最終幕
「ご臨終です」
医師が冷静に告げる声に、有紀は呆然と立ち尽くした。目の前には、愛しい婚約者の姿。数時間前までは共に笑っていた彼が、無惨な姿で横たわっていた。
「う…そ…」
震える手で、彼の髪をなでる。ふいにべたつく感触がして指を見た。指についたのは、…血。有紀をかばってトラックに飛び込んだ、彼のもの。
「いや……いや―――!!」
冷たい病院の床に倒れ込む。いっそこのまま、後を追いたいと思った。
「かわいそうに…彼女、天涯孤独の身らしいわよ」
「これからどうするのかしらね」
「亡くなった方の親戚も、遠縁ばかりらしいじゃない」
葬儀会場を抜け出し、ふらふらと街中を彷徨う。化粧はぼろぼろ、髪はぐしゃぐしゃ、そして全身黒の服のおかげで行きかう人々から好奇の目で見られている。ただ、有紀にはそんなことは関係なかった。
思うことはただ一つ。「会いたい」と。
「ここは……」
何も考えていなかったはずなのに、夕暮れが迫る頃辿りついた場所は、菜の花交差点だった。有紀は一瞬目を見張るが、次の瞬間極上の笑みを浮かべる。
「ここならきっと…」
あなたに会える。
有紀は『菜の花交差点』と書かれたプレートを愛しげになでると、帰宅ラッシュで混み合う交差点に身を投げた。
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「ユキ! お客さんだよっ」
「はいっ」
三年後、有紀は異世界の小さな村、イェンカにいた。森で倒れていた有紀を助けた人が宿屋の女主人であり、言葉も分からなかった有紀を見捨てずに養い、家族同然に接してくれている。そして有紀はささやかな恩返しにと、人手不足に悩む宿屋で働いているのだった。
「ご注文は?」
「俺はセンジュと野菜炒め。こっちはクッパを頼む」
「はい、お飲み物は?」
初めは心細さと彼が恋しいのとで泣いてばかりいた有紀だが、今では宿屋の看板娘として日々忙しくしている。もちろん彼のことは一日たりとも忘れたことはないが、生まれて初めて出来た『家族』に喜びを感じていた。
「おかみさん、センジュと野菜炒め、それからクッパを…おかみさん?」
厨房へ戻ったが、豪傑な女主人こと、マーテルの姿が見当たらない。有紀は店全体をぐるりと見渡し、隅に陣取っている集団へ近づいていった。
「…やはりそうかい」
「ああ、ここから二日もすりゃ行ける街が壊滅状態になってやがる。奴らの仕業だ」
「ここにも来るなんていわねーよなあ」
「バカ野郎、そんな訳ねーだろが!」
「……おかみさん?」
ひそひそと話しをする集団の中に母親代わりの人を見つけた有紀は、怪訝そうな顔で覗き込む。マーテルの顔が、今までにないくらい厳しいものになっていた。
「一体どうしたんですか?」
「ユキ、今日はもう店仕舞いだ。すまないが、二階の客にもそう言っておくれ」
マーテルはそれだけ言うと、その大柄な姿で次々と店内の客を帰らせ始めた。ユキはあっけにとられて見ていることしか出来ない。
一刻ほど経ち、店内が粗方片付くと今度は身の回りのものを纏めろと言われる。ユキは不安になりマーテルに詰め寄った。
「おかみさん! どうしてこんなことをするんですか!? 何が起こるの?」
「ユキ、良く聞いておくれ。隣国のハッシュで内戦が起こっているのは知ってるね。もうハッシュは崩壊寸前だ。それでそこの軍が暴徒化して、国境を越えてきているらしい。……もうあの国には食糧もないだろうからね」
「そんな…それじゃあここも」
「そういうことだ。準備が出来次第、ここから離れるよ。少し遠いが、西方の街に知り合いがいる。そこを頼るつもりだ」
ユキは呆然とした。確かにここはハッシュの国境から近い場所にある。しかし第二の故郷ともいえるこの場所を離れるのはつらい。それに、やっと打ち解けられた村人たちと離れ離れになるのが耐えがたかった。
「でも、私は……」
思わず泣きそうになり、慌てて下を向く。すると家の外から村人の悲鳴がして、二人は飛び出した。
「馬鹿な……!!」
マーテルが呻くように言う。目の前には、村人の十倍はいるだろう兵士達がずらりと並んでいた。どの兵士もぎらぎらとした目をしていて、薄汚れている。微かに見える甲冑の紋だけが、彼らをハッシュ国の者だと証明していた。
イェンカ村は、占拠された。
+++++
「もう食糧はねえのか!? 隠した奴は殺すぞ!!」
兵士の殺気立った怒号が響き渡る。ユキを含め村人たちは全員小さな小屋に詰め込まれて監禁されている。恐怖のあまり泣き喚く子どもを、兵士は乱暴に殴った。
「うるせええっ! 黙れ!!」
そして更に暴行を加えようとする兵士。ユキは咄嗟に子どもの前に出て庇った。まともに頬を打たれ、唇から血が伝う。よろける足を懸命に踏ん張った。
「きさま……」
一瞬怯んだ兵士だったが、すぐにそれは怒りに変わりユキに向けられた。武器を取り出す相手を見て、ユキはここで一生が終わるのだと感じた。
――確かに私はあの時一度死んだ。でも、出来ればもう一度だけ、あなたに会いたかった……
周囲から悲鳴があがる。ユキは静かに目を閉じた。その時だった。
「おい、その辺にしておけ」
声が、聞こえた。あのヒトの、声が。
ユキはばっと上を向いた。そこには逆光で顔は見えなかったが、馬に乗った兵士がいた。
「でもよう、ジン」
「いい加減にしろサンガ、この国の軍に場所を特定されないうちに出て行くぞ。女を殴るヒマがあったら食糧を積み込め」
どうやらまとめ役の男らしく、サンガと呼ばれた兵士は渋々ながらも従う。後ろの村人からはほっとしたようなため息が漏れるが、ユキはそれどころではなかった。
「純也……さん…」
目も、口元も、少し角ばった頬も、全てあの人にそっくりだった。いや、あの人そのものだった。震えるユキの声が聞こえなかったのか、ジンはそのまま立ち去ろうとした。それを、精一杯の声で引き止める。
「待ってっ、じゅ、純也さん!!」
ジンが振り返る。
「置いて……行かないで…」
もう二度とあんな思いはしたくない。涙を流すユキに、ジンが怪訝そうに近づいてくる。
「何だ、えらい美人じゃないか、おい、俺らと一緒に行くか? 可愛がってやるぜ」
からかうようにジンがユキを見た。優しい婚約者などとは似ても似つかぬ暴言。しかしユキの全身がこの人と離れたくないと叫んでいた。
「………はい。連れてってください」
「ユキ! 何を…!?」
訳が分からないという風にマーテルが叫ぶ。当然だろう、自分たちの村を略奪した盗賊同然の男についていくというのだから。しかも身の安全の保障など、ある訳がない。邪魔になれば殺されるのは目に見えていた。でも、それでも。
――またこの人と離れたら、今度こそ私は狂ってしまうから。
「へえ…そんなこと言うのはあんたが始めてだが……いいぜ、後ろに乗れよ。名前は?」
「……ユキ」
「ユキ、ね。まあ今回は面白いもんが手に入ったから村人の命は助けてやろう。おい、引き上げだっ!」
ぐいっと手を引かれ、馬の背に荷物のように乗せられる。そしてそのまま馬は走り出した。呆然とする村人たちを横目にして。
「次は西へ向かう! 遅れるなよっ」
兵士に指示するその背に、ユキはそろそろとしがみついた。例え明日殺されても構わない。これからどんな運命が待っていても、いい――
「純也さん……」
ユキは、涙を流した。
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三ヵ月後、国を荒らした盗賊団が捕縛された。一人残らず処刑されたが、何故か一人だけいた若い女は、幸せそうな死顔だったと言う。
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「珍しいな、お前がこんな結末を許すなんて」
からかうような声。
「別に……飽きただけだ」
男は少し不機嫌そうに返す。
「そうか、じゃあまた次の遊戯を探すとするか」
「ああ……」
『菜の花交差点』、そこが地獄の入り口として開くことは二度とない。しかし確実に、次の門が開けられようとしている……
カミノキマグレハ、マダオワラナイ。
本当はもっと続けたかったのですが、暗い話に自分が耐えられませんでした。本当にすみません。読んで下さった方々に感謝します。