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七星覇王伝

茉莉双花(まつりそうか)

作者: 早海和里

 庭先から少女の明るい声が響く。

 その声に、私は思わず手にしていた冊子から顔を上げた。外を見ようとして、顔を巡らせる。その途中で、部屋の壁に掛けられた鏡に映る自分の顔に目が止まる。

 そのまま外に目を転じると、明るい春の陽光の中に、同じ顔が見えた。


 私たちは、双子なのだ――

 私が見ている事に気付くと、妹の茉那まなが手を振った。


莉那りなもいらっしゃいよ。梅に春告鳥はるつげどりが来ているの」


 言った側から茉那まなは体勢を崩すと、侍女の差し伸べた手を掴み損ねて、勢い良く池に落ちてしまった。そのせいで、茉那まなはその晩から熱を出し、翌日招かれていた宴には、私一人で行く事になった。




 社交的な茉那まなは、この手の宴が好きだったが、同じ双子なのに私は宴があまり好きではなかった。どちらかと言えば、部屋で冊子を読んで、空想の世界で遊んでいる時の方が落ち着けた。


 私たちはもう十七だから、出来るだけこういう宴に顔をだして、男性から見染められなくてはならない。

 大抵の娘は、十五までにはそうして片付いてしまうのだから、少しトウが立ってきた感のある私たちに、親も気が気でないらしく、どこぞで宴があるとかいう話を聞くと、私たちは否応なしに連れて行かれた。


 双子だという事で、二人で一緒にいるとやはり物珍しいのか、私たちの周りには、いつもすぐに男性の輪が出来た。そのお相手は、主にお喋り上手な茉那まながしてくれたから、私は隣で、当り障りのない返事を返して、愛想よく笑っていれば良かった。


 それなのに、今日は茉那まながいない。

 親に連れ回されてひとしきり挨拶を済ませると、私は宴の灯りから外れて一人庭に出た。ふと、そこに仄かに梅の香を感じて、その匂いを辿り庭の奥へと入りこんで行った。




 月明かりの中、池の端に見事な梅の古木があった。

 その花の色は、慎ましやかな薄紅色だった。


 そんな花を見つけられた事が嬉しくて、その事に気を取られて足もとが疎かになっていたのだろう。つま先を庭の敷石に取られて体が宙に浮いた。


 月を映した水面が、みるみると迫ってくる。落ちる……と思って、目を閉じた。


「上にばかり気を取られていると、危ないですよ」

 その声と共に、私は誰かの腕に抱きとめられていた。

「……大丈夫ですか?」

 そう問われても、私は驚きで声も出ない。


 そんな私を落ち着かせる様に、優しげな笑みを見せてくれたのが、陵河りょうかさまだった。

 それから、姿を消した私を侍女が探しに来るまでの少しの間、私たちは池の端に座って話をした。



 陵河さまは、この日、宴を催していたしょう家のお方だと言った。だが、今宵だけではなく、これまでにも、方々の宴でお見かけしたことはなかった。


 そう言うと、どこか陵河さまは気恥ずかしそうにしなから、宴というものが苦手で、あまりそういう場所に出向いた事がないのだと言った。


「それでも、夏寮かりょう家の姉妹のお噂は存じていますよ。近寄りがたし、茉莉双花まつりそうかとね。成程、そのお美しさならば、男たちの話題に上るのも分かる」

「……私などは。妹の茉那まなの方が、愛嬌もあって殿方には人気があるのですわ」

「陽光の茉那まな姫、月光の莉那りな姫という訳ですね」

「私は、茉那まなと共にいるから、双花などともてはやされているだけで。一人では、殿方を楽しませる話一つ出来ない詰まらない女なのです」

「……私は、楽しいですよ。今、こうしてあなたと話をしている事が」

陵河りょうかさま……」

「陽の光は、私の様な男には眩し過ぎます」

 そう言って、陵河りょうかさまは中空の月を仰いだ。




 それから私たちは、逢瀬を重ねる仲になった。

 その事を察した茉那まなは、引っ込み思案だった私にそういうお方が出来た事を、本当に喜んでくれた。


 そんな幸せな気分で過ごした春が過ぎて、夏の気配を感じ始めた頃、私たちに突然の別れが訪れた。

 陵河りょうかさまは、武官として仕官する為に、都へ上って行ってしまったのだ。


 別れの言葉も無かった――

 私は、そのお帰りをお待ちしていていいのか。

 それすらも分らなかった。



 その別離の理由を私が知ったのは、夏を越えて秋風が立った頃だった。

 しょう家のご嫡子、璋鎧しょうがいさまから、婚儀の申し入れがあったと父から告げられた時だった。陵河りょうかさまは兄上の為にその身を引かれたのだと、そう気づいた。



 陵河りょうかさまは、しょう家の三男だったが、実は璋家のお血筋のお方ではなかった。

 そのお父上は、璋家に仕えていた臣下で、先の内乱の折に、身を呈して主君を守り、命を落とされたのだそうだ。


 それで、身寄りをなくした陵河さまは、お父上のその武勲と引き換えに、璋家のご養子となられたのだという話だった。形の上では璋家の人間となった訳だが、その暮らし振りはその身に馴染まぬものだと、そう言っていた。


――自分は、どう逆立ちしても兄たちの様にはなれない。ここは、自分のいるべき場所ではないのだと。


 兄君が私を望まれたから、身を引かれたのだと分かっても、私の心は納得しなかった。

 自分に対する思いは、その程度だったのか。あの幸せな思いは、自分だけの思い込みであったというのか。そう思うと口惜しさばかりが募って、ただ涙に暮れた。


 初めて思いを寄せたその相手から捨てられたのだという思いは、私の心に深い傷を残した。




 その婚儀を断ることも出来ず、冬を待たずして私は璋家に嫁した。


 璋鎧しょうがい様は、この婚儀を機に、璋家の当主となられた。無骨なお方ではあったが、私を大事に扱ってくれて、私は失った恋を心の奥で嘆きながらも、表面上は穏やかな日々を過ごした。


 それから、六年の月日が流れた――




 都へ行ったきりの陵河さまは戻る気配もなく、あの時の恋の記憶は、すでに幻の様な曖昧な存在になっていた。

 そんな頃だった。

 璋鎧さまが、珍しく陵河さまの話題を持ち出された。



 陵河さまは、その名を璋翔しょうしょうさまと改められ、今や将軍の幕僚となられる程にご出世なさっているのだという。そんな話を耳にして、心の奥に埋めていた思いが熱を帯びた。懐かしさと共に、消えたはずの恋しさが浮かび上がってくるのを、押し留める事が出来なかった。


 そのご活躍ぶりは都でも評判で、あちこちの家から、婿にという話が数多来ているのだという。


 そう聞いた途端に、言い様のない嫉妬心が湧き上がって来た。陵河さまが、どこの誰とも知らない女をその腕に抱く――

 そう思うと、心が揺れた。

 あれから六年もの歳月を経ても尚、これ程の思いが残っていた事に自分でも戸惑いを覚えつつ、私は、陵河さまに会いたいと思う心を抑える事が出来なかった。


「……妹、茉那まなは才が勝ちすぎて、未だ独り身でおります。もし宜しければ、璋翔殿と茉那を一度、引き会わせてみてはいかがでしょう」

 その提案に、璋鎧さまも異存はなく、私は茉那と陵河さまを引き合わせる為の仕切りの一切を任された。



 そこで、

 私は、

 茉那と入れ替わった――



 茉那は、私が以前慕っていた御方が、陵河さまだとは知らなかった。だから、その見合いの話をすると、都で噂の貴公子が相手だと知って単純に喜んでいた。


 璋翔様は、都で浮いた話の多い御方。だから、しっかりと茉那の事を見てくれているのかを試してみてはどうかという、それらしい理由を付けて、茉那に私と入れ替わる事を提案した。

 よもや、兄の細君と見誤る様では、この話はやめた方がいいかも知れないと……


 そう言うと、茉那にも、ほんの悪戯心が生まれた様で、私たちは入れ替わり、座る場所を逆にして、陵河さまの来訪を待った。それがどういう結果をもたらすかなど、考えていなかった。



 ただ、私は、陵河さまに会いたかったのだ。

 そして、彼に見分けて欲しかった。

 彼が好きだと言ってくれた月の光を。

 


 その瞬間――



 茉那の振りをしている私を一目見て、陵河さまは眉を顰め、傷付いた様な顔をなさった。

「随分と、残酷な仕打ちをなさるものですね……」

 絞り出す様な声で、それだけを言い捨てて、陵河さまは立ち去ってしまわれた。


 私の思いが消し切れなかった様に、陵河さまもまた同じ思いを抱えていらっしゃったのだと、その事を知って、私の胸は締め付けられた。だがその半面で、私達の恋は確かにあの時、そこに存在していたのだと、そう思う事で心の傷が少し癒された様な気もした。


 陵河さまはそのまま都にお戻りになり、茉那との結婚の話は白紙に戻ったと聞いた。私は、心の隅に陵河さまへの思いを抱きながら、また元の暮らしに戻って行った。



 その半年後――


 私は璋鎧さまから、信じられない言葉を聞いた。

 茉那と陵河さまが結婚すると……




 茉那まな陵河りょうかさまが結婚をする――


 そう聞かされて思わず呆然とした顔をした私に、追い討ちを掛ける様に、璋鎧しょうがいさまの氷の様な声が言った。

「あやつへの思いは、もう絶ち切れ」

 返す言葉がなかった。


 事の始めから、璋鎧さまは全て承知していたのだ。この胸に秘めた思いを。それから、私は璋鎧さまとの間に、距離を感じる様になった。何も言わずに、彼が私を見ていた年月。その心の内はどんなものであったのか。


 私は数え切れない程の傷を、彼に付けてしまっていたに違いないのだ。




 その後、国内の政情は不安定になり、やがて内乱が始まると、璋鎧さまは兵を率いて都へ行ったまま、戻らなくなった。

 心のわだかまりを抱えたまま、それを償う機会も与えられないまま、空しく時は過ぎて行った。


 やがて、新しい皇帝陛下の即位があり、この地方は陛下の弟君である大公の直轄領となった。

 世の平穏の訪れと共に、その大公殿下がこの地の行政官として着任するのに従って、璋鎧さまも屋敷に戻って来られた。




 久しぶりに会った璋鎧さまは、相も変わらずにさほど愛想は良くなかったが、以前の様な冷たさは感じられなかった。

 時を掛ければ、かつての過ちを少しずつ償っていく事が出来るかも知れない。その時の私は、そんな淡い希望を抱いていた。だが、その望みはやがて湧き起こった戦雲の気配と共に、儚く打ち砕かれる事になった。


 即位したばかりの皇帝陛下が、僅か二年という在位で崩御なされたのだ。そして、その死に暗殺の疑いありとして、新たな皇帝となった先帝の皇子と、先帝の弟である大公殿下との間に、帝位の継承を巡って争いが起こったのだ。



 その頃、陵河さまは、新たに増設された車騎兵軍の元帥に任じられたばかりだった。

 すでに璋鎧さまは、この地の大公様に付くという意志表示をされており、陵河さまがそのまま元帥位に留まるという事になれば、いずれ皇帝軍を率いてこの地に進軍するという事もあり得る話だった。


 その事を危惧した陵河さまから、璋鎧さまへ書状が届いた。

 そこには、自分は元帥の位を辞して、郷里に戻る所存でいると記されていた。




「……璋翔には、都に留まる様にと伝えた。この戦は、先が読めない。もし、大公様が敗れる様な事になれば、璋家は取り潰しになる。故に、奴には、ここに戻ってはならぬと、そう伝えた」

「璋鎧さま、それは……」


 そこに、口にした理由とは別の真意の存在を感じた。自分を見据える私の顔を見て、璋鎧さまが目を伏せた。

「済まぬ。私は、情けない男だな。奴が戻れば、そなたの気持ちがまた揺らぐかもしれないと……そんな事を考えてしまうのだ」


 かつて私が付けた傷は、それ程に深かったのか。そう思うと、打ちのめされた。それでも私は、縋る様に言葉を投げ掛ける。


「私を信じては頂けないのですか……」

「……私は、そなたの心を知るのが、怖くて堪らない。こんな思いを抱えたまま生きるのは、もう耐えられないのだ。だから、その思いを断ち切る為ならば、奴と刺し違えても構わないと思っている」

「そんな……」

「この私が璋翔を討つ。そなたは、それを見届けよ」

「お願いです……その様な事は、どうかお止め下さい。いま私が愛しているのは、あなたです。どうしてそれを、信じては頂けないのです」

「人の心が、目に見えるものであれば、この様に惑う事もないのであろうな……」

 璋鎧さまの顔に影がさした。


 言葉を尽くしても……

 体を重ねても……

 もう、その心を動かす事が出来ない。


 小さな恋の炎は、何故消えずに燻り続け、これ程に運命を焼き尽くす業火となってしまったのだろう。そこにはただ、絶望が残っていただけだった。



 そして自責の念に苛まれながら、迎えた運命の日――

 璋鎧さまは、陵河さまの手によって、その命を絶たれた。





********





 莉那りなの遺した娘が、もう二歳になった――


 春告鳥を追って梅の林を駆け回る様は、しとやかだった母親とはあまり似ていない。その育ての親である、陽の姫の影響が大きいのだろう。茉那まなは今も子供と一緒になって、庭中を駆け回っている。


 兄を討った時、その場にいた莉那を、自分は炎の中から連れ帰った。だが、その心も共に救い出す事は出来なかった。


 連れ帰った莉那はすでに正気を失っており、その時に身ごもっていた子供の命と引き換える様にして亡くなった。



 今年もこの庭に、梅の花が咲いた――



 莉那が亡くなった後、茉那はその死を悼むかの様に、莉那が好きだったという梅の木を庭に沢山植えた。そうして、今では庭の半分ほどが立派な梅林になった。


 お陰で春先になると、屋敷中に芳しい梅の香りが立ち込める。そんな林の奥深くで、あの梅の古木は、変わらずに懐かしい香りを漂わせているのだろうか。


 この思いが、消えることなく何時までも残っている様に……

 それとも、新しい梅の香と重なり、混ざり合って、もうそれとは見分けがつかなくなっているだろうか。


――梅の頃になると、ふと、そんな事を考える。




【 茉莉双花 完 】



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