第十二話 再起動
北のほうで煙が上がっている。
僕は、ヒューレットは、それを遠くから眺めていることしかできない。
「始まったようだな」
髭の傭兵長バルクが丘の上の僕の背中を叩く。エルフのナルシアが不安そうに煙を見ている。
ノルディー城はどれだけ持ちこたえるだろうか。魔王軍が食料を得て元気になるなんてことは? いや、あの前国王陛下ならそんなヘマはしないだろう。
ここは都市リヨンの手前の平原。短い草が生い茂っている。この土地は少し高台になっており、水を引くことができず、いつも乾燥しているから、麦の栽培には適さない。
そこに、僕たちはテントを張った。数千数万という数のテントを。石工ギルドの戦時代表が準備した布と木材とが、ここで役に立った。
移動で疲れ、飢えた人々は、配給の列に並ぶ。パン焼きギルドは、リヨンのドワーフに頼んで移動式のかまどを量産してもらい、真水や野菜と共にそれを受け取った。運ばれてきた小麦粉ライ麦粉は、かまどで焼かれた。こうして食料が、パンとシチューが確保された。
「傭兵ギルドとしては、指示があれば明日にでも出撃することができる。で、どうする?」
「どうするって、何がですか?」
「カタルの塔の教師たちから聞いたぞ。お前がこの作戦を立案した指揮官だと」
「指揮官!」僕は息を飲んだ。ぺこぺこ謝りのヒューレットといえば、旧冒険者ギルドの苦情係だ。それ以上でもそれ以下でもない。というか、これより下は無い、最下級の存在である。
「僕は指揮官になった覚えはありませんよ」
「では軍師だ。若き国王陛下は即位したばかりで、まだ王としての采配を取れる状況ではない。俺たちには信頼できる軍師が必要なんだ。それが勝敗に直結する。分かるだろう?」
僕は思った。確かに、僕は魔女シズネリから直接予言を聞いて、それを広めた張本人ではある。前国王陛下に覚悟を決めさせ、王都を放棄させたのも僕の意見ではある。でも、だからって指揮官や軍師はないだろうと思う。
「ナルシアはどう思う?」僕は振り向く。
ナルシアはしゃがみ込み、僕の眼を見つめて言った。
「貴方は自分で想像している以上に賢く、勇気があると思う」
「ナルシアまでそういうこと言うの?」僕は味方を失って途方にくれた。
「どうしても僕に軍師をやらせたいなら、剣をちょうだい」
僕は無理難題を言って、話を誤魔化そうとした。小妖精向けの剣など簡単には手に入らないと、そう咄嗟に思ったのだ。
しかし僕の思惑は外れた。傭兵長バルクは背後に控えている者たちに言った。
「軍師殿はやる気になったようだぞ。竜殺しのアーティファクト、欠片の剣を持て」
欠片の剣! その名は冒険者ギルドが現役だったころの古い台帳で何度か目にしたことがある。ハーフリングが竜を殺す。そんな荒唐無稽な夢。そのためだけに鍛え上げられた、ひどく短い剣だ。
「でも僕にそんな剣を扱えるかどうか……」戸惑っていると、いつも旧冒険者ギルド一階の酒場にたむろしている連中が現れた。
「俺、冒険者ってのに憧れてたんだぁ」でかいだけのデブのチョップマンが、樽のように巨大なハンマーを振りかざす。シャルロットは、メイド服を着てツンとたたずんでいる。老いぼれのドワーフ、ソードスミスのクルーリンが、老体に鞭打って歩いてくる。ガンスミスのウィークが、キッパリと言い放つ。
「俺たちは冒険者になりたかったんだ。百年前からずっと、それは変わらない。俺たちの夢を叶えてくれないか、ヒューレット。今のお前にはその権利がある」
僕に? 権利が? 僕は混乱した。一体単なる小妖精の僕に、何の権利があるというのか? 僕はただ旧冒険者ギルド宛の苦情を処理していただけだ。毎日届く手紙の束に目を通していただけだ。それが重要なことなのだろうか。僕は、未だに、百年前から続く業務を継続している。それだけだ。それだけ?
僕はふいに気付いた。ああ、そうだ。
僕は旧冒険者ギルド長の代行なのだ。前国王陛下に指摘されたように、唯一の現役の冒険者なのだ。僕だけが組織を再起動できる。そのスイッチを持っている。ただ押さなかっただけだ。権利は最初から僕の手の中にあった。あったのだ。
僕は覚悟を決めた。こほんと咳払いをして、一気に台詞を紡ぐ。
「では、旧冒険者ギルド長代行として告ぐ。これはギルド長命令である。旧冒険者ギルドは、新冒険者ギルドとして再び発足する。これを各ギルドに伝達せよ!」
「魔王軍は王都の穀物庫を奪えなかったと判断する。魔王軍の消耗を狙い、明日と明後日はこの場で待機。戦争の準備を進める。その翌日の朝九時をもって、冒険者ギルド、傭兵ギルドを先頭に、大会戦を実施する!」
「目標は魔王軍の殲滅。観測された六匹のドラゴン討伐は魔術ギルドの召喚呪文の助力を得てこれを成す。魔王は――」
魔王は――僕はそこで言葉に詰まった。
「魔王は、この作戦が成功すれば、部下を失っておとなしく退散するだろう」髭の傭兵長バルクが後を続けた。
「だ、そうだ。覚悟はできたか! 野郎ども!」
「覚悟なんてとっくに済ませてきた!」
「そんなことより飯だ飯!」
「新冒険者ギルド誕生を祝って飯を食おう!」
「腹をすかせた魔王軍の連中に、会心の一撃をお見舞いしてやる!」
その日の夜、僕は若き国王陛下と各ギルド長から質問攻めにあった。冒険者ギルドの設立の動機について。人員について。手段について。金銭について。これまでの苦情を清算し、新たな苦情を受け付けることについて。
日々報告される苦情は、いまや二千通を超える。僕は苦情にレベルをつけ、AAAレベルの苦情から順に処理していく旨、各ギルドに通達した。全ての苦情が最高レベルにならないよう、それぞれ数に制限を課した。苦情を、AAA~A(真っ先に処理する)、B(Aが終わったら処理する)、C(できれば処理する)、D(一番後回し)、F(優先度不明)と分けることで、苦情の見通しはだいぶ良くなった。
それで、真っ先に処理しないといけないのは、トイレだった。魔術師の助けを借りて巨大な穴を掘って、その上に木で足場を組む。今後、トイレはこの穴の上でするようにと周知した。巨大な肥溜めである。
小妖精は三日くらい寝なくても疲れない。僕は文字通り全部の苦情に目を通し、それを改善すべく指示を出し続けた。その結果、全ての戦士に剣と槍は行き渡り、全ての弓兵に弓矢は行き渡った。砲手には大砲と砲弾が。その背後には兵站担当と、医療担当が詰める。
斥候に出した騎兵からは、敵の動きは伝わってこない。いまごろ、王都ノルディーでは、ゴブリンとオークが腹をすかせて苛立っているはずだった。




