裏表アンドロイド
コインの裏表。それは知らなければ分からないまま、知れば見ただけでどちらか分かる。
でもそれだけでは、どちらが本当か分からない。コインにとっての『真実』は、コインしか分からない。裏か、表か。どちらが本当で、どちらが嘘か。
あいつにとっての『本当』がどちらなのか、俺にはまだ、分からないままだ。
♦︎
「空見上げて食べるパンは美味しいかい?」
窓から顔を出して、校舎の壁に体重を預ける俺にあいつはそう言った。
「うめぇよ」
「ほんと? 快晴の中ぼっちな食事に味も何もないと思うけど」
馬鹿にしたような笑顔でそう言う。
「大事なお友達、呼んでるぞ」
校舎の中から呼ぶ声だけが聞こえる。…… 群れるのは、嫌いだ。
「今いくよ〜! …… じゃあね、ぼっちさん」
「じゃあな、嘘つき女」
「ほんっと口悪い。だから友達出来ないって分からないかなぁ?」
「…… 自分偽って作った友達なんて、表面上の付き合いでしかないだろ」
「なんとでも。嘘だろうと私なんだから関係ないし」
そう言って、あいつは友達の元へと走っていく。
「…… そんなに群れてないと不安か」
最後の一口を飲み込んで、空に向かって呟いた。
♦︎
変わったの一言で片付く。あいつが自分らしさを捨てた日から、俺はあいつと向き合ったことはない。
馬鹿なあいつのほうが好感は持てた。思ったことを隠さず、はっきりとものを言うあいつの生き方は見ていて爽快だった。
人はどこかで勘違いする。 仲がいい、と言うことを優しくしてくれると履き違える。自分に酷いことはしない、言わないと勝手に思い込むのだ。だから、昔のあいつは良かった。
気を使うと言うこともせず、思うことをそのまま相手に投げつける。 無防備で無警戒な心には、それがとても突き刺さるもので。 事実の前に、人は自分の愚かさを恥じる。 恥ずかしさでその場から消えてしまいたい、あいつの言葉にそんな顔をするやつがほとんどだった。
だからこそ。言われたことを受け止める俺が、あいつには面白かったらしい。 ありきたりな反論や、口だけで自分が見えていない人とは違うと言っていた。自分を否定出来ない人は、とても簡単でつまらないものらしい。
そんなあいつが、高校入学と同時につまらないやつの仲間入りをした。笑いながら人の心に刺さる言葉をぶつけていたやつが、気味の悪い笑顔で人に合わせるようになった。
「気持ちわりぃ」
「…… 一人ってのはね、やっぱ寂しいもんだって気づいたの」
「だから嘘つきになるのか?」
「…… 手、出してみて」
そう言われて、俺は意味も分からず右手を前に出した。
「ほら。人と繋がるってさ、あったかいでしょ?」
出した手にあいつの手が重なって。あいつの体温が、俺の肌に伝わった。
「…… これが欲しいから、お前は自分捨てるのか」
「ちょっと違う。これが貰えるなら、私は私を捨てられるの」
「弱いな。あんだけ他人を傷つけてきたやつがそれかよ」
「弱いよ。弱いから…… 私の心も痛くなることに気づけたの」
そう言って、あいつは悲しい顔をした。今まで見たことない、おそらく最初で最後のあいつの弱さ。
「…… 好きにすればいいんじゃねーの。そもそも俺に伝える意味が分からねぇ」
「んー…… あんたは変わらないでねってことかも? 変わっちゃったらさ…… 今までの自分を全部否定することになると思うから」
あいつからの初めての頼みだった。
「…… お前に言われなくても、変わらねぇよ」
「…… お? 珍しく素直じゃん?」
「うるせぇ」
「あはは!」
あれが多分、俺が知ってる最後の笑顔。 今のあいつの笑った顔は…… 俺からしたら、つまらない。
♦︎
「…… タイミングわりぃ」
あいつが言ってた快晴は、帰る頃には薄暗くなっていた。 置き傘は…… あったら都合が良すぎるか。
「あの……」
「あ?」
「こ、これ使ってください! わ、私は折りたたみ持ってるんで!」
誰かも分からぬ女子が、俺に透明な傘を差し出してる。使っていいなら助かるけど、お前誰だよ。
「…… ありがとう」
「いえ! あの、じゃ私はこれで!」
「おい」
「は、はい⁉︎」
「あんた、電車通?」
「はい!」
「俺も電車だから駅まで一緒に行く。後で返すのは面倒」
♦︎
…… よく喋るやつだ。雨の音のほうが全然聞いていて落ち着くくらいに。それにしても、あいつもこんなのと友達ごっこやってんのか。やっぱ群れるやつの気持ちは理解出来ない。する気はねぇけど。
「あの…… 私ばっかり喋ってごめんなさい」
「…… いんじゃねぇの。喋りたいんだろ?」
「…… 優しいね」
…… 喋りたいやつに喋るなって言っても、結局いつかは聞かされる。なら、今言えるだけ言えばいい。俺は別に聞く気はない。
「あの子はやめとけって言ってたけど…… 全然そんなことないですね! 嘘つきって言っておきます!」
「…… いんじゃない」
本当に嘘つきだしな。
「あの……」
「なに」
「…… 付き合ってる人とか、いますか?」
「いないけど」
「そ、そうですか」
…… 人は勘違いする。勝手に相手を自分の都合で作り上げる。ふざけるな、そんな人間じゃねぇなんて言っても無駄。人は一度持った真実をそう簡単には変えない。
なに照れてんの? 勝手に妄想膨らませて、もう未来予想でもしてんのか? …… つまんねぇ。本当に、つまらない。
…… 俺と、目の前の女子が抱いた真実を重ねる方法はーー
コインのように。 見せている面を変えればいい。
♦︎
「…… はい。もしもし」
「最低だね、あんた」
「なにが」
「言い逃れできると思ってんの? あたしの友達、泣かせたでしょ」
「泣くか泣かないかは、あの女の判断だろ」
「人の気持ち理解しないで偉そうに言わないでよ!」
…… でかい声で言わなくても聞こえる。それよりーー
「感情のまま喋るのはやめたんじゃねぇの?」
「ふざけないで」
「ふざけてない。俺はお前みたいに変わってないからな。思ったことを喋ってるだけだ」
「あんたみたいに誰でも強いわけじゃないの! 機械みたいに壊れたなら直せばいいなんて単純じゃない! 心って脆いんだよ? 死んじゃいたいって、簡単に思えるんだよ⁉︎」
別に俺は強くない。勘違いするな、むしろ俺は弱い人間だ。…… 一匹狼気取って、弱い部分を隠してるだけ。人との繋がりに怯えてる、ただの弱虫だ。
「…… あのさ」
「なに? 謝る気になったの? あたしに謝っても意味ないけど」
「好きだよ。お前のこと」
あの日重ねた手のひらの温もり。あの時からか、それよりずっと前か。もう曖昧だ。でもずっと、お前とだけは繋がっていたいと思っていた。他愛もない会話が、温かいと感じるから。
「…… ふざけないで。さんざん嘘つきって言ってるくせに。あんたの嫌いなタイプじゃん。それよりあの子に謝って!」
「嫌いなタイプなんだけどな。嫌いにはなれねぇみたいなんだわ。 猫かぶってようと好きなんだから、多分お前そのものが好きになってんだろ」
「な、なに言って……」
「…… 謝るよ」
「え?」
「お前の友達。まぁ、俺と話したくもないと思うけどな。明日謝る、それでいいか?」
「…… 分かった」
嘘だろうと。偽っていようと。お前にとっては大事な存在なんだろう。 お前が誰かのことを考えるなんて無理だと思ってた。本当に…… 変わったんだな。
「…… あのさ」
「もう話すのも、やめにするか」
「え?」
「お前の友達、気にするだろ? 言っとくが、俺のせいで仲が悪くなっても責任なんてとれないからな」
「そんなことないよ」
「あるんだよ。それが俺が群れるの嫌いな理由だからな」
きっかけ一つで、人との繋がりなんて簡単に切れてしまう。今の俺とお前みたいに。
「…… 友達大事にしろよ」
「いや、あの」
「じゃあな」
何かを言う前に。これ以上、何も起きないように。画面に表示された『終了』の文字を押した。
「…… 確かに。どれだけ偽っても無理だな」
偽っても、それがたとえ嘘でも。 人は人のままだ。心が消えることはない、機械にはなれない。
「…… 消せるか? これ」
終了した気持ち。テレビの電源を落としたら、映像が消えるように。 終わったから、終了なのだと簡単にはいかない。 それが人間だ。それが心を持ってしまったことの代償。人が人でいるための、証明とでも言えるのか。
「…… いてぇ」
終わりを告げたのに心に残る。いつか消えるのか、いつまでも残り続けるのかは分からない。
あいつの手の温もりを知った日。変わる前の、最後の笑顔を見た日。あの日、あいつが言っていた痛みが。
今、ようやく分かった気がした。
終