第39話 「元々、お体の弱い方でしたのでな」
リィノ様がお亡くなりになった理由……ですかぁ?
ご病気ですよ。もう……3年に、なりますか。病名は存じ上げませんけど、元々お体の弱い、病がちな御方だったそうで……。アタシがこの城に上がった頃にも、もう、寝たり起きたりを繰り返してらっしゃったんです。
起きてらっしゃるときにお目にかかると、毅然として優美でいらっしゃったし、気力が充溢しておられるというか……そんな風には見えなかったので、正直びっくりしたんですよぅ。
病名がどうとかというより、お風邪をこじらせて、程度のことだったかもしれませんねぇ。
えぇ……それは。だから……ある程度、予想されたことではあったかも、しれませんけど……。
聖印に向かってひとり拝跪しながら、レヴィンの頭の中では、少し困ったような侍女の声が思い返されていた。
今朝がた、部屋を解散するときに数分捕まえて、赤黒の魔女の死因について話を向けたのだ。
が、あの侍女はあまり昔のことや、魔女サイドのことには詳しくないようだ。
そのあたりのことを聞くとしたら、やはりもっと古くからここにいる人物だとか、魔女たち……は、多分、あれ以上は語らないような気がする。やはり本人や、国王などの当事者が一番早いだろうか。
――だが。プライベートを知りたがるというのはある意味リスキーだ。ことにあまり良い記憶でないのなら、掘り返せば不興を買うことも十分あり得る。
(……それでは、困るんですよ。私には……これからが、ある)
これからの外交面を考えるのなら、やはりこの国の首脳陣に個人的な隔意を抱かれるような状況は遠慮したい。……公私混同するような人々でないとは思うけれど。
(まあ、私が動かなくても、動くヒトはいるでしょうけどね)
――焚きつけているつもりか、と尋ねてきた静かな黒い瞳を思い出すと、自嘲めいた苦笑がもれた。
レヴィンの身勝手な思惑に勘付いていたのかどうか。夜のような彼の面は、不満も不審もうかがわせなかった。
(……ヒトに利用されることが、苦でない性質なのかもしれないな)
なにしろ、兄に自身の命を利用されるかもしれない状況にあって、「良かった」などと素で言う男だ。
あの黒い瞳の底には、全てを静かに包み込む深さがあるのかもしれない。それこそ……夜のように。
彼は、自分には聞く必要も資格もないなどと言ったが。
……それでも、少なくとも、今後について自由ではある。……たとえ、絶望的な自由さであれ。
一方で自分はといえば。
(すでに契約は成った。私は、国に帰る。来年の夏までにすることは山積しているのだから……そして、それ以降も)
それはもう決定事項だ。自分で決めたことだ。
予定外ではあったが、国王と王女にそれなりの確約を得た。だから、これ以上のプライベートな興味などは本来無用なこと。
あとは、あの黒皇子の今後を、できるだけこちらにとって都合の良い形に落ち着かせる。それで今回の件については十分すぎる成功だろう。
『西』としては。……東の勢力が急増することを望まない西の帝国としては。
一番避けたいのは、東の皇帝と、アルフ皇子が和解することだ。あの兄弟の政治力と軍才が協調することになれば、国の成長速度はいや増すことだろう。内治の王だからなどと安穏としていられない。西の建て直しをどれだけ急いだところで、間に合うまい。自ら身食いしてくれる現状は、むしろ望むところだ。
だが、一方で東皇帝の企図がすんなり成って、彼にとって都合の良い形でアルフ皇子が暗殺される、というのも避けたいものだ。それで国内の統一が図られるのなら、東の国力が増すことは間違いないのだから。
(つまり、ただ死んでもらっては困るが、ほどほどの不幸には見舞われて欲しい、というのが……あの兄思いの皇子に対する私の立場、ということになる。……酷い話だな)
頭を垂れて聖句を述べながら、口の端に浮かんだ笑みは更にほろ苦いものになる。
具体的には、皇帝が焦れて汚名を着てでも弟を無駄死にさせることを選んでくれるか……あるいは。そう。
(……この国に、残ってもらってもいいかもしれないな)
交渉次第ではその可能性はある。それだけでも十分、東の軍事力を裂くことになるはずだ。東との反目が残っても、あの国王陛下ならほどほどにいなせるかもしれないし。軍神の誉れ高い将軍だって、通商と外交を旨とするこの小国に納まっているなら、他国にとって安全なものだろう。
――納まる。……あの、王女の夫として。
ぞろり、と、胸の奥底の方で動くモノがあったような気がした。
なんだろう。まさか、自分は。
(羨ましい……の、かな)
あの不透明な未来に迷っている皇子が?
――いや。
それは、ない。
今ある明確な将来のビジョンは、全て。――自分で、決めたことなのだ。
けれど――。
(一点だけ)
兄が、と、口にするときに限って、真情を溢れさせるあの黒い瞳。
(……あれほど、誰か一人に心身を捧げて、信じ尽くすことができるという、一点にかけては――)
それは、ある種の愚かしさというものかもしれないけれど。……自分には、できないから。
(なにしろ、私は――)
祈りの言葉が最後の節にさしかかって、レヴィンは伏せていた目をあげた。
台座にしつらえられた聖なる印は、朝日の中に神々しく、輝いている。その、無慈悲なほどの沈黙。
虚ろなそこにむかって、表面的な聖句を口にしながら、こんなことを考えていられるほど、自分は。
(私は――神さえ、信じられない人間だから)
祈りを終えて、身を起こした彼の耳に、背後の扉から、
「うわぁ……鈴なりね」
という、可笑しそうな少女の声が聞こえてきた。
* * *
「リィノ様がお亡くなりになった理由……ですかな?」
白いヒゲを撫でながら片眉を上げた老人に、男は、にかっと笑って頷いた。
「そうでさ。ご老体なら数年前のことくらい、昨日のことみてーなもんでしょう?」
いかにも気難しそうに腕組みする老将軍の視線の先では、絶え間ない金属音が響いている。
ここは兵舎に並んで建てられている屋内訓練場だ。
さすがに屋外よりは狭いとはいえ、雨天の今日も、兵士たちはここで早朝稽古を行っている。
その中央には。
……まったく自然に仲間入りしている(どころか、またしても指導力をばりばりに発揮している)元将軍の皇子の姿があった。
「小手先で振るな」とか「体芯を意識してみろ」といった、通りの良い低い声に交じって、「はいっ」「ありがとうございますっ」と、実に嬉しそうな声が聞こえてくる。
……自分は。
(なんだって、のこのこついてきたのかなぁ)
と、セシルは思った。
(殿下は、喜ばないかもしれない。あまり深入りするのは。……なのに)
いや、本当は、理由なんて分かりきってるんだけど。
自分の好奇心と、それから……多分、この男が羨ましかったから。
ただ忠実なだけ、という以上の主人とのつながりを持っている、この従者が。
ちらりと視線を上げた少年の青い目に、汗を拭きながらソルド老に話しかけるゲーリーの広い背中が映った。
彼は黒皇子とともに、こちらの訓練に混ぜてもらいに来たのだが、少し剣を振った後は、指導者の位置を平然と明け渡して隅で見物を決め込んでいる老将軍に近づいていった。で、さっくり切り出した話題が、これである。
……つくづく、迂遠という言葉の似合わない男だ。
「死因、と申しましてもな。……元々、お体の弱い方でしたのでな。ちょっと無茶な魔術研究などしては熱を出して倒れる、ということを繰り返しておいででしたよ。そのうちの一度がとても酷くなって、という感じでしてな。……陛下も随分手を尽くされたのですが……その甲斐なく」
惜しいことでした、と述べるしわ深い顔は、虚空を介して過去に臨んでいるようだ。
「身体の弱い、ねぇ……」
とてもそんな風にゃ見えなかったが、とぼやくゲーリーに、老人の視線が戻る。
「……見る、ですと?」
「ああ。まぁ、なんつーかその」
言ってもいいんかな、という表情で頭をかくゲーリーに、セシルはたまりかねて言葉を挟んだ。
「……僕らは――昨夜、月の幻に、故人を見ました」
「ほぅ」と、再び片眉を上げる老人の表情は、明らかにその符牒の意味を正確に理解しているものだった。
老人は、厳格さのにじみ出ている口元を和らげて苦笑する。
「……まったく、あの方の気まぐれにも困ったものですな。城内にも知らぬ人間の方が多いんですがの」
魔術王国を謳い文句としているヒュールバーグにおいてさえ、魔術で何でもできると思われるのは迷惑なのだ。
死者がその魂を現世に残している、などということは、あまり喧伝したくない。
その言い分は、分からなくもなかった。
「そら……そうでしょうな。オレらだって、こんなこと言いふらしたりゃしませんて」
「だけど、だから……気になるんです。あれだけのことをした理由はなんですか? あれだけの準備ができる死なんて……」
「それで、それがしに、ですか。まぁ……妥当ですな。数年前どころか……17年前のこととて、老骨には昨日のようだ。――初めてリィノ様を拝見したときは、正直キモを潰したものですよ。まさかこんな美女が、と。……いや、まあ、我らが王は、お若い頃から……あの通りの方でしたからの」
ソルド将軍は、苦笑交じりにしばし黙した。ややあって、重たそうに口を開く。
「ですが……今、申し上げた通り。リィノ様は元々、お体の弱い方だった。――御子を作ることが、負担となる程には」
「……っ」絶句したセシルと、
「……そりゃあ……」それ以上の言葉が無いゲーリーの心中では、昨晩、王女が母親の幻の前で見せた満面の笑みが思い出されていた。それから、駆け寄って、半歩置いて立ち止まったこと。
もし。
自分を産んだことが原因で、病弱な母親が身体を決定的に壊したのだとしたら。
娘が、その魂の保存を固く決意したとしても……不思議は、ないか。
セシルは、小さな自分の身体が、かたかた震えてくるのを感じた。
あんまりだ、と思った。
そんなのって、ない。
何に対してかは、判然としないが……これは、多分、怒り。
「――想像はつかれたようですな」
枯れた声に、ゲーリーが顔をゆがめる。
「……まぁ、ね。……白い皇子サンが言ってたな、予測された死、か……。にしたって、ヒデェ、理由だ」
あんな細っこい肩に、なんでこうもあれこれの重みが乗ってるんだか、と吐き捨てるように言った男に、ソルド老は顔のしわをさらにくしゃっと深めた。それは一見笑っているようにも見えるが……目元は、不思議と泣き出しそうでもあった。
「……そうですな。だが、おそらくあなた方が想像する以上に、姫の負われた現実は、確実で残酷だ。あの方を産んだことで、身体の調子が悪くなってそのうちに……などという、あいまいな行いではなかったのですよ。魔女のしたことは。
予測……と、言うよりは」
――予定された死、だった。あれは、完璧に。
「――ゲーリー」
背に投げられた涼やかな低音に、男は慌てて振り返った。
汗の滲む額にかかった前髪をかきあげながら、黒髪の主がそこに立っている。
「た、大将! もーいいんですかい?」
「一通りはな。……俺に気付かないほど熱心に、何を話していたかは聞こえなかったが――込み入った話なら、場を変えて、後にしろ」
なにやら気まずい気持ちになって焦る従者に、皇子は淡々と言って、気遣うような視線を、老将軍に向ける。
その先で、老将軍の目が枯淡の色合いを取り戻すと、きっぱりとした双眸をまた従者に返した。
「――王女の話、なら――俺も、聞くから」
焚きつけ成功、と、ゲーリーが思ったかどうかは……セシルには、不明である。
* * *
ユミルがそこにたどり着いたとき。
扉の前には、侍女たちが鈴なりになっていた。
(……女官長が見たら、怒り狂うわね)
彼女らはそれぞれに、掃除用具だの、運び途中のシーツ類だの書類だのを手にしていて、いざというときは仕事中であるという体面を整える準備をしているつもりなのかもしれないが。
王女が歩いてきても、息を殺して窓だの細く開いた扉だのに釘付けになっているあたり、てんでダメダメである。
こんなことになってる理由は明白。
――なんせ、『祈りを捧げる聖皇子』が、至近距離で見られるのだから。……本日初めて、城勤め特権で。
レヴィン皇子の意外な行動も、妙なところで罪作りだ。
(……あ。シアまで何気に混ざってる。……ヒトを浴室に放りこんでおいて)
それに気付くなり、ユミルは思わず明るく声を上げてしまった。
「うわぁ……鈴なりね」
ばばばばばばっと、同時に振り向いた娘達は、そこににこやかな王女の顔を見つけて、一様に固まった。
「ひ、姫……っ」「あ、あああの、おはよーございます!」
「うん、おはよう」
「ななな、ナゼここに? いえあのっわ、私は、窓掃除なんですけれどもっ」
「わ、私はろ、廊下を磨いていて」
「水差しを運ぶ途中で」「朝食の膳に、ハーブが必要で」「雨が酷いので、水周りの確認を」とかなんとか、口々に言われるのが可笑しくて、ユミルはくすくす笑った。
「うんうん……ふふ、ご苦労様。この分だと、もしかして半分くらいは、兵舎の方に用事かしら?」
そちらでは、今『剣を振るう黒皇子』が見物できるはずだ。これは本日初公開というものではないが、兵士相手に、というのは、先日以来の稀少性である。
「な、なんのことですかぁ?」
視線をそらした一同の気まずさを代弁したのはシアだが、声が裏返っていた。
王女はヒトの悪い笑みで、それでも鷹揚に頷く。
「女官長には黙っておいてあげるから」
早く戻った方がイイよ、と、続ける前に。
――きぃ、と浮かし彫りの扉が開いた。
そこから現れたのは――無論、外の雨天を忘れさせるような笑みをたたえた聖皇子その人。
「なんだか賑やかですね」
ふわりと彼が笑うと、肩の聖布をとめた聖印章にあたった金髪がひと筋、一瞬折れてからさらっと流れた。
途端。
「「「「~~~~~~~~~っっっ!!!」」」」
声にならない黄色い悲鳴を上げて、クモの子を散らすように娘らがダッシュで逃げ去っていく。
……シアも混ざっていたりした。
「美人は三日で、って言うのに……。意外と慣れないものなのかしら」
ちょこんと首をかしげる王女は、確かに初日から慣れていたものだ。
傾けた首につれて揺れた髪は、まだ湯の香りを含んでしっとりしており、ざっとはおった白衣の肩に作る金の渦は、いつもよりくっきりとした形を描いている。
ほかほか温まったばかりの頬は、思わず触れたくなるような薔薇色で――。
とりあえず、レヴィンはその頬に自分の手を添えてみた。
「そうですね、私も3日以上たっても、まだ姫の美貌にくらくらしますし」
「「「「~~~きゃあああ~~~っ」」」」
余裕の笑みで何を言ってるんだか、とユミルがツッコむ前に、物陰から黄色い声が上がった。……今度はきちんと音になっている。
「…………気付いてやってるんですか?」
「ちょっとしたサービスです。視線や期待に鈍感なようでは」
――詐欺師は務まらないでしょう?――と、後半は耳元でささやかれた。
これがまた、無駄に甘い良い声だったりしたのだが。
「「「「~~~っきゃぁああああ~~~~~っっ!!」」」」
……再度の黄色い悲鳴に、ユミルは恥らうより、むしろうんざりした。
これなら、盛大な視線を背負いながらでも礼拝できることだろう。そりゃもう平然と。
「それはまぁともかく」と、ユミルは逃げるように半歩下がった。
「朝食までヒマなので、遊んでもらおうと思ってきたんですけど」
「お誘いですか。それは嬉しいな」
「だって、セシルたちもアルフ皇子にくっついていってしまって退屈なので」
「……セシルもですか?」
「ええ。何しに行ったかは知りませんけど」
すくめられた細い肩の事が、ちょうどその頃、ゲーリーの口に乗っていたりしたが、それはユミルのあずかり知らぬところである。
「チェスの再戦、なんてどうかと思って。それで、礼拝はもう終わったんですか? 一応時間を見計らって来たんですけど」
「ええ、たった今。ああ、待っていて下さったんですか。途中でおいでになっても良かったのに」
「良いわけないでしょう……早朝礼拝の真っ最中に魔女が乱入して」
「――神の家の扉は、いつでも、誰にでも、開かれてるものなんですよ。……信ずる者にも、信ぜざる者にも」
にっこり笑ったレヴィン皇子に、王女はきょとんと晴れた空の目を見開いた。
「……どうかしましたか?」
「いえ……今のは、なんだかあまり空々しく聞こえなかったです。今まで聞いた司祭マニュアル的なお題目とはちょっと違う感じが……不思議ですね」
首をひねったユミルが、「誰に教わったんですか、それ?」と尋ねると、今度は皇子が驚いたようになる。
「……どうかしました?」
「いや……本当に、貴女ときたら……」
そして苦笑が広がった口元を手で覆って、「毎回、驚かされますよ、鋭くて」と、隠すように呟いた。
それで。
……どうして、そう思ったのかは判然としないのだが。
ユミルは。
「……女性ですか?」
気がついたら、そう聞いていた。
これには、いたずらっぽい笑みが返る。
そのまま皇子は、立てた人差し指を、綻ばせた口元に当てると、
「――内緒です」
後光でも差しそうな笑顔で、ささやいたのだった。




