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第33話 「あれ? なんで知ってるの?」

 ――彼女は、まるで強烈な光そのもの。

 僕の、太陽のようなひと。



 白衣をまとったユミルは、魔術院にくるなり駆け込んだ薬品庫でうなっていた。

 手には、ざっと練り合わせた薬剤がある。

「……く、悔しい。あの色男め……。間違いなく本物だわ……」

 言ってから、「え? イヤだなぁ、姫。私が貴女に嘘なんてつくはずないじゃありませんか。保証金代わりって言ったでしょう?」と、例の笑顔になる青年を思い浮かべて、げんなりした。

 今朝、レヴィン皇子に耳打ちされたのは、「リニラの乾燥根、シゲルザークの2番、透徹節……」といった、一般人には意味不明な単語の羅列だった。

 それでも、薬学に長けた人間ならば、なんらかの薬だろうと分かる。魔術に長けた人間ならば、魔術素材だと知れるだろう。

 そして、その両方に通じていれば、ある種の魔術的な治療薬に違いないと予想がつくわけだが。

「間違いない。『神威熱』の特効薬だわ……あと2,3の術式工程を経る必要があるけど」

 そう、つまり。

 彼は、知っているだけの『左手の秘儀書』の内容を、ユミルに明かしてきたのだ。

 多分、書き写したものなんて持ってるのは「聖皇子」的にマズイから、記憶に刻んでいるのだろう。

(……魔術師でもない人間が意味も分からず覚えるのは、大変だったでしょーに)

 彼が見た、という写しとやらには、作業工程も書かれていただろうが、それを見ずとも、ユミルにはなんとなく材料を聞けばたいていの処理法は見当がつく。

「あとはー……こっちのは、多分……鎮静剤……だと思うけど……蒸留処理がもしかして特殊かも。これは改めて聞いておかないと。もうひとつあったのは……幻覚剤の類かなぁ。面白そうだけど、ナストーキー精製粉はさすがにここにもないなー」

 彼が見たという数ページに書かれていたのは、3つの薬品だ。(まぁ、あのレヴィン皇子のことだから、実はもっと書かれてたけど隠してるということもありえるにしろ)

 本音を言えば、ユミルが最も見たかったのは、秘儀書のうちでも「操魂の章」だったのだが。

(これは「癒躯の章」っぽいな。さすがにそこまで都合よくはいかないか……)

 それでも、さすがに『左手』の遺したレシピは秀逸で、ユミルは頬が思わず緩む自分が、とってもとっても悔しかった。

「むぅ~……こんなことで機嫌を取れる安い女だと思われたくないけど……こんなタイミングで言ってくるあしらいの上手さには腹が立つけど……うぅ、魔術研究者としては、素直に嬉しくてしかたない~ッ! 悔しいっ!」

 シアでもいれば、「って姫、ふつーの女の子は、魔法薬のレシピなんかで機嫌とられたりしませんよぅ……もっとこう、花とか宝石とか」なんてツッコむところだが、幸いというか、今この部屋にはユミルしかいない。

 それをいいことに作業台をぺちぺち叩いていると、がらっと戸が開く音がして、友人2人の声がした。

「お! ユミル、ここにいたか」

「探しちゃったわ……って、何してるの?」

「あ、トール、キリア……ううん、ちょっと新薬実験を。何かあった?」

 ずれたメガネを直しながらユミルが聞くと、2人は、にま~っと笑う。

「それがなぁ、ユミル」

「院長がお呼びよ。――教授会が召集されたわ」

 ここでやっと、今日は本来、院長に話があって魔術院に来たのだ、ということをユミルは思い出した。

「あ、そうなんだ。ソレはタイミングの良い……あれ? でも何の用だろ」

 器具や薬品を片付け始めたユミルの言葉に、トールとキリアは呆れたように視線を交わした。

「なぁにトボけたこと言ってるの」

「そりゃ、この時期にお前が呼ばれるったら、ひとつっきゃないだろ」



 ロイは、人影もまばらな図書室で、朝からぼんやりと本を広げていた。一応ページは開いているものの、文字はちっとも頭に入ってこない。

 ……今朝、門のところで、ユミルにばったり会った。

「あ、おはよう、ロイ、レミー」

 彼女は笑う。まったく屈託がない。自分に対しても。……彼の腕に絡みつくようにしていたレミーに対しても。

 メガネの奥の明るい色の瞳には暗さはなく、ミルク色の肌には乱れひとつもなく、素っ気無くまとめた金髪はいつもと同じく輝かしかった。

 ほんのちょっと前まで、自分がその隣にいたなんて信じられない。

 ロイは、回れ右して逃げ出してしまった。

 きょとんと無反応なユミルにも、追いすがってくるレミーにも、心が重くなった。

 調べたいことがあるからひとりにしてくれ、とレミーに言った自分の言葉は、いかにも思いやりがなくて、それが一番こたえた。

「…………はぁ……」

 ため息をついて、少年は、諦めて本から視線を上げた。

 その、視線の先、窓近くの奥から二番目の席に、彼女はよく座ってた。明るいし、各書棚へのアクセスが一番良い、とかで。

 この席が彼の定位置になったのも……その席が、よく見えるからだ。

 それを思い出して、ロイは無意識に自分の胸ポケットに手をやった。布越しに、かすかに固い感触。


 ――彼女に会ったのは、2年半前の、春。窓から見える、桜並木でのことだ。

 いや、厳密には……桜の木の上、っていうか。


 憧れの魔術院の入学式を終えて、当時12歳の彼は夢見心地のまま、桜並木を歩いていた。

 地に落ちた花弁は白く見えるのに、見上げて青空に透かし見る花は、不思議とピンク色だ。

 と、その、見上げた視線が、きらっと光を捉えた。鮮やかで、明るい熱を含んだ金色……太陽、みたいな。

 陽光が何かに反射しているのかと目を細めたところに――ざざっと、人影が降りてきたのだ。

「~~~~~~~っ!??!!」

 声にならない絶叫は、しかし、すぐに絶句に変わった。

 それが、未だかつて見たこともないような美少女だったからである。

 ミルクキャンディみたいな肌の色に、薄い水あめ色の目に、蜂蜜を薄く延ばしたような髪。

 砂糖菓子そのままの容貌の彼女は、しかし、偉そうに胸をそらして、虚空に向かって指をつきつけた。

「だから言ったでしょ、塞河! このくらい、平気だって! わたし寝ぼけてなんてな――って、アレ?」

 ここで、初めて彼女はこちらに気付いた。

「あ、ゴメンなさい、ヒトがいたんだ。……そだ、もしかして入学生のヒト?」

 自分と同じくらいの年格好から判断をつけたのか、そう訊いてくる彼女に、少年は絶句したままこくこく頷いた。

 少女は、人懐こく彼の手を握ってくる。

「わぁ、それはよろしく。わたしもそうなんだ」

「――え、え――で、でも……式には……」

 こんな目を引く子はいなかった。断じて。

「あ、それか。顔知ってる人たちにまじまじ見られたりしたらうっとーしいなーと思って。目立ちたくないし。……サボっちゃった」

 彼女はあっけらかんと、木の上で寝てた、などと言う。……危ないんじゃなかろうか。

 でも初授業には行かなきゃね、と、彼女は取り出した紐で、ちゃっちゃっと長い巻き毛をまとめる。

 ……ことさら不器用な手つき、というわけではないのだが……やりなれないのか、こだわりがないのか、それはいかにも素っ気ないまとめ方で、せっかく綺麗な髪なのになんて勿体ない、と彼は思った。

「……あれ? さっきの……」

 少年は、ここでやっと、さっき目を射た光が、彼女の髪の弾くものだったと気付く。甘やかな容姿と鮮烈な光の印象が、一致しなかったからなかなかそうと思わなかったのだ。

「……太陽かと、思った」

 ぽそっとこぼすと、「何?」と彼女が問い返してくる。

「……君の、髪。お日様みたいだと……思って」

 どきどきしながら口ごもる彼をまじまじと見て(この水色の大きな瞳に見つめられるというのは、ほとんど冷や汗モノだった)彼女は笑った。

「……へぇ、太陽か。うん、なかなか、見る目あるね。良い目を持ってることは、魔術師には大切だ。わたし、ユミル。12歳だよ。君は?」

 ユミル。……彼女に似合う、可愛い名前だ。

 しかし、次に自分の名前を聞かれている、と思うと、気分も舌も重くなった。

 彼は、名乗るのがあまり好きではない。

 6人兄弟の4番目、という位置で、家庭でさえ埋没して育ってきた少年にとって、その短いありふれた名前は、誰からも気をかけられない自分そのものみたいで、イヤだったのだ。

 それでも名乗らないのはあまりに非礼だし、失礼なヤツだなんて彼女に思われたくなかった。

「……あ、あの……ロイ、です。同い年……」

 気後れしつつも必死に言った彼に、少女はにこっと笑った。

「ロイ……ロイ、か。うん、いい名前」

 ……そんなことは、心にもないお世辞でしか言われたことがない。でも、彼女の言葉にいい加減な響きはなくて……ロイは、つい問い返した。

「……どうして? ロイ、なんてつまんない名前だよ」

「そんなことないよ。覚え易いし、なにより、古式呪編術式とかは、呪文詠唱に自分の名前組み込まなきゃいけないもん。短くて言い易い名前って、それだけで詠唱時間的に有利なんだよ。ロイ、って名前は、魔術師向き」

 軽く放たれた言葉は、衝撃的だった。

 うつむいていた世界に、いきなり光が差し込んできたような感覚。

 自分の名前に、そんな肯定的な価値を認めたことはない。魔術に憧れたのも、貧弱で内気な自分にはそのくらいしか目指せるものがなかったからで……。

 呆然とたたずむ彼の前で、少女は不恰好な大きすぎるメガネをかけた。……綺麗な瞳なのにやっぱり勿体ない。

「よし、準備完了。行こう、ロイ」

 差し出された手を、ためらいがちに取る。小さくて温かい手だ。

「わたしね、友人ってあまりいなかったから、正直楽しみなんだ。同い年の友達ができたのも初めて!」

 弾む足取りの少女に引っ張られてよろけながら、友達というのが自分のことだと、ちょっと間を置いて気付いた。

「……う、うん。よ、よろしく。……ユミル」

 決死の覚悟で名前を呼ぶと、彼女は振り返って、飴玉みたいに笑った。

「――うん、こちらこそ!」



 あれ以来、ロイはいつも、ユミルを太陽のように見上げてきた気がする。

 向こうの席に座って真剣に書物をめくる姿は、月のような静かな知性を感じさせたし、友人達とはしゃいでいる姿はさざめく星のようだったが……それでもやっぱり、ロイにとっての彼女の印象は、今も変わらず太陽だ。

 ……それに、追いつきたいと……願ったことも、あったけど。

 うつむいた彼の耳に、がたがたっと騒々しく図書室の扉を押し開ける音が聞こえた。

「ちょ、ちょっと――ロイ! 大変――!」

 騒音とともに現れたのは、レミーだった。

「……レ、レミー……図書室では静かに……」

「それどころじゃないわ! ユミルが――院長に、呼ばれたって! 教授会も集まってて……」

「え――!」

 静かだった図書室が、ざわっと揺れる。ユミルは有名人だったし、今の彼女の状況を知らないものはほとんどいない。

 この時期に、彼女が呼ばれるということは――。

「うわぁ……じゃあスゴイごついの出したって噂の論文が認可されたのかな!」

「そりゃもう決定でしょ! すっごいなぁ」

「やっぱり記録塗り替えちゃったわね、あの天才少女」

 口々に言う学生の声が、どこか遠くのもののように聞こえる。

「……じゃあ……ユミル……卒業……する、んだ」

 一番遠かったのは、自分の声だった。



「――まあ、正直都合よかった。ちょっとばかり休学しようかなと思ってたから」

 当の本人は、興奮気味なソニアに、平静な顔でそんなことを言っていた。

 長々と査定会だの諮問だのを受けていたので、もう午後である。教授連中の意地の悪い質疑にもきちきちと答えたユミルは、晴れて卒業認可を下された。

 あとは卒業式(これは初春にまとめて行われる)まですることもない。

 今日はもう帰る、魔術院にはしばらくこない、と言って裏門に向かうユミルに、ソニアはぎょっとした。

「ちょっとユミル……なんでそんな。きっとトールたちが祝杯挙げようって言うわよ?」

「うん……それは嬉しいんだけど、ちょっと今、例の件が……込み入ってきてて」

 難しい顔のユミルに、ソニアはぴんときた。婚約話に進展なり後退なりがあったのかもしれない。

 それでもさすがにソニアも貴族の娘なので、友人だろうと家族だろうと話せないコトが、王宮にはごろごろしてるなんてことくらい知っている。ことさらに何があった、なんて聞かなかった。

 ユミルが詳細を語らない、それだけで察するには十分だ。

「それに、祝ってもらうのはちょっと心苦しいな……次に来るときは、そろそろわたしの立場を明かさないといけないから」

「あ……そっか。卒業後はやっぱり、理事あたりになるの?」

「多分。理事会には魔術に詳しい王家つながりの人間がたいてい入ってるもんだから。親父殿も王族業を本格化させようと企んでると思うんだ。今回の件といい、社交に顔出しし始めたことといい」

「……王女にして『赤黒の魔女』の娘が理事の一員か……まぁ、国立施設としても魔術研究施設としても、箔がつくけど……やっぱりちょっと勿体ない気がするわね」

 ソニアはちょっと肩をすくめる。

「院長に泣いて引き止められたでしょ。あなたの実力なら、是が非でも研究者として残って欲しいところだもの」

「それは……そうだけど。さすがに3足のわらじはムリがあるよ」

 ユミルも苦笑した。

「そう?あたしはてっきり、卒業したらあなたは1年2年くらい、西か東に留学するんだと思ってた。行きたがってたじゃない」

「ははは、わたしが国費で?」

「別に構いやしないでしょ。どーせあたしもあなたも、生活費とか国庫から出てるよーなもんだもの。今さらよ」

「……ふふふ、わたしソニアのそういうところが好きだな。でも、しないよ。有望な学生が、ひとりでも多くそーやって留学したりできるようにするのが、わたしの、わたしらしい仕事だと思ってるしね。実はもういくつか構想があるんだ」

「……あたしもあなたのそういうところが好きよ。……尊敬もしてる」

 ここでソニアは、ちょっと考えたようだ。一瞬言葉を切った。

 なんだろう、とユミルが彼女の顔を見直すと、日頃気さくな彼女が、じっと真摯に友人を見ている。

「ね、ユミル。今回の件にしろ、そうでないことにしろ、もし、あたしに出来ることがあったら言ってね? あなたの立場は色々だけど……あたしは、貴族の一員としても、魔術師の卵としても、……友人としても。あなたの役に立ちたいと思っていることは変わらないんだから」

「……うん。ありがとう」

 ユミルが少しくすぐったそうに笑ったそのときだ。中庭から裏庭に抜けようとする彼女らの背に、

「――ユミル!」

 と、声がかかった。振り返れば、駆け込んできた少年が息を切らせている。

「ロイ……」

「そ――卒業……するんだって?」

 蒼白な顔で苦しい息の下から、ロイがうめくように尋ねる。

「あ、耳が早いね。うん、さっき認可が」

 ユミルはあっさり肯定した。

(……おいおい、もちょっとセンチメンタルな風情を出してあげなさいよユミル……)とソニアは思う。

 少年は泣きそうな顔になった。

「そ――そう、なんだ。おめでとう……で、でもしばらくは顔出すよね? ロールゥラーの干渉剤検証も途中だったし――」

「ううん、しばらく来れない。ちょっと家庭の事情があって。確かにデータが足りないんだよね。ロイが引き継いでくれると嬉しいな」

 悲壮な少年の様相に気付く気配もなく、ユミルはそう言って笑う。……悪意がないところが恐ろしい。

 さすがにそれ以上の言葉につまったロイに、彼女はさらに追い討ちした。

「それに――次にここに来るときは、わたし、ユミル=カルデルじゃないかもしれないし」

 もちろん。

 ユミルの言ったつもりは、次に来るときは、経営に参画するような王女の立場かもしれない、ということだ。

 だが……事情を知らないロイは、常識的な判断をした。

 それはつまり、名前が変わる、ということだろうか、と。

「……ま、まさかユミル……ケッコン……するの?」

 かたかた震える声で、そういったのも無理はない。

 一般に女性の名前が変わると言えばそういうことだ。

 しかしユミルにはその思考はたどれなかった。ただ驚いた。

「あれ? なんで知ってるの?」

「…………っっ!!」

 この世の終わり、ってな顔をする学友に、ソニアは「あっちゃぁ」と貴族の娘らしからぬ呟きをもらして顔を手で覆った。

 通じてない。全然通じてない……のに、会話が成立してる。

 このすれ違いっぷりじゃ、そら上手く行かなくてもムリないわ、とソニアが思っていると。

「ほっほぉ~う。家庭の事情、ねぇ」

 中庭の入り口から不意に現れた青年が、がしっとロイの肩に手を回しながら、にやっと笑った。トールだ。

「そういうことなのね。でも何も言わずに行っちゃうのはちょっと水臭いわ」

 こちらはキリア。ロイを追ってきたらしい複雑な表情のレミーもいる。

 他にも、わらわらと学生達が現れた。お祝いくらい言わせろ、と口々に。

 ちょっとした騒動になった中庭で、トールは、ロイの肩に腕を回したまま、背後から耳元でささやいた。

「――ま、先に怖気づいたのはお前なんだろ。笑って送ってやれよ。いいかぁ、男の価値はな、度胸でも器量でも腕力でも稼ぎでもねぇ。諦めの良さだ!」

「……その価値観はちょっとどうかと思うけど」

 キリアが隣でツッコむ。

「でも、自分の選択に責任が取れない男ってのは、私なら願い下げね」

 きついことをさらっと言いながら、彼女がちらりと見た先では、レミーがうつむいて黙り込んでいる。

「……うん。そうだね」

 ロイは涙をこらえつつ、かすかに頷いた。

 その背をどんっと押し出すように、トールが叩く。

「よぉっしゃあ! んじゃあ、有志一同、いきまーす!」

 宣誓するように高らかに腕を上げた彼に、皆が思わず注目する。

「アト・アト・ニマノッリ、トールが編む」

 キリアが上品に手を差し上げつつ、それに続いた。

「リヒ・リヒ・ニマノッサ、キリアが伝える」

 古式呪編術式だ、と思うなり、ロイも手を上げた。

「カラ・カラ・ニマノット、ロイが命じる――有量の色彩と芳香をこれに」

 詠唱を終えると、ロイの手に花束が現れた。震える足を叱咤して、それをユミルに渡す。

「……卒業、おめでとう」

 かろうじて、笑って言えた。わっと周囲が沸き立ち、ユミルは嬉しそうに顔を綻ばせる。……飴玉みたい、なんてあの時は思った笑顔だけど。今はもっとずっと、綺麗だ。

 ロイはついで、のように、胸ポケットから、小さな銀細工を取り出した。……先日、彼女に返されて以来、女々しくも持ち続けていた髪飾り。

「……これも。卒業祝い」

 ユミルはちょっと驚いた顔をしたが、すぐに笑って受け取ってくれた。単なる級友からでも、お祝いの品ならいいと思ったのかもしれない。

「ありがとう……ケド」

 が、そこで終わらせないところはいかにも彼女らしかったと言える。

「――ひととせ宿す麗園が主よ、汝が花宴に勝る絢爛なし! ――花弁舞子繚乱」

 高々とユミルが天を指すと、ばぁっと空を覆うほどの花が、降ってきた。風に舞う、めくるめく色彩。

「まだまだ甘いぞ、有志諸君! 卒業するにはもっと頑張らないとねっ」

 胸を張って嫌味なく笑うユミルに、どっと歓声が起こった。

「……さすがね」キリアが苦笑して、

「くっそぉ。お前はそーゆうヤツだよ!」トールがうめく。

 ロイは無言で、花の舞う中に微笑むユミルの顔を目に焼き付けた。

「短い間だったけど、楽しかった! 今度来るときは――みんなを、ちょっと驚かせるかもしれないけど。怒らずに許してくれたら、嬉しい」

 よく通る綺麗な声がそう語って、

「じゃあ……またね!」

 と、彼女は裏門に向かって走り去る。降り止まぬ花弁と歓声が、その背を見送った。

 この日、花に埋め尽くされた中庭は、後に魔術院の伝説に残る。


 門が閉じる音を聞きながら、ユミルは確かに、自分の人生での、あるひとつの時代に区切りがついた、と感じていた。

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