辺りに静寂が訪れる。噛まれた腕は左なので動きに支障がなさそうで安心した。もたもたと何とか止血を試みる。止まらない。見かねたヴァレンがバックからあのローブをだして引き裂く。せっかくの潜入用の服がもったいないと喚けば次はカチコミに行くのでいらないとぐるぐる巻きにされる。大げさな処置だ。
「不味い事になりましたわよ古本」
「んえ?なんです?もうかなり不味い事になってますぜ?」
「違いますわ。確かに襲撃は不味いですが、あの白服『これで満ち足りた』って言ったんですのよ?」
これで満ち足りた。多分、いや十中八九あの水槽に入れる血液だろう。そも、血液だけなら信者で足りると思うのだが。とにかく、今は事務所に戻ろう。まだ痛む腕を抱えて歩きだす。考えていてもはじまらない。とにかく情報をまとめなければ。
三日月が静かに道を照らしていた。
事務所は特に荒らされた形跡も侵入された形跡もない。そのことに安堵して事務所にある救急箱から消毒液を取り出す。こうして光の元で傷を見ると結構深く刺されている。鱗のような痣は出ていなかった。
手持ちから陶器をとりだし傷痕と見比べてみれば一致していたため、あれも日它教の者だろう。しっかりと包帯で傷をふさぐ。
治療しているとヴァレンは早速資料を漁り始めた。オオシロ様と書かれた本を手に取ったため、自分は『白様の怒り』と書かれた童話を手に取る。あんな場所になぜ童話がと思い手に取っただけだの物だが。意外と分厚いそれを手に取り、読み始める。
『白様の怒り
昔々、海の村に悪い領主さまがいました。
領主さまは村民からたくさんたくさん税をとっていき、村民は貧しくなっていきました。
たくさん死にました
若い男も、元気な赤ん坊も、美しい娘も、飢えて死んでいきます。
このことについに耐えられなくなった心優しい男がいました。飢えた者に自分の分の食べ物を与え、例え虫でもむやみに殺すことを良しとしない、優しさを持っていました。男は、海のお社に行って、残り少ない米を供え願いました。
「どうか神様、自分たちを救ってください」
すると、お社が光り輝き、中から大きな白い蛇が出てきたではありませんか。男は驚いて、腰を抜かしていると、蛇は話し始めます。
「私は、幼い頃にそなたに助けられたモノ。その恩を今返し、そなたの願いに応えよう。その代り、もし、私が役目を終えたのなら清酒の海にでも沈めておくれ」
そういって白い蛇は天に昇って行くと、領主さまの家に、雷となって襲い掛かります。轟々と大きな音を響かせて、領主の胸を貫きました。
悪い領主が討たれ、村は喜びにあふれます。しかし白蛇は、力を使い果たし、小さく小さく縮んでしまいました。
男は、この白蛇を約束通り酒の樽にいれて、一族の宝として祀り上げました。それからと言うもの、男の一族には鱗を持つ人間が産まれ、その人間が産まれると、無数の富が手に入るようになったそうな』
パタンと閉じる。別に見なくてもよかったかもしれない。若干の後悔と共に研究資料を見ているヴァレンに目を向けた。……青い顔をして資料を見つめている。
「あの~、どうですかい?こっちは特に目ぼしい事書かれてませんでしたけど。……手帳読まないんです?なら俺読んじゃおっかなぁ……?」
いつものような調子で話し始める。こちらの問いかけに応えず、突然立ち上がり奥の部屋からホワイトボードを持ってきて、何枚かの資料を張り付け始めた。どうやら説明してくれるらしい。
「まず、この事件の大本、オオシロ様について。こちらはやはり『理解しがたい超越的な力を持った化物』でまちがいありません。金のなる木のようなものでしょう。人を集め、操り、口に入れ咀嚼する。欲に濡れた人間は好物らしいわね。富と名声を与えるがその本質は空腹になれば見境なく食らう化物。でももっと詳しく言うならば今の状態は『その化物の化石』のようなものですわ」
一枚の写真にはあの水槽で見たミイラの蛇が写っている。しかし、随分と小さく感じた。心の疑問を晴らすようにヴァレンは続ける。
「これは初期の段階のオオシロ様。ここから血液と共に生命力……RPG風にいえば魔力やMPを奪い、少しずつ溜めて完全体にするみたいよ」
大変わかりやすい説明ありがとう。スポンジのようだと薄ら思ったのは内緒だ。
「続いて、このランポーレと言う名のワイン。成分はあなたが見た限りあの血酒に漬けたオオシロ様の唾液か何かの液体でしょう。大体、麻薬に似た中毒性に催眠効果を付属したたちの悪いブツですわね。効果期間はまだ10日が限界っと……」
「あの酒、催眠効果あったんです!?」
「危うく貴方良いように操られて殺されていたかもしれませんわね……」
恐ろしいことを言う。そうか、麻薬的な中毒性、確かに帰ってしばらくは飲みたくて仕方がなかった気がする。なかったので助かったのか。
「目的は具体的にははっきりわかりませんが、オオシロ様の復活が一番の目的でしょうね。それもちゃんと操作しやすいように改良しての」
最後のプリントをたたく。内容は『神降ろし』
濃度の高いオオシロ様の血液を摂取させ、その体に流れている元の血液と交換する。うまくオオシロ様の力が定着せずに消えてしまうこともあるため多く試さないとならない。定着した者は、しばらくの昏睡のち、皮膚がゆっくり鱗へと変わって行く。
一人の女性の姿が脳裏をよぎった。そばかすの散った柔らかい笑顔、そのそばかすが目立たないほどカサカサに干からびた彼女。眩暈がした。
「それなら、復活させる事はないんじゃねぇです?降ろす準備しちまってるのに」
「貴方未開封のペットボトルから飲み物をコップに移せます?といったところかしら……それとも魂でも2つに割って日它教と青桐グループで仲良く所有?」
なおさら復活させたくない。頭を抱えた。
だが復活させたくないにしてもどうやってあの人数と張り合えばいいか。ザッと見た感じだと10人以上は少なくともいた。こちらが銃器を持っていても対応できるかどうか怪しい。誤って殺してしまいそうだ。それに止めるとしてもどうやって止めたらいいのやら。あの床の模様をつぶせばいいのか。
その事について書かれていないかと持ってきた手帳を見る。大まかな予定しか書いてなく、欲しい情報は載っていない。
うんうん唸っていると、ヴァレンさんはスマホをたりだす。数回、コール音が響いた。
「あ、久木田さん、夜分遅くにすみません。上の階を借りているヴァレンティーナですが」
上の階、と言うことはもしかしてくま男だろうか?なぜ今連絡したのかと首をかしげたがその理由はすぐにわかることになる。
「ちょっと久木田組の方々お借りしてよろしいかしら?武器はこちらで用意しますわ。……えぇ、ええはい、報酬はちゃんとお支払しますのでご安心をええ!んまぁー!荒事担当のお方つけてくださいますの!?いやぁん!ちょっといい武器お渡ししたくなっちゃいましたわぁ!チャカでよろしいので?ジャパニーズ刀もご用意しますわよ?」
語尾にハートマークが見える。聞こえる。久木田組なんて知らないがたぶん、きっと、おそらくヤの付く自由業を経営しているお方たちなのだろう。あの手慣れたボディーチェックは納得した。のほほんとした優しい森の熊さんがアラスカにいる逞しいグリズリーに印象が変わった瞬間である。
「それでは後日、詳しい予定をお教えしますわ」と電話を終えたヴァレンはほくほく顔でサムズアップ。なにがだ。
「やりましたわね、これで戦闘員の方は確保しましたわよ。問題が1個解決しましたわ」
「えぇ……俺ヤクザと肩並べるんですかい……?」
「何言ってますの?久木田さんはカフェの経営と共にちょっと言いづらいお仕事してますのよ、ジャパニーズマフィアとは違いますわ」
それをヤクザと言うのではないのかと喉まで出かかった言葉を飲み込む。この人はこういう人だ諦めよう。とにかく肉体労働の方は安心できそうだ。
武器はどんなのにしようかしら~なんてのんきに言っているヴァレンを尻目に改めて資料を見る。どこかに妨害とかこれされたら失敗するので注意とか書かれていないだろうか。適当に透かしたりしてみたり試してみるが何も出ない。この資料には書いてないのだろうか。
「うーん、念のために切り札ぐらいは欲しいんですけど」
「え?全て燃やせばよくないかしら?どうせ人里離れた海辺なので被害は青桐の会社だけですわ」
「発想が物騒ですねェ……」
このヴァイオレンスお嬢様はもう少し穏便に解決しようと思わないのか。言葉は時に銃より役に立つ時があるのだ。まだその役に立った事はないが。
このままでは全てが燃えて爆発エンドなんて洒落にならない事になりそうなので必死に探してみる。あの童話をもう一度手に取ってみると、違和感に気付いた。最後の一ページが糊で貼りついて見えない様に工夫されている。とても丁寧に張り付けられていたため気付かなかった。
「ヴァレン、ちょっと。ここご丁寧に糊で貼りつけられてますぜ。何やら胡散臭い臭いがしません?」
ヴァレンは手元の童話をひょっこり覗き見る。なるほどなるほどと剝そうと手を伸ばされたので慌てて引っ込めた。その態度に不満そうな表情を浮かべて横腹をビンタされる。中の内容ごと引き裂いてしまったらどうするんだ。この人ならやりそうだと思った自分は悪くないはず。
「私器用ですわよ」
「本当ですか~?ベリン!ビリリッ!って勢いよくやりませんか~?」
「腹立つ言い方やめて下さいません?あまり煽るとお望みの通りの結果になりますわよ。任せなさい、こんなもの簡単に剥がして差し上げますわ!」
しぶしぶとヴァレンに渡す。受け取ればうきうきと社長椅子に戻り作業に入った。
ふう、と一つ息をつき紅茶を啜る。睨まれた気がするが気にしないでソファに身体を預けた。今日はなかなかに濃い一日だった。
瞼を閉じればあの巨大なミイラが脳裏に浮かぶ。あんなモノをどうして復活させたいのだろう。自分に被害が行く事とか考えないのだろうか。そんな事をぐだぐだと考えるが、結局は他人の考えなんて分かるものかと思考を放棄した。
少し眠っていたのか、自分の上には上等なブランケットがかけられていた。時計を見れば表示されている時刻は午前2時。ヴァレンはどうしたのかと身を起こせば丁度夜食を買ってきたのだろうビニールを持った彼女と目があった。
「貴方の好みなんて分かりませんので適当に買ってきましたの。お好きに取っていってちょうだい」
目の前にパンが広がる。おにぎりの方が好ましかったがせっかく買ってきてくれたので素直に礼を言う。メロンパンを手にとって齧りついた。
「そうそう、どうかしら?ちゃんと傷一つなく剥がす事に成功しましたわよ」
すっと渡された童話は確かに捲れる様になっていた。損傷はそんなにないのでかなり慎重にやってくれたのだと分かる。疲れたであろう彼女の為にお茶をいれれば当然と言った感じにふんぞり返った。
「でもねぇ、何か書いてあるという事はわかるの。ただ日本の大昔の文字なのか中国の文字なのか韓国なのかさっぱりで……。もう、日本のものなら大人しく日本語で書いてもらいたいですわね!」
スラスラと日本語をよんでいるのをここ数日見ていたのでちょっと意外だと思った。彼女が制作している書類には稀に英語が混じっているが、基本日本語で打たれている事もあって日本語に優れてるので古文などもマスターしている印象がある。流石にそれはなかったようだ。
理不尽な怒りを本にぶつける前に回収する。怒りの矛先がとられたヴァレンはパンにかじりついた。この時間帯に揚げパンを食べる事は女性にとって自殺行為ではないのかといった思いを心に畳み込んで本を開く。最後のページに書かれている文字は少しばかり新しく見える。確かにぐちゃぐちゃとミミズののたくった様な文字だ。神社のお守りとかに書かれている梵字とやらに似ている気がする。読めるのだろうか、と目を凝らした。全く持って読める気がしなさそうだとあきらめ半分で見ていれば自然と文字が頭に浮かぶ。
『太古に眠る大蛇の甘露、我ら其の毒息に身を捧げる』
投げた。
読めた、読めてしまったと心臓がバクバクする。読めた時に脳みそをギュッとされるような鈍い痛さがあった事もある。ヴァレンが投げた本を見事にキャッチした。
「ちょっと、貴重なモノなのよ!乱暴にするなと言ったのは貴方ではなくて!?」
「読め……よ!読め……た……」
全く知らない、見た事もない文字なのにスラスラと読めてしまった。何故だとパニックになる。自分の頭なのに自分の頭ではないような感覚がした。
「はぁ?読めたのならいいじゃないのよ。何をそんなに怯えてますの?」
「な、て、いきなり、頭にボヤァって、見た事ねェし、教わった覚えもないのに、ふっと頭に浮かんだんですぜ!?そりゃビビりますよゥ!」
キャンキャンと叫んでもどこ吹く風で頭にはてなを浮かべながら理解できないというように首をかしげる。これだから精神の図太い人間は……。
「問題解決するならいいじゃないの。ほら、さっさと続きを読みなさいな。ほら、ほら」
「いいいいぃ、お、押し付けないでくだせェよォ!読みます!読みますから視界にあんまり入れないでください!」
ぐりぐりとページを頬に押しつけられる。先ほどの奇妙な感覚がまだ残っていて気分が悪い。しぶしぶながら受け取り、朗読を始めた。
『太古に眠る大蛇の甘露、我ら其の毒息に身を捧げる。誉を、富を、力を授けよ、我らは汝の壱部にならん。月夜の眼下に我らを視よ』
痛い。心も頭も何とも痛い。心の柔らかいところがとても痛い。一部を読み終え堪らず中断してチラリとヴァレンを見れば続きを催促する目をしていた。コレすべて言わないといけないのかと羞恥に染まった顔を向ければしっかりと一つ頷いた。
『地に眠れ、廻らば悠久の常闇に還らんことを。汝、害毒の大蛇なり』
これで終わりと顔を上げればそれだけ?とつまらなそうな表情がある。自分は恥ずかしくて痛くて堪らないのにこの顔よ。本を机に置いてそういう時期の人物が作った様な呪文が書かれたページを閉じる。
「なにがそんなに恥ずかしいのよ。別に男女の営みでも貴方の失敗談でもありませんのに。召喚と退散の祝詞やそのあたりの呪文でしょう?」
「古代から日本人には不治の病を思春期に発病するんですよ……」
自分の考えた呪文やらを書いたノートはきっとどこの家庭にもあると信じたい。納得していないのかヴァレンは首をまた傾げた。お茶と共に鈍い頭痛を流し込む。
「まあ、覚えておいて損はなさそう……と思いたいですねィ」
「なら覚えるまで読まなくていいんですの?」
「ええ、もう、なんか……覚えてます」
いったい何で読めて、理解できて、覚えられたのか分からないがラッキーだったと前向きに思う事にした。もう身体は家に帰る気力も残ってなく、事務所のソファを借りて眠ることにする。
ここから先、地獄を見る事は、自分はまだ知らない。




