第五話 エルフの場合
リュックサックを背負って四方八方に走り回って、はや四日目。残された猶予は一週間と少ししかない。カフェテラスの一角で、僕は紅茶を飲んでいた。事務所には別の茶葉もあったのだが、とりあえず持ち出したのが紅茶だったのだ。それから、僕は事務所には一度も戻らずに(石工ギルドで言った金額ははったりである)、各種ギルドとの橋渡し役を続けている。
「もうすぐ戦争になるなんて、信じられない」
僕がそういうと、エルフのナルシアも頷いた。緑の長髪、エルフのナルシアは感情表現が得意ではない。けれど、その目が憂いに満ちていることくらいは、僕にも分かる。生まれてからずっとナルシアと働いてきた。長い付き合いなのだ。
「もし戦争になったら、君の森は大丈夫でしょうか?」
十万もの軍勢が南下してきたならば、森もただでは済むまい。戦火は平原だけでなく、森をも焼き尽くし、全てを灰に変えてしまうのではないだろうか。そんな想像をして、思わず僕の身体がぶるっと震える。
「私たちエルフも、己の森のためには、戦うことを厭わない」
久しぶりに喋ったナルシアに僕は驚く。そしてその決意の悲壮さを僕は受け止める。近年になって、森は開墾され、農地になっていった。エルフは人に混じり、人のお金を使い、商売を始めざるを得なかった。それはエルフの矜持の根幹を揺るがした。
それでも百年前はまだいいほうだった。冒険者ギルドがあったからだ。
人材は慢性的に不足しており、弓や剣の技に優れたエルフは冒険者たちの羨望の的になった。人間たちとパーティーを組み、遺跡に深く潜る。そして金銀財宝を手に凱旋する。エルフは常に冒険者の友だった。
だが百年後のこの時代、遺跡は漁り尽くされ、エルフはもはや誰にも必要とされていない。
単なる耳長。古臭い自然信仰を守る森の異邦人。重要なことだから二度言うが、古い森は開墾され、農地になった。エルフたちはたった百年のうちに、故郷を、帰るべき自然を失ってしまった。
僕はそのことに思いを馳せた。それはきっと悲しいことに違いない。
「ごめんなさい」僕は反射的に謝った。
「ヒューレット、何を謝る。私は旧冒険者ギルドのアルバイトとして職を得ている。感謝しこそすれ、責めるようなことはない」
整った目鼻立ち。美しい緑の長髪。僕ら背丈半分の小妖精とは違う、大妖精。ときどき僕がエルフだったら、二人は恋人になっていたのではないかと思うことがある。
「ヒューレット。たとえどんな戦になろうと、貴方だけは必ず守ってみせると誓おう」
「ありがとう」
彼女のその台詞にほのかな愛を感じたというのは、僕の傲慢な思い込みだろうか。




