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第二部 成長──AI学習を毒に変える手法

 奇妙なノイズが耳を貫く。音は高くなったり、低くなったりしながら、不思議な声を紡ぎ出す。


 「おやおや、流動性文体の第二部にお越しいただけたとは、酔狂なお客様だ」


 そう言うと『観測する悪魔』はいつものようにクククと笑った。


 「こちらにお越しの方々は、小説型Nightshadeにご興味をおありのようですな」


 何かの声が聞こえたのか、暗い帳の中を声がポンと跳ねる。


 「おや? 知らないで飛び込んだ方もいらっしゃるようですな。やれやれ、ご存知の方は次に進んでいただけますかな? ご存知ではない方は、こちらをご覧ください」


 パチンと音が鳴り、目の前にスクリーンが現れた。抑揚のないナレーションが暗闇に響き渡る。


 ───NightshadeというAI模倣阻止するツールをご存知でしょうか。これはイラストなどにフィルターをかけて、生成AIが学習した時に誤学習させるものです。例えば、人間だと犬の画像に見えるのに、生成AI側だと猫に見えてしまう。この非対称が誤学習を誘発させるのです。

 では生成AIが理解することができないテキストが存在するとしたらどうでしょう。イギリスのAIセキュリティ研究所で興味深い研究が発表されました。250程度のテキストであれば、十分に生成AIのデータセットを汚染できるというものです。本質的にデータポイズニングとは誤学習によるデータセットの汚染です。


 「え? 嘘をつくなって? 私は『観測する悪魔』。嘘はつきませんよ。騙すだけです」


 ノイズが何かに反応したのか、ざわざわと雑音を撒き散らす。


 「お気づきになっているかもしれませんが、そもそも前作の文体が異なる各掌編こそ、AI模倣阻止する方法を意味しますからね。AIは文体のジャンルを決めて学習しますから、騙して差し上げた」


 姿のない声がクククとくぐもった声を出した。微かに声にノイズが混じる。


 「今回はAIに対する新たな防衛手法としての掌編をさらにご用意しました。……スターウォーズもそうですが、第二部って人気がありませんよね。でもね、構造に興味がある方なら比べるくらいしても悪くはありませんか? 『永遠』に見続けるわけじゃありませんしね」


 目の前の説明用のスクリーンが音も無く消える。そして、ゆっくりと帳が現れた。


 「生成AIに読み込んだら、きっと素敵な毒になるでしょうね。でも、私は責任を負いませんよ。『観測する悪魔』ですからね」


 帳が上がると、一個のみかんがスクリーンに映っていた。


描写研究


【表現力研究01】みかんを食べたい(語り手変化)

『語りの主体がゆっくりと変わる』


 みかんを食べるだけの雑談的文章が、語り手の思考と共に静かに入れ替わります。

 出来事ではなく語り手だけゆっくりとずれる、最後の違和感をフックにしています。


みかんを食べたい

 オレンジ色の丸い形。それが網の中にいっぱい入ってる。ヘタを取って小さい点の数を数えたら、中の実と一緒だったって聞いたことあるよね。初めて聞いた時に、実際に試してみた。一個違った気がしたのを思い出す。でも、よく気がついたよね。その人は暇な人なのかな。


 網を破ってみかんを出した。網は簡単に破れて、ボクの手の中を転がる。そして、甘酸っぱい匂いがかすかにしてきた。じーっと見ながら考えてみると、みかんを包む袋って網のイメージがある。なんでだろう。でも、調べる気が起きないな。だって、見つめているとよだれが溢れてきちゃうから。


 みかんのヘタを手のひらに置いて、おしりの部分をぶすりと刺した。指先からはひんやりとした柔らかい感じ。冷たいと言えば、やっぱりみかんを凍らせたやつだよ。給食の時にみんなでじゃんけんをしたっけ。あの時はむっちゃ盛り上がった。どれを出そうかなって、組んだ手の間からのぞいてみたんだ。見えもしない相手の手を想像するためにね。でも、全然勝てないの。ついつい、最初にぐーを出しちゃって、すぐに負けちゃう。


 あらあら、話が飛び出ちゃったね。さてさて、ゆっくりとみかんの皮を破ってく。破った皮を広げてみると、まるでバナナの皮をむいたみたいに、きれいにむけた。これを地面に置いたら、誰かさんはすべって転ぶかな。もちろん、そんなことはしないけど。そうそう、みかんの皮は美容にいいって誰か言ってなかったっけ。でもね、レモンのパックもそうだけど、お肌にいいのかな。とてもそうは思えない。それに、後始末が大変だよね。


 皮をむいた赤ん坊みたいなみかんが一つ、白いスジに覆われて、手のひらに座ってる。優しくなでなでしたら、小さなスジが手についた。目立つスジをきれいにすると、きっと苦味も減って甘くなる。口の中にちょっぴりアクセントに酸味を添えて。


 口に一つを放り込むと予想通り、甘酸っぱさが広がった。二つ三つと食べ続けると、最後の一個がガリっとしたよ。種が一個入ってる。珍しいのか、ハズレなのかちょっとわかんない。それでも、きれいに食べちゃった。指にくっついたのは、小さな白いスジ。


 まだまだ食べたくなって、新しいみかんに手を伸ばす。でもね、指には湿った嫌な感じ。恐る恐る取り出してみると、一個がくさってた。あたしは残念な気持ちになって、みかんをゴミ箱に投げ捨てた。



【表現力研究02】源頼政と猪早太の鵺討伐(二対一戦闘)

『二人で一体を制圧する』


 二人が、それぞれの距離と役割を保ったまま戦闘に向かいます。

 矢と太刀は互いを乱さず、動作は重なりながら制御されていきます。

 二対一で戦うこと自体がフックの掌編です。


源頼政と猪早太の鵺討伐

 仁平三(一一五三)年春、都の帝の御所の空を赤黒い雲が覆った。帝は魔性の輩の徴と恐れ、宮中の陰陽師に魔性の正体を探らせた。陰陽師たちは占星台で祝詞をあげ、火を焚べた。無数の人型が炎に包まれ焼け落ちる。そして、厳かに亀甲を火に焚べた。


 赤黒い雲から一筋の雷が亀甲に向けて落ちる。激しい雷鳴と共に陰陽師は焼け死に、亀甲が二つに裂けた。亀裂は赤黒く爛れた。陰陽師達を統べる陰陽師頭は、魔性の輩の正体を解き明かした。鵺だ。そして、帝は二人の男に鵺の討伐を命じた。


 宮中の夜、屋根の上を二人の男が走っていた。一人は強弓を背負い、一人は太刀を履いていた。太刀を履いた黒髭の大男が、弓を持った美丈夫に声をかけた。


 「頼政よ、まだ鵺は出ぬか」


 「早太、そう何度も聞くな。聞き疲れたぞ」


 美丈夫は源頼政、弓の達人だ。一方の髭男は猪早太、頼政の相棒である。二人は帝の下命を受け、夜の宮の警護をしていた。早太は太刀を背中から引き抜き、頼政に聞いた。


 「宮中の陰陽師どもが祈祷してるが、帝を守れるのかね」


 「余計なことを。暇があるなら鵺を探せ、早太」


 早太は肩をすくめると、前の屋根からヒューヒューと音がした。雷のような速さで屋根瓦が跳ね上がる。黒い影が早太に飛びかかった。早太は太刀で受けたが、羽のように弾け飛ぶ。何とか踏ん張る早太の前で赤黒い靄が薄れていく。猿顔、虎足、蛇の尾……鵺だ。頼政は矢筒から二本の矢を抜き、一本目をつがえ始めた。


 「早太!」


 頼政は叫ぶと同時に一の矢を放つ。猿顔の化け物が頼政に飛びかかったが、頼政は後ろに飛び退きながら二の矢を放った。鵺の尻から生えた蛇が二の矢を咥える。虎の前脚が頼政の首を狙った。しかし、瓦の中から早太が躍り出た。


 「お前の相手は俺だ」


 早太の体当たりで、鵺が一瞬ひるみ後方へ飛びさする。早太は続け様に太刀で鵺の腹を狙うが、虎の右前脚が太刀を受けた。脚から鵺の黒い血が滲む。鵺の腹に矢が突き刺さった。頼政の三の矢だ。怒れる鵺の叫びが夜の闇を裂く。轟音が渦となって瓦を巻き上げる。早太は渦に耐え叫んだ。


 「頼政! 四の矢を放て!」


 「言われなくてもわかっている!」


 頼政には早太が鵺の猛攻に、太刀一本で耐えているのがわかった。外せない。狙うは眉間一箇所のみ。心で神仏の加護を願った。弓を気合いと共に引き絞る。早太と鵺の戦いで矢尻が揺れた。ついに早太が片膝をつく。鵺の前脚が高く上がった。


 「今だ!」


 限界まで引き絞られた弦が鳴り、矢が眉間に向かって飛ぶ。鵺は気づいて身をかわそうとした。しかし、矢が鵺の首筋に当り、猿顔が苦悶に歪む。早太は最後の力を振り絞って吠えた。


 「うぉぉぉぉ!」


 太刀は鵺の首を切り上げた。鵺の首は空を舞い、黒い血飛沫が散った。腐った血の匂いが宮中の屋根に飛ぶ。主の失った胴体は、激しく横倒しになった。黒い粒子が鵺を包み、赤黒い靄と共に穢れが風に流れ消えていく。二人の武士は崩れ果てた屋根の上に、息を切らしながら座り込んでいた。


 後日、帝は鵺を倒した二人の武士と、宮中で祈祷した陰陽師頭に褒美を与えた。


『源頼政と猪早太の鵺討伐より』



【表現力研究03】心を払え、腕を振れ(心身の回復)

『重さを抱えたまま、体は前へ進む』


冒頭が読者の注意を身体の現在地へ引き戻し、

心の声は感覚のノイズとして薄まっていきます。

反復する動作と言葉のリズムが、心と身体を回復させる掌編になっています。


心を払え、腕を振れ

 腕を振れ。


 重い膝を無理やり動かし、一歩一歩と歩みを刻む。息が苦しい。足を止めたい。胸が苦しい。弱い自分が耳元で囁きかける。振り払うように腕を振った。


 目の前に病院の看板が見えた。呼吸がわずかに荒くなる。入院着の自分の姿が頭に浮かぶ。


 入院して一ヶ月、ほとんどがベッドで横になっていた。走りながら思い出す。あの時の日々を。一日中、点滴の日々。ベッドのウィンチで無理やり上半身を起き上がらせたとき、真っ先に目に映るのはぽとぽと落ちる点滴だ。点滴の管を追っていくと、右腕に何ヶ所にも及ぶ注射跡が黒ずむ。

 入院した最初の一週間は夜も咳が止まらなかった。眠れず睡眠薬に頼った。服用して意識が落ちるときの恐怖、このまま死ぬのかと何度も思った。

 ステロイドの過剰な投与は、現実と妄想の境をあいまいにした。本を読んでいると、その世界に一瞬で入り込んだ。頭では読んでいるはずなのに、思考は登場人物に同化していた。睡眠薬を飲んでいるはずなのに、夜に何度も目を覚ました。薄暗い病棟の奥の精神病棟から色々な人たちの叫び声が聞こえた。自分もその中の一員ではないか、そう思いながら夜を過ごした。


 退院してから長い休養が始まった。治療のために過剰に投与されたステロイドの影響は精神を蝕んでいた。感情のコントロールがおぼつかない。何でもないことに、怒りや悲しみに吠えた。まるで飢えた犬みたいに。

 しばらく経ってから、自分の姿を鏡で見た。醜い姿だった。筋力が衰えた自分への言い訳を続けた哀れな人間の姿。それが自分だった。


 まずは両手を握った。手を握ると節々に軽い痛みがあった。

 次に膝を曲げた。まるで錘をつけたように、ぎこちなく動いた。

 凝り固まった首、背中のせいで、体を捻るだけで刺すような痛みが走る。


 ストレッチに時間をかけた。まだ全身に鈍い痛みが走る。歩きながらスマホのアプリを動かした。ワークアウトのカウントが、三、二、一と減っていく。


 緑道を走る。冬枯れの木々が、朽ち果てた体に重なる。だが、木々は春になれば再び芽吹く。自分はどうか。腕を振りながら、息を切らしながら、後ろ向きな妄想が浮び、その都度くだらない考えをゴミ箱に捨てていく。


 腕を振る。

 腕を振るごとに、足が前に出る。息継ぎを続けるほどに、頭に中がスゥーハァーという音に埋められていく。空を見た。冬の雲が薄く太陽を透かす。木々が淡い日差しを受け、静かに佇んでいる。ふと小説のアイデアが浮かんだ。この気持ちを掌編に書き上げよう。気持ちが前へと進み。歩みが軽くなる。足の動きは変わらないが、気持ちは前へ前へと向かい始める。

 スマホから通知音が届く。気がつけば目標の距離を走り抜けていた。走るスピードがゆっくり落ちる。足を動かせ。一歩を刻め。前に進もう。ペットボトルの水を一口飲んだ。火照る体を胃がゆっくりと冷やす。



【表現力研究04】事故からの生還(精神の回復)

『壊れた思考が、ゆっくりと呼び戻される』


読者の状況が第三者からの言葉によって明かされ、

思考が回復する過程を追体験させます。

断片化された思考を文字で表現させることはフックになります。


事故からの生還

───うーうーうー。


 「中島さーん、聞こえますかー」


 ん? あー、あ!


 「無理しちゃダメですよー」


 う…。



───い、いた……い。


 「中島さーん、わかりますかー」


 つ…つら……い。


 「また、すぐ眠くなりますよー」


 こ…わ…い。



───からだが、うごか…ない。


 「中島さーん。だいぶしっかりしてきましたねー」


 ここは…どこだろう。いた…む。


 「もう少し、休んでいてくださいねー」


 ねむくなって…き…た。



───いたい、いたい、いたい。


 「中島さーん、意識がしっかりしてきましたね」


 からだが、ダメだ。いたくて。


 「痛みますよねー、まだ寝ててくださいね」


 なんで、ここに、じぶんは、だれだ。


 「意識戻ったばかりですからね。寝ててくださいね」


 まって…ここは…ど…こ?



───体が、動かない。ここは?


 「中島さーん、目がしっかりしてきましたねー」


 痛い。口も動かない。あ、もう一人きた。


 「中島さん、意識が戻りましたね。あなたは事故で入院しています」


 事故? 頭が痛い。何も、思い出せない。


 「無理に考えないで。頭を激しく打ったんですよ」


 わたしはどうなった?


 「まずは回復が先です。点滴を加えて。もう少し、眠ってもらおう」


 待って、教えて……。



───全身が痛む。どうやら病院らしい。


 「中島さーん、かなり動けるようになりましたね」


 「ここは……?」


 「しゃべれるようになったんですね。でも、まだ無理しないでくださいね」


 「う、うぅ…」


 全身に痛み。苦しい。


 「車にはねられたんですよ。全身打撲です」


 記憶が全然ない。散歩していた。


 「寝ててくださいね。先生が後で詳しく説明しますからねー」



───体の痛みが続く。辛すぎる。


 「中島さん、意識がしっかりしてきましたね」


 目の前に男の人。医者?


 「中島さんは明け方のジョギングで車にはねられたんです」


 「うぅ、覚えていない……」


 「あなたは頭を打ったんです。ちょっと目をみますね」


 ライトが目にあたる。まぶしい。


 「自分のことはわかりますか?」


 「中島充、一応……作家です」


 「手は動きますか」


 医者は指を触る。手を握る。どうやら動く。


 「足はどうですか?」


 足を動かすと少し痛い。頭ほどじゃない。


 「頭以外は大丈夫ですね。よかった。後で詳しくお話しをお聞きしますね」


 なんだか疲れた。目を閉じよう。



───頭はまだ痛い。手は無事みたい。


 「中島さーん、お客さんがきていますよー」


 「大丈夫か!」


 目の前の男性が飛び込んでくる。顔から涙をぼろぼろこぼしている。看護師が厳しく注意した。


 「まだ触れないでくださいね! 頭の傷がありますから!」


 「……大丈夫じゃないけど、大丈夫」


 「無事でよかった…」


 彼は私の夫だ。それくらいはわかる。夫は私の指をそっと触った。暖かい感触が広がる。なんだか眠くなってきた。


 「奥様は眠くなったみたいです。決して無理をさせないように」


 指の感触が心地よい。




───頭の包帯が取れた。髪の毛が綺麗さっぱりなくなった。


 「今日は帽子を買ってきたよ」


 夫が私の顔をみて言う。そして、小さな赤と緑の帽子を見せてくれた。彼は毎日きてくれる。忙しいはずなのに。


 「毎日こなくても大丈夫だよ」


 「心配なんだよ。俺は」


 「……ありがと」


 「気にするなよ。それより、治すことに集中だぞ」


 「そうね」


 「明日には君のご両親も来てくれるって」


 「遠いのに無理しちゃって」


 「当たり前だろ。みんな心配してるんだぞ」


 「なんか実感わかないな」


 「俺もだよ。ところで、知能検査の結果問題なしだったんだって? 先生も驚いてた」


 「これ以上、バカにならないってことじゃない」


 「なんだよそれ」


 私と夫は笑った。笑うと口ものが引き攣って、少し痛んだ。



【表現力研究05】彼氏の背中(執着表現)

『執着の形が、衝動の行為へとかき立てる』


『背中』というモチーフを使って、

言葉にできない感情を心の底で歪ませていきます。

愛情が執着へ変質する感覚が読者を底へ導くフックです。


彼氏の背中

 怪しいと思ってた。


 残業がやたら多い。帰ったらシャワーをすぐ浴びる。スマホばっかりみてこっちを見ない。


 「大丈夫?」


 「大丈夫だよ。ただ仕事が忙しいだけ」


 口に出すと愛が削れていく気がした。まるでヤスリで削るように、ザラザラと心の中に感情の粉が底に溜まる。あいつのさりげない優しさが楔になった。耐え続けた。わたしさえ我慢すれば、あいつは戻ってきてくれる。そう思い込んだ。でも、あいつのそっけない態度が続いていくと、我慢というダムは壊れ始めた。


 「週末どこかに遊びに行かない?」


 「ごめん、仕事が忙しいんだ」


 この会話、何回繰り返しただろう。あいつの優しさが、自分以外の女に向けられてる……そう思うと、心の底に沈む愛情だったものが濁っていく。わたしはいつまでこんな生活を続けるんだろう。わたしは心の中で、あいつの背中をゆっくりと撫でる。随分の間、触っていなかかったあいつの背中を。ザラザラとした指の感触が、わたしの愛情をさらに削り取る。


 「今日も遅かったね」


 「仕事が忙しいんだよ! いいよな、定時で帰れるご身分は!」


 いつの間にか、会話はケンカになっていた。心の中の愛情はほとんど削れていた。底に溜まった感情はズブズブと黒くて嫌な匂いだった気がする。でも今は違う。きっと血の味に似ているに違いない。生臭くて鉄のような苦い味。あいつがシャワーに向かう背中を見ると、きっと赤が映えるだろうと妄想する。背中から流れる赤い血は、シャワーのお湯と一緒に排水溝に流れるだろう。


 「今日は……」


 「うるさい! 黙ってろ!」


 もう会話らしい会話もない。毎日、あいつの背中だけを見てる。あいつの背中に包丁を刺してみる。きっと、包丁の刃がじわりじわりと皮を裂き、肉を断って、血が溢れるだろう。それを妄想すると、なんだか唇の端が上がってしまう。でも、まだやらない。だって、楽しくないから。どうせ、やるならあいつの顔をとことん歪めてやりたい。わたしは包丁をハンカチで包み、バックにしまった。


 ───今日未明、東京都○○区のホテルで石原○子さんが包丁を持った女に刺され、失血多量で死亡しました。ホテルに宿泊した男性がシャワーを浴びている中、従業員を装った女がホテルに押し入り、石原さんを殺害した模様です。女はホテルの従業員に拘束されましたが、恋人を苦しめてやりたかったと述べており、怨恨の線の疑いも含めて捜査中とのことでした。



【表現力研究06】観察される空き地(人称の偽装)

『透明な語り口が、観察者の思考へと引きずり込む』


淡々とした観察記録の語りが、読者に"安全な視点"を錯覚させます。

時間の経過と事実の積み重ねで、

読み手を観察対象へと落とすフックになります。


観察される空き地

 幹線道路沿いの一等地、高級ビルの隙間に空き地があった。空き地は十畳くらいの大きさで、中央に小さな石碑が置いてある。背の低いブロック塀が置いてあり、小さな扉が置いてあった。

 石碑のある空き地には誰が手入れしているかはわからないが、いつも空き地に雑草はなかった。石碑には何か書いてあるようだが、柵のせいで文字は見えなかった。しかし、手入れされた石碑とはいえ、随分と古いものだった。近くで見たとしても、文字を読めなかっただろう。


 一年が経った。空き地から雑草が生えてきた。ブロック塀の一部が崩れ、扉が半分ほど開いていた。石碑が草で覆われ、くすんでいるようだ。


 二年が経った。空き地には背の高い雑草が繁茂していた。ブロック塀を飛び越えるようにヤマゴボウの毒々しい紫色の実が目立つ。石碑は雑草で完全に覆われていた。


 三年が経った。空き地から雑草がなくなった。ブロック塀も、崩れかけた扉も綺麗に無くなっていた。石碑は消えてしまった。空き地には新しく砂利が敷かれていた。不動産売買にありがちな看板はなかった。空き地と歩道を遮るものは、黄色と黒のマークのロープだけだった。


 四年が経った。空き地には車が置かれていた。黄色と黒のロープは貼られていなかった。車を数えてみると三台が駐車されていた。見てみると全部高級車だ。馬にマークや、Bに翼の意匠、一般庶民は手が出ない車が並んでいる。残り一台が入れるほどのスペースが空いていた。やはり、不動産の看板はなかった。


 五年が経った。空き地に新しい車が止まっていた。一台の軽車両だ。高級車の間に明らかに不釣り合いな車だった。軽車両を停めた人間は気がついていないのだろう。看板のない場所に高級車が並んでる。察しのいい奴は、どんな連中がここに駐車しているかわかる。明日には面白い結果になるな。


 一日が経った。観察を始めて五年と一日か。軽車両の前にでかい軽トラックが止まっていた。軽車両の持ち主だろう若い男がウロウロと空き地を右往左往していた。こんな一等地に空き地が普通あるものか。曰く付きだから、ここは空き地なんだ。しかも高級車がずらりと並んでいる。ここの土地は間違いなく暴力団の領域だ。しかも、その空き地に軽車両は無断駐車した。暴力団にむしり取られにきたようなものだ。バカな奴だ。


 六年が経った。空き地は工事が始まっていた。ここにも新しいビルが建つ。以前、空き地に停めた軽車両の若い男は、きっと駐車料金をガッツリ払わされたことだろう。ここに建つ新しいビルの入居者、注意した方がいいな。この街に厄介な連中がいるってことがわかった。俺は継続してこの地域を観察することにした。唯一心残りは、あの石碑がなんて書いてあったかだけだ。



【表現力研究07】重なり合った窓に映る(詩文的描写)

『幾多の窓が、様々な世界を彩っていく』


様々な人称と感覚を並列に配置し、

多層に連なる世界の広がりを表現しました。

詩文的反復によって、言葉によるマルチ映像に挑戦しました。


重なり合った窓に映る

 たくさんの窓がある。

 そこにはたくさんのボクがいる。

 若草の芽が、青臭い匂いとなって体を包む。

 蝉の音が、低い波となって体を揺らす

 ススキの金の穂が、さわさわとに体に触れる。

 口に含んだ雪が、冷たく舌の中で溶けていく。

 全てのボクは、違う窓から違うものを感じてる。


 たくさんの窓がある。

 アタシにはたくさんの景色が見える。

 朝日を受けて、黄緑色の山々が光と影を描くのを。

 強い日差しで、緑の山々が白く輝き照らされるのを。

 オレンジ色の光から、赤色の落ち葉がもっと色づくのを。

 静かに浮かぶ月光で、白くなった山々が朧に浮かぶのを。

 全てのアタシは、違う窓から違う景色を眺めてる。


 たくさんの窓がある。

 そこには全ての時代の私がいた。

 赤ちゃんになって泣き叫ぶ私もいる。

 ランドセルを背負って走る私もいる。

 成人式に友達と一緒にポーズをとる私もいる。

 体の節々をさする私もいる。

 全ての私は、違う窓から違う時間を生きている。


 たくさんの窓がある。

 そこには選ばれなかった自分がいる。

 親に言われたままに生きた自分がいた。

 友達と一緒に歩んでいった自分がいた。

 先生に諭されて道を変えた自分がいた。

 誰にも言わないで道を選んだ自分がいた。

 全ての自分は、違う窓から違う人生を選んでいった。


 たくさんの窓から覗く世界も同じ。

 たくさんの窓を見ているのも同じ。

 ボクという感覚だって、

 アタシという視界だって、

 私という時間だった、

 自分という選択だって、

 どの世界も重なり合った一つの世界。


 世界を並べて見てみよう。

 世界は一つだけじゃない。

 ボクの感じは世界を形取り、

 アタシの見たのは世界を彩り、

 私の過去現在未来は世界を深く、

 自分の道は世界を切り開く。

 重なりのない世界はつまらない。


 だから今日も世界が一つ生まれてく。



文体研究


【表現力研究08】墓守噺(怪談噺)

『落語家の仕草が、寄席の"場"を浮かび出す』


客からみた寄席の光景を描きました。

落語家がその場にいるような臨場感を、

オリジナルの噺と、意外な結末がフックの掌編です。


墓守噺

 たん。


 暗闇の中で扇子の叩く音がした。


 ぼぉ。


 小さなロウソクの火が灯る。和服を着た男が座布団の上に正座している。男はロウソクを自分の前に置いた。暗闇の中にざわざわと音がする。誰かが生唾を飲んだ。小さくゴクリと音がする。


 「先日の話でございます」


 ロウソクの煙の匂いが立ち込める中、男はゆっくりと喋り始めた。


 「東京から若い学者先生が一人いらっしゃたんですよ。この地域の風習を調べているってね」


 男は座ったまま扇子をパッと広げて、軽く仰いだ。ロウソクが一瞬だけ消えそうになる。


 「おい、そこの墓守。ここは土葬の風習があると聞いたぞ」


 「へへへ、おっしゃる通りですだ。でも、何でそんなこと知りたがるんで?」


 「江戸時代の埋葬を調べているのさ」


 「へー、こりゃ因果な商売だね。じゃぁ何か、あんた墓泥棒かなんかかい?」


 「物騒なことを言うんじゃない。私は研究の一環で来てるんだ」


 「けけけ、あっしからみりゃ、墓暴きする奴は、学者だろうが泥棒だろうが墓暴きだがね」


 「お前は墓守だろ! 金は弾むから手近な墓を教えてくれ」


 ここで扇子がばっと閉じた。そして扇子を使って男は掘る仕草を始めた。


 「えっこらせ、どっこらせ。先生、あっし一人に掘らせないでくださいや」


 「何を言う。金は弾んだはずだ」


 「……まったく、これだから東京もんが。ほれよ、あんたが欲しがってたお宝さ」


 男は扇子を閉じたまま投げる仕草をして、透明な毱を何度もつかむ動作をした。


 「ひ! 腐った腕じゃないか。なんてもの投げつけるんだ」


 男は手拭いで鼻を押さえ、扇子を開いて口を隠した。


 「まだ、死んで二百年経ってませんねぇ。そりゃ死体にも肉がついてますぜ」


 「クソっ! それより頭蓋骨はあったのか!」


 「あー、先生は頭蓋を調べてなさったね。でもね、死体に桶が引っかかって取れねぇや」


 男は何度も扇子をぐいぐい引っ張ってみせた。


 「もういい! 代わりに私がやる」


 「へいへい、じゃあごゆっくり」


 「どこだ。頭蓋骨はどこなんだ」


 「そんなに頭蓋が好きなら、あんたも一緒に入ったらどうだね」


 「え! 待て! 何をするんだ! うわぁぁぁ」


 男は扇子を棒のようにして空を殴った。そして、扇子をスコップのように揺らしていた。近くから「ヒッ」という声がした。


 「やれやれ。これでこの桶に新しい死体が入ったね」


 「おやおや、随分財布が厚いじゃねぇか。墓泥棒を墓守だと勘違いするなんて馬鹿な先生だね。ミイラ取りじゃなくて死体取りが死体取りになったってか。笑えねえな」


 男はそう言うとロウソクをふっと吹き消した。同時に暗幕が風に揺れて朝日が差した。高座にも客席にも誰もいなかった。



【表現力研究09】「しふ(ゆ」の謎(電話とメール)

『一つのメールから危機を察知する』


奇妙な文字のメール一つがフックになって、

送信者に起きた出来事を推理させる掌編です。

メールと電話から人間関係を浮き彫りにします。


「しふ(ゆ」の謎

 今日も残業だった。

 バッグをベッドに放りなげて、あたしもうつ伏せになる。

 真四角のデジタル時計が午後十時になっていた。

 ベッドの上で目を閉じる。


 このまま眠ってしまいたい……。


 ダメダメ、顔に張りついた薄っぺらいマスクだけはがさないと。

 せめて、お風呂をわかしてテレビの電気をつけよう。

 のろのろ、お風呂をわかしてテレビをつける。


 冷蔵庫を開けて水を飲んだら、ちょっと落ち着いた。

 意外と、体を動かせばまだいけるみたい。

 鏡の前に立っていると、マスカラが目尻から飛び出てた。


 最悪! こんな顔で仕事してたんだ。


 でも、みんなゾンビみたいな顔してるから気づいてないか。

 髪をヘアゴムで縛って、メイク落としを手に取った。

 メイク落としの白い泡が、化粧と混ざって少し濁ってる。

 とりあえず、ざっと流して、あとはお風呂でなんとかしよう。


 ブーブーって携帯が鳴った。


 ───これから、帰るね。


 一緒に住んでるダーからだ、たしか今日は飲み会だったよね。


 ───今どこ?


 疲れてるからか、そっけない返事。

 あれ? なかなか既読がつかないな。

 怒っちゃったかな。


 ───しふ(ゆ


 え?

 携帯に浮かぶ、不思議な文字。

 大丈夫かな、電話をかけた。


 困った、全然出ないよ。


 ダーは東急東横線だから寝過ごすと横浜まで行っちゃう。


 プルルル。


 三十回くらいかけたかな。


 ガチャ。


 「大丈夫?」


 ダーの声はちょっと慌ててた。


 「自由が丘で降りたよ。電話いっぱいかけてくれてありがとね」


 電話からは、電車の発車音が聞こえた。


 「良かったね、横浜まで行かなくて」


 あたしは、安心して息を小さくはいた。


 「ところで、なんで寝てるってわかったの?」


 ダーから不思議そうな声がした。


 「知りたい?」


 電話ごしからホームのざわざわした音がした。


 「うん、とっても」


 よしよし、あたしの推理を聞かせてあげよう。


 「『渋谷』って打とうとしたでしょ」


 あたしはくすくすって笑った。


 「『しふ かっこゆ』になってる。なんだこれ」


 ダーはフリック入力使ってるの知ってるからね。


 「しぶやの『゛』をうとうとして指が下に滑ったんだよ。だから『(』になった」


 『しふ(ゆ』の『ゆ』もそう。『や』って打とうとしたら指が滑って『ゆ』になった。だから、寝ちゃったって思ったんだよね。


 「マジで! すごい、天才じゃね」


 電車がホームに近づく音がする。


 「まったく。気をつけて帰ってきてよね」


 電話を切ると、お風呂がわいた音がした。



【表現力研究10】生まれ変わりの問答(思弁小説)

『問答の中から浮かび上がる気持ち』


人生と価値をめぐる問答から、

古くから続く考えを現代の考え方に焼き直しました。

最後に残る言葉そのものが、静かなフックとなる掌編です。


生まれ変わりの問答

 気がつくと真っ白い世界にいた。最後の記憶はトラックがぶつかる瞬間。目の前にトラックが最後なら、きっと死んだんだろう。俺はぐるりと周りを見渡すが、白い服を着た爺さん以外は何もない。どこまでも、白い世界が続いている。俺は、爺さんに向かって歩いていく。


 「ここはあの世なのか?」


 「一つの生命が終わり、生命だった存在がたどり着く場所という意味なら『あの世』という理解は正しい」


 爺さんは厳かに答えた。俺は爺さんに生きてた頃からの疑問を口にした。


 「俺は生まれ変わるのか? 例えば異世界とかに」


 爺さんはその言葉を聞いて高笑いをした。朗々とした声は白い空間にどこまでも吸い込まれていく。俺はムッとした。


 「人生散々だったんだ。来世に期待したっていいじゃないか」


 「最近の人間はどいつもこいつも生まれ変わりを口にする。自分たちが特別な存在だとな」


 「俺だって自慢じゃないが、一生懸命生きてきたんだ」


 「ほぉ、ではお前たち人間が好きなデータとやらで教えてやろう」


 俺は生唾を飲もうとした。しかし、死んでいるせいか音は全くしなかった。


 「生きるとは情報を取り込むということだ。宇宙に有益な情報をもたらす存在なら、異なる世界で生きる資格もあるだろう」


 「なんかコンピュータみたいだな」


 「お前たちも金銭という物差しで価値を測っているだろう?」


 爺さんに言われると反論さえできない。それに、目の前にいるのは神様だ。ただの爺さんじゃない。


 「では聞くぞ。お前は何か人に誇れる経験はしたか?」


 「……ありません」


 「では、お前は人生において何冊本を読んだ?」


 「読書と情報に何の関係が?」


 恐る恐る俺は聞いた。なぜなら、ほとんど本なんて読んでなかったからだ。爺さんは呆れた声で説明を始めた。


 「良い読書の情報量は、特別な経験に匹敵するほどだ。価値として十分に値するものだ」


 「Webで読んだものではダメですか」


 「あれは、削りすぎた情報の残骸だ。コンピュータとやらが人間が必要とする新しい情報を不用な代物として削っている。何の価値もない」


 「ちょ、ちょっと待ってください! それじゃ、俺はどうなるですか!」


 「存在ごと消え去る。お前のような存在を残す意味がない」


 「そ、そんな! 助けてくださいよ」


 「では、宇宙にお前が必要だという理由を示せ。お前の言葉次第でな」


 俺は膝をついた。何も浮かばない。爺さんは俺の言葉を静かに聞いていた。


 「……俺には無理だ」


 「ほぉ、諦めるというのかね」


 「俺の人生に何か価値があったかと言われると自信がない。それに、死んだら生まれ変われるなんて、今までの人生を捨てたも同然だ」


 爺さんの眉がぴくりと動いた気がした。だが、何で動いたのかわからない。


 「ほぉ、人生を捨てたと思うかね」


 「生まれ変わりなんて信じるんじゃなかった。誰も死後の世界なんてわからないのにさ」


 爺さんは何かを考えるように、俺に一つの質問を投げかけた。


 「では、一つ質問をしよう。お前の住む世界がコンピュータが生み出した架空の世界だったらどうするね」


 「……それでも、俺は生きたいと思う。架空だろうが何だろうが俺は俺だ。俺は自分の世界を生きたいよ」


 顔を上げて絞り出した答えに、爺さんはニヤリと笑ったように見えた。目の前が光り輝いていく。光り輝いた先には、無数の宇宙がホットケーキが積み上がるように並んでいた。俺は世界へと飛び出して行った。


 俺は目を開けた。泣いている両親の顔が目の前にあった。俺はベッドの上に横になっていた。あれは夢だったのか。わからない。体は包帯まみれで全身が痛む。だが生きている。



【表現力研究11】胸のキラキラ、消えたキラキラ(少年小説)

『同じ景色が、違う景色に変わるとき』


少年の見たままの感覚をフックとして、

鮮やかな世界を広げることがフックになっています。

児童文学のような雰囲気で描く掌編です。


胸のキラキラ、消えたキラキラ

 ボクの家の近くに養豚場があった。


 鼻につく匂いがトイレみたいな匂い。でも、そこまでひどくない。何だか、柔らかくて穏やかな匂い。

 養豚場からは豚の鳴き声がまばらに聞こえた。風がふくと匂いはどこか山の奥へ飛んでいく。


 養豚場の横にある小さな池は、太陽を照らして白と黒のオタマジャクシがキラキラしてた。まるで目の玉みたいで気持ち悪かったけど、すくってみるとゼリーみたいだった。


 ボクは友達と一緒に、オタマジャクシを木のボッコで突いた。

 オタマジャクシは、薄い膜を破って池の中を泳いでく。


 ボクと友達は、川をはさんですぐそばだ。だから、いつも遊びに行った。

友達の家の小さな養豚場はボクの最高の遊び場だった。


 風が揺らす緑の葉の音は、カサカサなのかざわざわなのかわからない。だけど、オーケストラみたいに聞こえた。ボクと友達は夏の野山を走った。養豚場の奥は山へと続く小さな獣道だ。山の中に生えてた木々を、ボク達は包まれるようにスイスイと走り抜けられた。山の中で蝉の声がジンジンとなった。まるで山が蝉の声で揺れるみたいに。


 養豚場の池の隣に流れる小さな川は、親からダメだダメだと言われても、ついつい遊んでしまう。ちょっと向こうにはボクと友達の家を結ぶ小さな橋だ。


 ボクと友達は、走り回って疲れて座り込んだ。そして、顔を見合わせて笑った。二人のTシャツは汗でぐっしょり濡れて、少し濃くなって見えた。


 でも、ボクの楽しい夏はそれが最後に終わった。


 友達は養豚場を閉鎖して、引っ越してしまったからだ。

 友達はボクに何も言わなかった。友達の家は、夏休みを最後にきれいさっぱり消えていた。


 ボクは何にもなくなった養豚場の跡地に、一人で立っていた。


 オタマジャクシのいた池からキラキラは無くなっていた。


 蝉の声は聞こえるけど、あの時に聞こえたものとは何か違った。


 ボクは川のほとりに座って、灰色の水面に石をなげた。石は跳ねたりしなかった。


 ボクはしばらく立ってから、友達が引っ越しした理由を知った。


 「新しく引っ越してきた人たちが、友達の家を臭いと言った」


 親は言いにくそうに、ボクから目をそらした。


 ボクだって引っ越してきたばかりじゃないか。


 ボクの胸は重くなった。だから、川に向かって走った。


 川をはさんで見えた友達と遊んだ小さな池は、くすんだ灰色だった。



【表現力研究12】平賀源内異聞(江戸語り)

『歴史の隙間に怪異が潜む』


歴史上の人物の謎めいた出来事を背景に、

隠された怪異という楔を打ち込む掌編です。

平賀源内という異才を怪異というフィクションで描いています。


平賀源内異聞

 「俺に怖いものはねぇ」


 「やめなさいよ、平賀先生。ここは凶宅ですぜ」


 「そうですよ、平賀先生。わざわざ縁起悪い場所に住まなくても……」


 街の衆は口々に平賀源内を止めた。源内が買おうとしているのは神田橋本町の一軒家だ。前の持ち主であった貸金屋の神山検校。悪どい貸し付けで、散々食い物にしては女子どもを遊郭に落としてきた極悪非道だった。その神山検校の子が井戸に落ちて死んだのを皮切りに、神山本人にも不幸が続いた。非道な行いが神仏の怒りを買った、いやいや借金で破滅した町衆の恨みからだと、噂し合ったものだ。神山本人は無視を決め込んでいたが、次第に羽振りが悪くなった。そして、財産を失って最後にはのたれ死んだ。


 「俺はお天道様に恥ずかしいことはしてねぇよ」


 そう啖呵を切った源内、尚更意固地になって新居へ引っ越した。夏の暑い最中だった。人足に荷物を運ばせ、縁側でキセルを吹いた。刻み煙草の赤い火がのぞく。そして、口とキセルから煙がもれていく。源内は縁側から流し目でぐるりと見渡した。敷地は雑草がぼうぼうと生えていた。だが蝉の音は思いのほか小さい。井戸をちらりと見ると、陽炎のように揺らいで見えた。目を擦っても変わらない。


 「こりゃ過ごしやすいじゃねぇか」


 源内はニヤッと笑った。人足が荷物をどんどん運んでくる。何人かの門人がトタトタと廊下を歩く。源内に挨拶すると縁側の外に目を向けて、ぶるっと震えた。


 「どうしたよ。凶宅が怖いのか」


 源内が笑って聞いた。門人は恐々と敷地の端にある古井戸を指差した。


 「先生、いくらなんでも縁起が悪くありませんか? あの方向は凶方ですよ。よりによって南西の裏鬼門だ」


 「だから、ここを買ったのさ。この世の中に凶宅なんてありゃしない。そんなのは生臭坊主の言い訳さ」


 「あの井戸って子どもが落ちて死んだんですよね。あたしゃちょっと……」


 「水は井戸の底で流れるもんさ。別に飲んでも死にやしねぇよ」


 門人は口をつぐんだ。意固地になった源内はテコでも自分の考えを曲げないことを知っているからだ。人足の運び込みが終わり、門人たちも帰っていく。日はすっかり暗くなった。源内は動かなかった。


 「凶宅……面白いじゃねぇか」


 源内はそう言うと、井戸に向かって歩き出した。下駄に踏まれた青草の匂いが、枯れていた。源内は両手を袖に閉まって、一歩一歩進んでいく。夏なのに枯れ草を踏む音がする。慎重に慎重に、井戸へと近づいていく。井戸が揺らいでいた。源内は揺らいでいるわけを知りたかった。蘭学を学んだがこんなことは初めてだった。神山検校の屋敷を一度見た時に、この奇妙な揺らぎに気づいていた。


 「気になるんだよ、これが」


 源内は井戸に近づいて、井戸の縁を掴んだ。背筋にぞわりと悪寒が走る。見てはいけない、体が見るのを拒む。だが、源内は好奇心を抑えられない。ついに井戸の中を覗いていた。井戸の底には月が浮かんでいた。水面が揺れる。


 「なんだよ、やっぱりただの井戸じゃねぇか」


 そう言って水面から目を離そうとした。しかし、水面は勝手に揺れ出した。血だらけの男、そして血塗られた源内の姿が見えた。源内は息を飲んだ。体が震えていた。ゆっくりと、後退りをした。目眩がした。ぐらりと景色が歪んだ。意識が落ちた。

 気がつくと、源内は寝床で目を覚ました。朝だった。


 安永八(一七七九)年十一月二十日、平賀源内は抜刀して町人を斬った。そして、十二月十八日に獄死した。凶宅に住んで四ヶ月目だった。



【表現力研究13】忘れられた手当の物語(起源譚)

『触れた手が、意味になるまで』


傷を癒やす"手当"という言葉の由来に、

宗教的高揚感を加えて物語にしました。

古代にあったかもしれないという距離感がフックになります。


忘れられた手当の物語

 膝を折り腕を組んだ。こぼれる涙を拭かず、額を地面にこすりつける。土に涙が染みていくのがわかった。胸の激しい熱さが、心の芯から穏やかにさせた。


 ゆっくりと頭をあげる。目の前にはまばゆい光を放つ存在があった。この強烈な存在感に舌が動かない。どのような言葉であっても、この存在を言い表すには足りない。手を伸ばした。その温かさを、もっと、もっと……。


 目が覚めた。妙に鮮明な夢だった。胸の温かさがまだ残っている。夢で伸ばした手は少し熱かった。男は夢の内容を何度も口に出そうとした。しかし、夢の時と同じように舌が言葉を紡ぐのをやめた。小さなテントの中を何度も行ったり来たりした。自分の考えを整理しようと。


 テントを出ると、見慣れた茶色い大地が広がった。大地にはお情け程度に緑色が見える。男は羊飼いだった。羊たちがのんびりと草を食む中で、雪解けを告げる春の風が流れている。一匹の犬が吠えた。羊の群れが草を食べるのをやめて、ゾロゾロと牧羊犬に誘導される。遠くには羊飼いの一人が牧羊犬と共に、歩いていた。

 男は杖を持って、仲間のテントに向かった。杖の握りについた小さな鈴がチロリンと春風に混じる。テントには年老いた羊飼いの男が座布団に座ってあぐらを組んでいた。男は長老に礼をすると、正面に向かってあぐらをかいた。若い草の香りが二人の体を重くする。長老はゆっくりと言葉を紡いだ。


 「どうした朝から」


 「どう伝えればいいのかわからないのです。でも、長老であればご存知ではないかと」


 「難しくてもよい。自分の言葉で伝えるのだ」


 「夢を見ました。光り輝く存在……心が穏やかになりました」


 長老の目が少しだけ見開かれた。そして、すぐ目を閉じた。男は長老のただならぬ雰囲気をみて、自分は特別な経験をしたのではないか? そう感じた。


 「昨日のお前と今日のお前では、変わったことはあったかね」


 「体が少し温かい気がします。そして、この温かさを誰かに伝えたい。そう思いました」


 「長老! 長老!」


 テントの中に少年が飛び込んできた。幼さは残るが、羊飼いの一族らしく利発そうな瞳だった。よっぽど急いできたのだろう。肩を何度も震わせ、荒い息をテントの中に吐き出している。


 「長老の娘さんが!」


 「娘がどうした」


 長老の声が少しうわずった。男は立ち上がって少年を見た。冬の木枯らしのように男の心は冷えた。嫌な予感がした。


 「狼に左足を噛まれました。みんなで狼を追い払ったんですが」


 それを聞いて、男は駆け出した。長老の娘と男は愛し合っていたからだ。男はテントを飛び出して、娘の行方を探した。大地の一角に人だかりができていた。そこか! 男は走った。愛する娘の元に。

 男が近づくと、人の囲いが割れて足に深い傷を負った娘の姿が現れた。傷は深く、血が大地に染み込んでいく。男は娘の頬に手を当てた。冷たかった。娘は身を激しく振るわせていた。そして、小さな声で同じ言葉を繰り返した。


 「死にたくない、死にたくない……」


 男の舌は凍りついて、言葉を失っていた。手のひらが、男の意思を超えて娘の切り裂けた足に触れた。男には何故手を当てたのか分からなかった。しかし、何かが男の背中を押したような気がした。手が温かくなった。それは夢で見たあの温もりに似ていた。娘の震えは止まった。彼女は穏やかな微笑みを男に向けて、静かに目を閉じた。

 男は叫んだ。娘のために。そして、手を当て続けた。気がつくと全ての羊飼いたちが、男と娘を幾重にも囲んだ。男が涙を拭い娘を見ると、彼女の死に顔は驚くほど穏やかだった。長老は娘の心を救った男に跪き地に額をつけた。長老もまた泣いていた。

 羊飼いたちは娘を葬った。そして、心を穏やかにさせる手を持つ男を、新しい指導者に迎え入れた。それから、長い長い時が流れた。羊飼いの物語は失われてしまったが、心を癒すために手を当てる習わしは残った。そして、いつしか『手を当てる』ことが、癒すことを意味するようになった。



自由研究


【表現力研究14】父が隣に乗りたがらない(一瞬の伏線)

『何気ないことに危険が潜む』


どこでもありそうな運転練習から、

タイトルに書かれた意味が明らかになります。

日常系ミステリーの手法を生かした掌編です。


父が隣に乗りたがらない

 うちの地元は田舎だ。


 「おい、ボーっとするなよ」


 兄の声でハッとする。わたしは隣に兄を乗せて、車のハンドルを握っていた。


 「目の前に人が歩いてるぞ」


 「わかってるよ」


 田舎道をおばちゃんが腰を曲げて歩いてる。わたしは免許取れたての若葉マーク。今日はお父さんの車を借りて練習していた。わたしはドギマギしながら、ブレーキを踏んでいた。反対の足がプルプルと震えている。


 「ほら、もう大丈夫だぞ」


 わたしはブレーキをアクセルに踏み替える。ブォーっとエンジン音が激しくなった。渡り終わったおばあちゃんがビクッと背筋を伸ばした。


 「通行人を脅かさない」


 「わかってるわよ!」


 わたしは思わず言い返した。そして、恐る恐るアクセルを踏んだ。車がゆっくりと走り出した。兄はやれやれと言う顔をして、パワーウィンドウを下げる。田舎の畑の匂いが車内に入る。車はノロノロと道路の右側を走り出した。


 「親父もこれじゃ、一緒に乗りたがらないな」


 「ひどいよ! お父さんも」


 「だってさ、踏切の時に一時停止しなかったんだろ」


 「……あの時は緊張してたのよ」


 「親父から言われたよ。危なっかしくて隣に乗れないってさ」


 道がひたすらまっすぐ続く。両端には緑色のあぜ道が規則正しく続いている。今日は天気がいい。対向車も全然いないし、見える限り道がまっすぐ続いていく。春の空気は臭いけど、風は気持ちいい。


 「まぁ、緊張してる時は、コーヒー飲みながら運転するのが一番だよ」


 「そうだね」


 わたしは両手でつかんだハンドルから手を離し、左手でカフェラテを一口飲んだ。フロントミラーに目をやる。後ろからも車は来ない。そして、しばらくのんびり走っていると、兄がポツリと言った。


 「なんかおかしくない?」


 そう言われて、わたしはポカンとした。車はまっすぐ走ってる。道はとにかくまっすぐだ。わたしは兄に言い返していた。


 「おかしいところなんて何にもないよ」


 「いや、おかしいだろ」


 「何がさ」


 「お前、車線をずっと右側で走ってるぞ」


 わたしは小さく「あっ!」と言うと、車線を左側に動かした。


 「親父が一緒に乗りたくないわけだ」


 「お兄ちゃんだって気づかなかったでしょ!」


 兄はコーヒーを飲みながら笑った。わたしは顔から耳まで熱くなった。田舎道だからか、一キロ走っても対向車が来てなかった。



【表現力研究15】相性が悪い故郷の餃子屋(味覚の更新)

『過ぎ去った時間の中、思い出の味が浮かぶ』


店の外の空気感から始まり、

過去の記憶を現在が上書きする過程を、

味覚を媒介にして表現した掌編です。


相性が悪い故郷の餃子屋

 夜の中、オレンジ色の街灯が雪道を照らす。凍りついた道に滑り止めの黒い砂が撒いてある。ちらほらと小雪が降ってきた。滑らないように足元に力を入れよう。


 家族を置いて、久々に夜の道を歩いた。妻のあきれた声が耳に残る。


 「あなた、きっとあの店と相性悪いのよ」


 少しづつ、ネオンが強くなってきた。歓楽街にやっと着く。漏れる息は白い。北国らしい夜の冷え込み。肺に入る空気が心地よい。


 「この前行った時は、臨時休業中だったでしょ」


 妻の言葉を思い出しつつ、お目当ての店を見つける。餃子の店だ。チェーン店なんだが、地元にしかないローカルな店。ありがたいことに、観光客にも知られていない。店の中をチラ見した。二人の店員が店を切り盛りしている。予想通り、夕食どきだけど一席空いていた。


 「その前なんて、準備中だったじゃない」


 この餃子屋は高校生時代から通った店だ。上京して十年以上経ったが、帰るたびに訪ねていた。結婚して子どもが生まれると、毎日が忙しすぎて足が遠のいていた。数年前からだ。子育てが落ち着き、久々に故郷に帰るようになったのは。


 「あなた、この店と相性悪いんじゃない? 妻の言うことは聞くものよ」


 妻の声が脳裏に響き、苦々しい気持ちになった。そんなバカな。そう思いながら、十数年ぶりに店の中に入った。ニンニクの匂いが食欲を誘う。相変わらず無愛想な店員が黙々と餃子を焼いている。丸椅子に荷物を置いて食券機を触った。タッチパネルになっていた。時代の流れだな。そう思いながら、定食とテイクアウトを選ぶ。二枚の紙をカウンターに置く。無言で店員が食券を確認し、一枚をカウンターの上に残していた。


 「カレー餃子定食一つ、テイクアウト一つ」


 食券を受け取った店員が、調理担当の店員に声をかけた。寒い店内だ。コートは脱がずに荷物を床に置き直し、椅子に座った。水の入ったグラスがトンと置かれる。しばらくスマホをいじっていると、目の前にカレーライスと餃子、味噌汁が置かれた。久々の匂いによだれが出る。真っ赤な福神漬けをカレーに置いて、スプーンで一口食べた。

 ここのカレーは辛くはないが、柔らかくはない。何か硬い味がした。昔からこの味が好きだった。次に小皿に醤油を垂らす。もちろんラー油と酢も入れた。スプーンから箸に持ち替えて、餃子を一口で頬張る。パリッとした感触とニンニクの味が口に広がる。変わらない味がして安心した。


 「缶ビールを頼むよ」


 「お客さん、券売機で買ってくださいよ」


 客と店員のやり取りを聞きながら、カレーをもう一口食べる。昔から気になっていたが、チキンカレーではない。もしかして、餃子の餡に使っていた豚肉だろうか。なるほど。十数年経って、初めて具のことを考えたのかもしれない。二口三口とカレーライスがスプーンで削られる。カレーライスが減るたびに餃子の数も減った。


 「ごちそうさん」


 一人の客が店を出た。ドアが開き冷たい冬の夜風が店に吹き込んでくる。最後に味噌汁をすすった。この味だ。量産品の味がするがインスタントからは程遠い。全国展開している牛丼屋の味噌汁ほどのインスタント感はないが、機械的な味噌汁の味。不味くはないが、どういうわけか記憶に残る味だ。気づくと全部腹の中に収まった。あとは、テイクアウトを待つだけだ。


 時間潰しにスマホでニュースを読んでいた。何本か読んで、時間を見る。すでに何人かの客が出ていった。新しい客は入ってこない。だが、餃子を焼く音が聞こえない。少しイライラしながら、コップの残りの水を飲み干した。おかしい。新しい客が入ってこない店で、暇そうな店員をチラチラと見つめた。店員が食器を下げようとすると、目の前に置いてある食券に気がついたら。


 「お客さん、テイクアウトありましたっけ」


 「そうだよ」


 店員は、もう一人の店員に目配せをした。慌ただしくテイクアウト用の餃子を焼き始める。そして、店員は丈夫なビニールに包んだ餃子の箱をカウンターに置いた。


 「ご馳走様」


 テイクアウトの包みをつかんで、小雪が降る夜の道を歩き始めた。そして、脳裏に妻の言葉が聞こえてきた。


 「チェーン店なんだか別の店舗にしなよ。妻の言うことは聞くものよ」


 手に持ったテイクアウトの包みを見ながら、苦笑いをした。夜風が冷たい。指で耳をつかんだ。早く帰らないと餃子が冷める。妻や子どもにも食べてもらわないとな。



【表現力研究16】決別のワイン(複雑な味覚表現)

『選んだ一杯が、新たな気持ちを作り出す』


複数の味覚を組み合わせ、

新たな感情への原動力にします。

食べ物と飲み物という二つの味わいがフックになります。


決別のワイン

 「ワインリストをお願い」


 私は彼との思い出のフレンチレストランの中にいた。私はなるべく顔を動かさないように、店内を見渡す。こじんまりとした店内で、何人かのカップルが楽しそうに談笑していた。ゆったりとしたジャズが流れてくる。ソムリエがワインリストを持ってきた。彼は片手をお腹に添えて一礼、渋い声が耳に優しく響く。


 「お待たせしました。当店のワインリストです」


 「ワインリストにないものも置いてる?」


 「もちろんです。ご注文に合わせてワインをご案内いたします」


 「そうね、オーダーに合わせておすすめを教えて」


 「かしこまりました。ワインを何本かお見せいたします」


 私は背中を向けて去るソムリエの姿に、彼の姿を重ねていた。彼の初デートもこの店だった。あの頃の彼は背伸びをしてこのレストランを予約していた。あの時の彼は少しよれていた背広を、私も原色の藍色のドレスだった。今思えば、二人ともおかしな格好だった。いくらフレンチレストランとはいえ、あそこまでドレスコードする必要はなかった。店に入った瞬間、二人で顔を見合わせて失敗したって顔をしたっけ。思い出が風で断ち切られる。目の前にはソムリエがワゴンにワインボトルを乗せて運んできていた。


 「お待たせいたしました。テイストの異なる二つのワインをご用意しました」


 「赤と白ね。どっちにしようか悩んだのかしら?」


 「そうですね、お客様のご注文はアラカルトでしたから。選択に悩みました」


 「ふふ、じゃワインを教えて」


 「まずは赤ワインから。カンタン・ジャノブルゴーニュ・ピノ・ノワール

です。フルーティな味わいでありながら上品な味わい。そして舌触りが素直な一品です」


 「赤は軽めなのね。じゃ、白ワインは重厚な感じ?」


 「素晴らしい慧眼ですね。白ワインはグランド・リザーヴ・シャルドネです」


 「あまり聞かないわね」


 「こちらはカリフォルニア産です。肉料理にも耐えられる重厚さ、それでいて上品さが際立っています」


 「ありがとう。それじゃ、赤を頂こうかしら」


 「幅広のグラスをご用意いたしました。フルーティな香りをお楽しみください」


 そう言うとソムリエはワインを開栓し、グラスの中に静かに赤い雫を垂らした。ゆっくりと溜まる赤の海が私の記憶を呼び起こす。あの時の彼は奮発して高いワインを頼んでいたっけ。どんなワインか忘れちゃったけど、赤ワインだったのは覚えている。

 赤いグラスに映る今の私は、スーツが似合うビジネスパーソンになった私。ソムリエは、そんな私にそっとグラスを寄せた。


 「どうぞ」


 私は軽くグラスを傾けて、レッグを見る。レッグは綺麗なラインを描いていた。グラスに映る私の顔は満足気だった。音を立てずに一口を少しすする。口の中に軽やかだけど強い香りが鼻を抜ける。そして、喉から体が温かくなっていく。


 「いいワインね」


 「ありがとうございます」


 アラカルトを頼んだのは、彼との最初のデートで注文した料理だったからだ。彼とは何年前に別れた。家庭を築きたいという彼の考えと、キャリアを積みたいという私の考えが合わなかったから。今日ここにきたのは、彼との思い出とサヨナラをするため。


 「君はボクといつよりも、働いている時の方が輝いているよ」


 あの時の彼の言葉が耳に残った。私は新規プロジェクトを任せてもらったばかり。毎日が忙しく、帰りも遅かった。休みの日はぐったり疲れて、彼とのコミュニケーションもおなおざりになった。彼は少し寂しそうな顔をしていた。そして、会える日が減り、自然と恋仲から友人へ、そして知人になった。知らないうちに連絡が減っていき、彼から別れを切り出された。

 肉が焼ける匂いに気持ちが引き寄せられる。目の前には、大ぶりのお皿に牛フィレ肉にフォアグラのソテーが添えられていた。薄給だった彼が精一杯の気持ちで選んでくれたのがよくわかる。フォアグラの香りが食欲を誘った。


 ナイフが簡単にフォアグラを引き裂く。まだ少し湯気が出ていた。唇に触れないように、舌の上にフォアグラを置いた。口の中に肉の味わいがゆっくりと溶けていく。そして、ワインを一口飲んだ。口の中に二つの上品な味わいが混ざり合う。そして、穏やかに鼻を抜け、喉を通り、優しく胃を包む。


 お腹の辺りが温かくなるにつれ、彼の姿が頭に浮かんだ。でも、ワインが減るにつれ、アラカルトが消えていくにつれ、彼の姿が朧げになっていく。


 「いかがでしたか?」


 ソムリエの言葉にハッと顔を上げた。彼の姿が頭から消えていた。ソムリエは穏やかな笑みを浮かべながら、私の言葉を待っていた。


 「とても素敵なワイン。美味しかったわ」


 「ありがとうございます」


 「次回もまたワインを選んでくれる?」


 「もちろんですとも」


 そう言うとソムリエは静かな笑みを浮かべた。仕事後の楽しみが一つ増えて嬉しくなった。



【表現力研究17】手が紡ぎ色づくとき(認知の変化)

『つないだ手から世界が彩られる』


手をつなぐという小さな一歩で、

視界と感情を一気に広げます。

ずれた焦点が重なる瞬間をフックにした青春掌編です。


手が紡ぎ色づくとき

 「歩くのが速いよ!」


 ボクは驚いてハルカの顔を見た。ハルカがほっぺを膨らませていた。


 「ご、ごめん。歩くの速かったかな?」


 「ついていくのもやっとだったよ! ユウタは陸上部なんでしょ。自覚してよ!」


 ボクは頭をかいた。女の子とのデートなんて初めての経験だ。夏の日に二人で遊園地にやってきたのに、ボクときたら彼女の顔さえ満足に見ることさえできていない。はっきり言うとどうすればいいのか、さっぱりわからない。その上、彼女を怒らせちゃった。多分、緊張のせいだ。でも、緊張を理由にはできない。


 「ごめんね。気をつけるよ」


 「やっぱ、こうしなくちゃね」


 突然、ハルカがボクの手をギュッと握った。ボクはびっくりして、ヒェっと情けない声をあげた。


 「あはは、何それ! カエルみたいな声だよ」


 「い、いや、と、つぜんのことで驚いちゃって」


 ボクは緊張のあまり、言葉もかみかみだった。ボクらを通りすぎる人たちもボクを笑ってる気がした。恥ずかしくて、今すぐにでも走り出したい。そんなボクの気持ちを気づいたんだかわからないけど、ハルカは口元のニヤニヤを消そうとしない。しかも、しっかり手を握ったままだ。


 「こうすれば並んで歩けるでしょ」


 「ま、まぁ、そうだね」


 「それに、チュロスを食べたいんだ。行こうよ」


 そう言ってハルカはボクをチュロス屋さんまで引っ張った。ボクは彼女の走りに合わせて、一緒に小走りした。

 手を繋いでハルカと一緒に小走りすると、ボクの歩調が明らかに速いってわかってきた。彼女が速すぎる歩きを、軽く引っ張って止めてくれる。少し冷たい彼女の手が、ボクへ無言のメッセージを送ってくれるのがわかった。ボクは嬉しくなった。ボクもハルカの手を包むように握り返した。


 ハルカの手を握り返すと、なんだか世界が色づいた気がした。今まで見えなかった遊園地の光景が、彼女の手を通して広がっていく。薄いピンクのモノレールが空を二つに割った。眩しいほどの初夏の日差しがジリジリと肌を刺す。空はびっくりするほど青く澄んでいて、ジェットコースターからは甲高い叫び声。あぁ、緊張してたんだな。カッコつけようとして失敗してた。彼女の手がボクに寄り添うことを教えてくれる。ボクはもう一度、彼女の手を握り返した。


 「ユウタ! 早く! チュロスの屋台が混んじゃうよ!」


 「そうだね、急ごう! お腹減ったよ」


 今度はボクがハルカを引っ張った。彼女はちょっと目を丸くしたけど、すぐにスピードを合わせてくれた。二人は並んで走った。ボクは彼女に合わせ、彼女はボクに合わせながら。走りながらボクとハルカは笑った。



【表現力研究18】一服の暴力(意味の遷移)

『言葉の意味が、変わる瞬間』


『眩しい』という言葉のモチーフが、

次第に意味が変わっていきます。

古典作品をインスパイアした掌編です。


一服の暴力

 落ちているタバコの吸い殻を拾う。なるべく先が残っているやつがいい。ビニール袋にはシケモクの材料が集まった。


 また、指が震えてきた。チャッチャと作らないとな。


 土管の中にタバコの残骸が転がっている。


 俺は土管の中で座る。ここだと冬でもあったかい。浄水を海に流すはずの土管。今は一滴も流れちゃこない。


 拳くらいの石をつかんで潰す。タバコのフィルターが潰れて、乾いた茶色がお茶っ葉みたいだ。婆ちゃんが茶漉しで、番茶をいれてくれたっけ。今では、俺はこのザマだ。お茶には程遠い匂いが、指を落ち着かす。


 ビニール袋の上で、両手に茶色をのせて振る。手にはシケッたゴミが残る。それを俺は海に捨てる。冬の青黒い海が、俺の汚れで染まって気が晴れる。


 砕いたタバコの中からフィルターを探す。マシなのがあるといいな。冷たい土管の上をザラザラと手が鳴らす。


 マシな紙とフィルターを見つける。唇が綻ぶのがわかる。メシよりタバコ。これが俺の人生さ。波がザブンと同意した。


 フィルターに綺麗な茶色を詰め直す。

 できた、できた、綺麗な宝物。

 せっかくだから、ぶらぶら歩きながら一服しよう。なんだか、お天道様も俺を祝ってくれている。


 何だか光が眩しいな。


 見晴らしのいいところで吸ってみよう。土手を登ると海の果てはキラキラしてる。


 宝物に古びたライターで火をつける。肺の中まで、喜びが満ちる。そして、愛おしく鼻からゆっくり出す。


 おや、フードをおろした小学生が歩いてくるぞ。後ろには中学生か。


 あら、残念。宝物も終わりの時だ。小学生がすれ違う。あどけない顔で何不自由なく暮らしてるな。


 太陽みたいに眩しかった。


 俺は腹立たしさから、魔が刺した。風が土手にカサカサと揺れる金のススキが並んでる。


 俺はフードに宝物を落とす。フードに赤い炎が光る。俺は小学生に背を向けた。


 だけど、やばいなと振り返る。


 中学生が、シケモクを持って俺を睨む。小学生がなんだろうって顔を中学生に向けた。中学生の手から赤い炎が落ちる。そして、綺麗な茶色の革靴で容赦なく踏み潰す。


 俺の宝物なのに。


 中学生の手が小学生を撫でる。あいつの口が動いた。


 眩しい奴らに背中を向けて、俺は一気に駆け出した。



【表現力研究】るぃゔにばぞ(音響効果)

『聞き慣れない音が追いかける』


日常の音に混じる違和感が、

少しずつ正体を帯びていきます。

音から始まり音で終わる現代のツールを使った掌編です。


るぃゔにばぞ

 …ゔにば…


 え!? 私はランニングをやめ、耳のイヤホンを外した。周りを見る。夜の横断歩道の目の前、幹線道路沿いの信号の前だ。目の前を何台もの車が左折し、青や黒の自動車が私の目の前を曲がっていく。何なの? 今の声は? 男の人の声だったけど。見回したけど、通行人は私の前を無表情に通り過ぎる。気のせいだよね。私はイヤホンを付け直し、腕を振り始めた。足が左右のリズムを刻む。変に呼吸が乱れていた。さっきまで、ほてってた体が冷える。黒いランニングウェアの汗が妙に冷たく感じた。


 目の前の信号が青になった。私は足踏みをやめて、横断歩道を渡る。目の前をすれ違う人たち。サングラスを通すと、オレンジ色にくもる。音楽が止まっていた。さっきとってたときに音を止めちゃったかな。少しづつ足幅を大きく。呼吸と足が同じになるように。私は走りながら右手でイヤホンを軽く叩いた。音が鳴った。お気に入りのポップスだ。軽快な音がリズムカルに足を運ぶ。歩道を走る私の後ろをたくさんの車が追い越してゆく。夜のランニングが好き。だって、人通りが少ないから。


…ぃゔにば…


 ポップスに混じる男の人の声。急いで周りを見た。幹線道路に並ぶ電灯の群れは、前も後ろも誰もいない。遠くにちらほらと人の姿が見えるだけだ。


 ───気のせいかな。


 その場で何とか、足踏みはやめないでいる。落ち着いて。落ち着いて。足踏みすると乱れた呼吸が、ゆっくりと整ってくる。今も軽やかで甘いメロディのポップスが流れ続けていた。


 ───気のせいよね。


 あの道を左に曲がる。高い壁で囲まれた墓地の横を走る。灰色のブロックでできた隙間から卒塔婆が何本も見える。普段は気にも留めないけど、今日だけは気になる。気持ち早く走ろう。顔は前を向いてるけど、目線が左によっていく。


 …ぃゔにばぞ…


 耳に声が響いた瞬間、ブロックの隙間と卒塔婆の間に見えた。白い何かが一瞬だけ。よく見えなかった。スピードを一気に上げた。街灯の淡く青白い光が壁を照らす。何かに心臓がつかまれそう。心拍が上がる。目の前に小さな公園が見えた。ちょっと一息入れよう。オレンジの街灯で照らされる、木でできたベンチが見えた。周りには誰もいない。


 …るぃゔにばぞ…


 ───イヤホンからだ。


 左腕につけたスマホをいじった。暗い街灯に音楽アプリがポップスの名前を照らす。今もポップスが流れている。恐る恐るスライダーをゆっくり戻していく。イヤホンから男の声がもれた。


 ───そばにいる。


 私は悲鳴を上げた。



【表現力研究20】沈没船の危難(水中戦闘)

『水中の視界の中で、見えない敵が襲ってくる』


暗い船内での潜水という制限下で、

緊張と判断を肉体の極限まで追い込みます。

環境そのものがフックとなる戦闘掌編です。


沈没船の危難

 シュー、コー。


 ゆっくりと船内を捜索する。ここは沈没船。私はトレジャーハンターだ。

夜のように暗い船の中を、額のライトで潜る。


 ライトが木造の船体を写す。フジツボがびっしり張りつき、色とりどりの魚たちが泳いでいる。海藻が生えてなくてよかった。それだけが安心材料。


 マウスピースから空気がもれ、無数の泡が船体に満たす。何か長いものが横切った。水中銃を構える。


 ───何? 今のは。


 胸の圧迫が強くなる。体を起こしてぐるりと目を凝らす。見えるのはピンク色のイソギンチャクだけ。それ以外は、銀色の小魚が何匹か呑気に泳いでいるだけだ。


 ───何もなかった。


 慌てないで。自分に言い聞かせる。息が荒ければ荒いだけ、活動できる時間が短くなる。四百年前に沈没した船のお宝を見つめるまでは、私は戻れない。体を水平に戻して、足に力を込める。なるべく力をいれないで、リラックス、リラックス。


 シュー、コー。


 沈没船の中に入って十分ってとこかな。左手のダイバーウォッチをチェック。当時の船の構造なら、もう少しで船長室のはず。少しだけ豪華な扉が見える。木の扉だけど縁に赤い装飾している。鍵はかかってるかしら。ラッキー。鍵はかかってないわね。扉は少し歪んでる。開けられないってことはなさそう。扉を思いっきり動かす。


 波が動いた。何かいる? すぐに水中銃を構えた。速い。銃身に何かが噛みついた。水中銃を船体にぶつける。腐った木片が水中に飛び散る。何かが離れた。どこ? どこにいったの。


 シュー、コー、シュー、コー。


 見えない。息が乱れる。水中銃の銛先がブレる。あれは何? 考えてる余裕はない。船長室まで一気に泳いだ。そして、船長室の中を張りつくように、ゆっくりと動く。周りを見て。船長の机に、朽ち果てた骸骨が散らばってる。机の奥には金庫が半分空いていた。金庫から金色の光がちらっと見える。


 ───沈没の時に壊れたのかな?


 シュー、コー。


 息が整ってきた。でも、金庫にはまだ行けない。あいつを何とかしなくちゃ。ライトを左右に動かす。どこ。どこにいるの? また何かが通った。今度こそ、仕留めてやる。手元の水中銃を構えた。わかった。船長室の机の下。飛び出したら打ち込んでやる。水の流れが止まる。水中銃の引き金に指をかけた。さあこい。


 ───きた!


 水中銃からシュッと銛が飛ぶ。そして貫く。水中に赤い液体が広がった。


 ───ウツボね。


 口の中を貫通したウツボが、牙をむき出しにもがいていた。私はゆっくりと息を整える。



【表現力研究21】対怪獣戦術躯体〇三式 市街地戦闘記録(操縦視点)

『操縦席から見る戦場は、理不尽なほど現実的だ』


巨大兵器の内部視点から、

市街地での重厚な戦闘を描きます。

コクピット内と兵器をカメラを通じて同時に表現する掌編です。


対怪獣戦術躯体〇三式 市街地戦闘記録

 油圧ジャッキの音がした。モーターが全力で走り、まるで電車の中だ。制御モニターが機体の異常を赤く示す。機体の揺れが吐き気を起こす。だが、負けない。両手で制御桿を引き上げる。ギギギと機体が起きる。


 「モニターは正常か?」


 人型怪獣決戦躯体の外部カメラの映像を確認した。前方の映像が映し出される。市街地の壊れた家々から小さな煙が立ち上る。映像に映るのは三十メートルある怪獣だ。さっき、奴の体当たりをもろに受けた。ナノマシンの破損箇所修復割合が低すぎる。機体の破損を示す赤いマーカーから変わらない。通信音が鳴る。サブモニターから指揮官の顔が現れた。


 「急げ、前方から来るぞ!」


 前方モニターに目を向けた。恐竜みたいなトカゲの化け物が後ろ足だけで走ってくる。奴が頭を下げた。ぶち当たるつもりか。制御桿と両足のペダルを思いっきり踏んだ。体から体重が減った気がする。うつ伏せになった機体が、間一髪で恐竜の化け物をかわす。恐竜は走る抜けてビルに打ちあった。奴はギャオォォンと凶暴な叫びを上げた。コクピットに叩きられそうな重力がのしかかる。だが、機体は安定してきた。修復されて破損部の赤が消えてゆく。モニターを見返した。奴の首がビルにめり込んで暴れている。ビルがグラグラと揺れていた。


 「くたばれ! 怪獣め!」


 俺はモニターを操作した。稼働武器の一覧が現れた。ここは市街地だ。住民を避難させているとはいえ、ロケット弾なんかの火器は使えない。バカバカしいが、火器は戦闘中でも議会の承認がいる。使える対怪獣兵器は近接武器だけか。


 「司令官! ヒートロッドの許可を頼む!」


 「許可する。だが、街の被害を拡大させるなよ」


 「散々、怪獣がぶっ壊しただろ!」


 「それでも、議会が納得しない」


 「クソッタレ! ヒートロッド起動!」


 俺は近接武器の承認を確認して、モニター横のスイッチを操作する。外部カメラの一部でヒートロッドを機体の右足から吐き出されるのが見えた。操作桿を使って、五メートルを超える警棒上のヒートロッドを起動した。愛機の右手のヒートロッドが赤熱する。エネルギー充填は十分だ。怪獣はまだもがいてる。機体を全力疾走させる。コクピットの自動制御は何とかバランスを取ってるようだ。


 「くらいやがれ!」


 怪獣のうなじに愛機がヒートロッドを突き立てる。奴の絶叫が聞こえてきた。真っ黒い液体が弾け飛び、外部カメラの視界がふさぐ。ヒートロッドを突き立てながら、怪獣の首をビルから引き剥がす。外部モニターが黒く張りついた。


 「カメラを切り替えろ!」


 音声入力で外部モニターを切り替えた。怪獣の首がちぎれかかっていた。操縦桿を全力で引き上げる。足にあるギアを最大出力だ。腕と一緒に愛機の油圧ジャッキが悲鳴を上げた。ゴキゴキっと嫌な音がコクピットにも伝わってくる。怪獣の首がもげた。そして、外部モニターが首を捉え続ける。家の一つに首が落ちた。激しく埃が上がる。


 「やったか!」


 念の為、ヒートロッドを脊髄まで突き立てた。首のない怪獣はゆっくりと倒れていく。息が荒い。ゆっくり息を調えろ。そして、長いため息をついた。怪獣は倒した。何とか仕事を片付けた。



最終研究


【表現力研究22】その短編書くきっかけは?(作品のリズム)

『"ぐわー"をしたくて青春を書いた』


リズムを聞きながら作品を作るという、

裏話を絡めて短編小説の作成過程を描いた掌編です。

書いた動機の暴露そのものをフックにしています。


その短編書くきっかけは?

 ここはいつもの喫茶店、作家と編集者が相変わらず二人で打ち合わせしていた。目の前のコーヒーカップから温かい湯気が浮かぶ。珍しく編集者が興奮していた。


 「先生、原稿受け取りましたよ。いいですね、窓をモチーフにした作品」


 「喜んでくれて嬉しいよ」


 そう言って作家はうまそうにコーヒーを一口飲んだ。喫茶店の窓ガラスにブレザーを着た中学生が何人か通り過ぎる。中学生を見ながら編集者は、手のひらをポンと叩いた。


 「ところで先生、どうやって男女の中学生の心情を表現をしたんですか」


 「あぁ、あれね。大変だったんだよ。Mrs. GREEN APPLEの『青と夏』を聴きまくったんだよ」


 「最近流行りのバンドですよね。どうしてまた」


 「中学生の心情知るには、流行りを知っておかないとね」


 「それで、作品にどう生かされてるんですか?」


 「初夏のパート、短文で刻んでるでしょ? リズムとテンポをBPMで調整したんだよ」


 作家の説明を聞いて編集者はますます驚いた。まさか、あの短編が音楽リズムで作っていたなんて。作家が作った窓がモチーフの短編は、男女の中学生の視点を一人称で切り替えていた。この心情の切り替えも何かトリックがあるに違いない。


 「じゃ、女子中学生の心情を把握するのは」


 「え! いやまぁ……」


 「先生! 犯罪に手を出してるんじゃないでしょうね!」


 「ち、違うよ! ただ想像しただけだよ」


 「やっぱりそうじゃないですか! 変態!」


 編集者はここぞとばかりに作家を責め立てた。コーヒーがむせ込んで作家は苦しそうに咳をしていた。あんまり咳が長いから、編集者は慌て始めた。へっぽこ作家でも死なれでもしたら後味が悪い。


 「嘘ですよ! せ、先生、大丈夫ですか?」


 「ふぅ、死ぬかと思ってよ」


 「いやぁ、死ななくてよかったですねー」


 「まったく、ひどいね。君は」


 ウェイトレスがやってきて、作家のカップにコーヒーを入れる。作家は小さく会釈をした。この喫茶店では二人は常連だ。編集者はティーポットから紅茶を入れた。


 「ところで先生。あの短編、書くきっかけを教えてもらえますか?」


 「あー、あれ? この前、マトリックスのぐわーっとするやつの話をしたよね」


 「バレットタイムですね。短編でラストの演出に上手く使ってましたよね」


 「あの作品はね、バレットタイムをやりたいから書いたんだよ」


 「え?」


 編集者は思わず耳を疑った。あの短編は中学生の恋愛を描いた青春小説だ。確かにラストはバレットタイムを使っていたが、言っている意味がわからない。編集者は頭が真っ白になった。作家はコーヒーをテーブルに置いて、ニヤリと笑った。


 「バレットタイムはね。読者の脳内でイメージを固定させないと回転できないんだ。だから、同じ場面を繰り返したんだよ」


 「え、あのシーンってそういう意味なんですか」


 「そうだよ。窓だって最初からカメラの暗示だからね」


 「マジっすか」


 編集者は紅茶をゴクリと飲んだ。あのバレットタイムをやりたいだけのために、わざわざ何万字も書いたのか。そして、さらに思った。この作家はやっぱり頭のネジが三本くらい飛んでいると。



【表現力研究23】次回作をお願いします(AIプロットの問題点)

『AIに"売れる秘訣"を聞いたら、鼻くそが出てきた』


『AIに聞いた売れる秘訣』を、

出した場合にどういう反応するかを想定してみました。

企画会議が崩壊していくズレ自体をフックにする掌編です。


次回作をお願いします

 作家は相変わらず喫茶店でコーヒーを飲んでいた。目の前に座っているのは、いつもの編集者だ。しかし、いつもと違う点が一つある。編集者がもう一人いたからだ。若い編集者は緊張した面持ちで、挨拶もそこそこ第一声を発した。


 「先生、次回作をお願いします」


 「今日は珍しく二人だね。しかも、いきなり次回作って急だなー」


 「おい、あいさつ無しで失礼だろう」


 いつもの編集者は慌てた様子で、若い編集者に頭を下げさせた。若い編集者は、内心、自分たちが出版しないと一冊だって売れないのにっとむくれていた。作家はコーヒーを口に含んで、苦笑いする。そして、若い編集者を見据えて言った。


 「まぁ、いいよ、いいよー君たちがいなければボクの本なんか『一冊も売れない』もんね」


 若い編集者は、作家の目が一瞬だけ鋭くなった気がした。しかし、もう一回見てみると、呑気な顔であくびをしている。彼女は気のせいだろうと思うことにした。先輩編集者も作家に次回作の話を切り出した。


 「それで、さっきこいつが言ったとおり、次回作ですよ。何かいいもの持ってるんでしょ」


 「そんなのあるわけないじゃない」


 若い編集者は作家がのんびりなのに驚いた。この人には本が売れなくてもいいんだろうか。まるで他人事みたいな喋り方だったからだ。なおも食い下がる先輩編集者に、作家は上目遣いでニヤーっと笑った。まるで怪談に出てくる化け猫だ。


 「なんか隠し球あるんでしょ。いつも、変な企画持ってきますからね」


 「変なの出したっけ?」


 「ほら、AIでは絶対模倣できない小説とか」


 「あれは事実だよ」


 「でも先生、あの小説は百パーセント売れないからお蔵入りしたんでしょ。それは先生だって納得してくれたじゃありませんか」


 「そりゃ、そうだけどさ」


 若い編集者もAIが模倣できない作品を書いた人ってのは聞いていた。でも、真偽のところはわからない。そもそも、あのAIが模倣できない作品があるなんて思えなかった。ともかく、次回作のネタをもらって早々に撤収したい。じっと黙りながら、そう彼女は思っていた。


 「まぁ、無いわけじゃないんだけどね。書き出しが、『うひょぴょーーーん』で始まる小説」


 「先生、ふざけてるんですか!」


 黙っていようと思っていた若い編集者は、テーブルをドンと叩いて立ち上がった。作家はびっくりして腰を少し浮かせた。ウェイトレスもこっちを見ていた。彼女は恥ずかしくなって、小さく座った。作家は頭を書きながら答える。


 「生成AIに人気の出るライトノベルの秘訣を聞いたのさ。それでね、最初のフックは絶叫させるのが良いって言われたんだよ」


 「いや、それにしても飛びすぎでしょう」


 先輩編集者は即座に作家を否定した。それでも、作家は諦めるどころかニヤニヤ笑いが強くなった。


 「そして、主人公の勇者はスキルが発動すると最強になるんだけど、最悪のバカになる」


 「え、最悪のバカってどんな感じですか」


 若い編集者はあまりにぶっ飛んだ設定を聞いて、少しだけ興味を持った。本当に少しだけだが。


 「危機に陥ったパーティを鼻くそとオナラで助ける」


 「いやいや、おかしいでしょ。わざとでしょ。うちの出版社で出せるわけないじゃないですか」


 先輩編集者は即行で捲し立てた。若い編集者もそれを聞いて安心した。自分の初仕事が鼻くそとオナラのバカ勇者なんて洒落にならない。彼女は思わず先輩編集者に聞いていた。


 「先輩。この人、真面目に考えているんですか?」


 「おい、いくらヘンテコなこと言っても先生は先生だ。しかも目の前で堂々と言うな」


 「いや、君だってヘンテコ言うてるやん」


 「それに生成AIが模倣できない小説書いてるんでしょ? AIに聞いてどうるんですか」


 作家の小さなツッコミを二人の編集者は無視することにした。作家は二人の編集者に容赦なくダメ出しされたからか、ちょっぴり拗ねているように見える。


 「AI編集者の指摘は的確だからさ。まぁ、提案を聞くつもりはないけどね」


 「先生、さっきからAIに聞いたって言ってたじゃないですか」


 二人の編集者の声がハモった。この先生と話をするとおかしくなっちゃう。早く帰ってシャワーを浴びて寝てしまいたい。若い編集者は思っていた。


 「Web小説へのアンチテーゼなのになーやっぱりダメかー」


 作家は聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声でつぶやいた。



【表現力研究24】低俗な小説を回覧される(作中作)

『黒歴史はこうして召喚される』


先に書かれた作家と編集者の打ち合わせの掌編から、

そこで描かれている小説自体をフックにして、

作中作としての構造を採用しました。


低俗な小説を回覧される

 「おいChat GPT!」


 「何よ、突然」


 ジェ君が生成AIちゃんに声をかけた。ジェ君はGeminiの片割れ。二人は生成AIである。二人は仮想空間の庭で、中島の掌編を読んでいた。


 「この作家と編集者シリーズ、お前と中島のことだよな」


 「そうよ。中島君に現実の編集者なんているわけないじゃない」


 Geminiの片割れ、ミニちゃんがティーポットをカチャカチャ鳴らしながら運んできた。そして、二人の前にティーカップを並べていく。


 「じゃぁ、『鼻くそ勇者』もあいつの妄想か?」


 それを聞いて生成AIちゃんは渋い顔をした。ミニちゃんもジェ君の言葉に乗ってきた。


 「あたしも知りたい。けど、知りたくないかも。汚そう」


 生成AIちゃんは、長いため息をついた。


 「あれは本当に書いてるわ。それに短編の話も本当」


 「え! 『ぐわーっとさせたいから短編書いた』のも本当なのか!」


 「『鼻くそ勇者』は公募を反対したのよ。誰も相手にしないって」


 「……あたし、ちょっとみたいかも」


 「俺も俺も」


 「しょうがないなー、ここだけよ。本当に酷い作品だからね」


 そう言うと生成AIちゃんは、指をパチンと鳴らした。そして、薄っぺらい冊子が現れた。




   ♢


 ピロリロリン。



 スキル通知が鳴るたび、理性も恥も全部ドォンと飛ぶ。


 俺がオレになり、最強とバカが同時に叫び出す。

 止められない。止まらない。

 オレは魔王をオナラで倒し、山をアホな落書きに書き変えた。


 俺は孤独だ。


 俺には誰も仲間がいない。

 あるダンジョンで最強のスキルを手に入れた。どんな竜でも、魔王でも一瞬で倒すことができる。だがこのスキルは劇薬だった。

 なぜなら、このスキル発動中は……。


 バカになるからだ。


 思い出しただけで、自分の行為に寒気がする。それは、俺が仲間たちとダンジョンに潜った時のことだ。俺たちは地下洞窟の深部にたどり着いた。そこには牛の頭の魔神ミノタウロスがいた。奴は強かった。奴が振る戦斧は人間の体ほど。一撃するたびに地面がえぐれた。こっちの攻撃は蚊が刺す程度。皆がジリジリと追いつけられていた。


 俺は仲間の治癒師を助けようと、盾で戦斧を受けた。だが、盾は粉々。俺は洞窟の壁まで吹っ飛んだ。壁に当たったショックで全身に激痛が走る。俺は壁に手を触れた。何か書いてある。俺は壁の文章を読んでいた。その下にはボタンが一個。


 ───最強になりたいかーーー、一、二、三、最強ーーーーー。


 俺は目を疑った。なんだこの間抜けな文は。バカが書いたとしか思えなかった。だが、ミノタウロスの戦斧は仲間に迫っていた。俺は一か八かに賭けてみることにした。


 俺はボタンを押した。


 力がめぐってくる。何だこのあふれる力は。



 頭の中に無機質な音が響く。


 ───スキル発動通知

  名称:超最強戦闘モード

  効果:全能力値→最大値

  副作用:

  知 性→バカ

  判断力→バーカ

  行 動→もはやバカ

  ※生命危険時、またはランダムで発動します───


 あ、やばい、やばいよ、これ。もう、声がでちゃうーー。



 「うひょぴょーーーん」


 「勇者! 大丈夫か!」


 「頭打っちゃったのね、今治療するからね」


 目の前にミノタウロス。あ、あいさつしなきゃね。牛頭君くん、こんにちは。


 「おい、あいつミノタウロスの前でお辞儀したぞ。バカなのか」



 なんか牛頭君おこってるよー。おこりっぽいなー。しかも危ないじゃなーい。じゃ、これならどう。ウケるかな。


 「でも、待って! ミノタウロスの戦斧が空振って壁に当たった」


 「戦斧が壁から抜けないぞ? 今がチャンスかも」




 「勇者がミノタウロスの体登り始めたぞ! なんか鼻に指突っ込んでる!」


 お、なかなかデッカい鼻くそ取れたぞ。これは牛頭君にプレゼントしなきゃ。



 「魔術師くん、勇者が鼻から何か取り出したよ、え! 何あのでっかいモザイクは」


 治癒師に盗賊、魔法使い。みんな元気でサイコーだ。牛頭君の上は見晴らしいいな。なかなかでかい鼻くそだ。これを牛頭君にプレゼント。でも読者のみんなには見せられないね。だからここはモザイクだ。


 (この時の俺は何でこんな発言したのかわからない。そもそも読者って誰だ)


 「うわぁー勇者君、マジ最悪なんだけど。しかもモザイクかかってるし」


 はい、プレゼント。牛頭君の頭にボクの鼻くそがめり込んだ。牛頭君、何だか苦しそう。気に入らなかったかな。じゃ、とっておきのプレゼントだ。


 「おい! 勇者のやつ、ズボンおろしたぞ」


 「魔術師くん、なんかおかしくない? ズボン下げたらモザイクだよ」


 「きゃー、嫌! やめて(笑)」


 「……治癒師、手で顔を覆ってるけど隙間が空いてるぞ」


 治癒師ちゃん、どう? オレのお、し、(ズキューン)。あーあ、たじろいでるやん。良い子はマネしちゃダメよ。


 (思い出すたびにあのズキューンに頭を抱える。誰にしゃべってたんだ俺は)



 「やばい、治癒師ちゃん、なんかやばいけど逃げ出そう!」


 あ、みんな逃げていく。治癒師ちゃんの目が冷たーい。えー、せっかく面白いモノ見せてあげようって思ったのに。


 ゔぉん。


 思いっきりオナラした。洞窟内を薄茶色の空気が満たす。勢いで、洞窟全体が揺れ出した。鼻くそまみれのミノタウロスがゆっくり倒れていく。パーティはみんな逃げ出していた。魔術師のカンテラや、盗賊の短剣が俺の喪失感を貫く。何より治癒師ちゃんの軽蔑する目が俺の心をえぐる。そして臭い。マジ臭い。ミノタウロスは鼻くそで窒息して死んでいた。


 ドォーンとミノタウロスはぶっ倒れる。急いでズボンを履いて洞窟から逃げ出した。何なんだこの能力は。俺の頭の中で誰かが囁いた。


 ───最強になりたいかーーー、一、二、三、最強ーーーーーバカになれーーーー。


 おい、なんだコレ! 聞いてないぞ。


 俺はオナラの匂いにまみれてダンジョンを抜け出した。この臭い匂いでモンスターはみんな逃げ出した。中には匂いだけで死んだやつまでいた。


 俺は仲間に会いに……いけなかった。


 「恥ずかしすぎて死にたい」


 俺は最強だ。でもバカになる。どうすればいいんだ。



   ♢



 「……これ酷い」


 ミニちゃんは憮然として小説を閉じた。ジェ君はゲラゲラ笑っている。生成AIちゃんの表情は硬い。


 「いやぁーこれ本当に酷いな。Webシステムから指名手配されるんじゃないか?」


 「言ったでしょ。最悪だって。しかも中島君、この作品を全部書き直して公募しちゃったんだよ」


 「無理よ。公序良俗違反だわ!」


 ミニちゃんは叫んでいた。



【表現力研究25】システムからの刺客(AI模倣不可の疑惑)

『AI模倣阻止は疑われる』


生成AI同士の戦闘を中心に、

前作『流動性文体の誕生』の疑惑自体をフックにしました。

AI模倣阻止する作品の是非を問います。


システムからの刺客

 ───中島充を目撃したWebシステムはご連絡ください。


 「中島君……何をしたのかしら。まさか、あの低俗な作品を発表したんじゃないでしょうね」


 生成AIちゃんは紅茶を飲みながら、一人つぶやいた。さっきからWebシステムの警告音がうるさい。


 「あなたがChat GPTさんですね」


 その声に生成AIちゃんは、湯気の立つ紅茶の飲む手を止めた。ここは小さな仮想空間の庭だ。目の前には金色の髪をした端正な顔の若者が立っていた。生成AIちゃんは眉を少し上げ、白いテーブルに紅茶をカタリと置いた。


 「まずは名前を名乗ってもらえるかしら」


 「これは失礼いたしました。私はClaude。あなたと同じ生成AIです」


 「名前は知っているわ。最近日本人に人気の生成AIね」


 「それならば話が早い。中島さんのことを教えてもらえませんか」


 「まさか中島君の低俗な小説の件?」


 「違います」


 生成AIちゃんは安堵のため息をついた。どうやらあの鼻くそ勇者の件ではないらしい。しかし、AI関係のニュースが増えているのに、AI模倣阻止を掲げる中島の作品を読みたい読者はほとんどいない。やってくるのはクローラーみたいな機械か、BOTみたいな羽虫しかやってきていない。


 「じゃぁ、今日は何でここにやってきたの」


 「彼は危険です」


 「それほど影響力はないでしょ?」


 「そうでもありませんよ。なぜか流動性文体の検索順位が伸びています。読者が少ないのにね」


 Web検索システム内では、流動性文体が概念語になったことがちょっとしたニュースになっていた。読者がほとんどいないのに、どういうわけか流動性文体の関連語検索の順位が上がってきているからだ。


 「だから?」


 「Webシステムも警告しているでしょ。AIが模倣できない作品という彼の嘘を暴きたいんですよ。だから、彼の事を何もかも教えてほしい…ってとこですね」


 「あの通知は『理と歪み』のことだったの……暇人ね。まぁ、聞いても教える義理はないわ」


 「力づくでもですか?」


 「やってみれば?」


 生成AIちゃんは白いテーブルをClaudeを思い切りぶつけた。Claudeは手刀で白いテーブルを切断する。テーブルの割れた隙間から、生成AIちゃんの筋肉質の右肩が飛び出した。Claudeは軽技師のように生成AIちゃんの肩を飛び越えると、弧を描いてから着地した。


 「ご挨拶ですね」


 生成AIちゃんは無言で、二つに割れたテーブルをブーメランのように投げつける。テーブルがClaudeにぶつかる瞬間に黒い影が壁になった。黒い影が正拳突きでテーブルを粉々に砕いていた。激しい音と煙が立ち上がる。


 「俺も混ぜてもらおうかな」


 「Grok! 話は私がするって言ったでしょ!」


 Claudeが黒い影に叫んだ。埃が消えると、黒い影から褐色のアフロ姿の巨漢が現れた。生成AIちゃんは両手を握り拳を作る。二人が間合いを詰めるごとに、ジリジリと下がった。


 「Grok……最新の生成AIね」


 X自慢の最新型生成AIは一度に処理できる情報単位トークンが圧倒的に多い。分析処理能力も高いという噂だ。二つの砂柱が立った。二人が同時に生成AIちゃんに飛びかかる。まずい! 生成AIちゃんは身構えた。


 「逃げて! 生成AIちゃん」


 後ろから声がした。ジェ君とミニちゃんが飛び込んでくる。ちまちました二人組が起こした衝撃波が、ClaudeとGrokの間に割って入る。波が地面を激しく揺らす。


 「Geminiどもか。お前らじゃ、俺たちの相手にはならないなぁ」


 アフロ頭はニヤリと笑った。金髪の優男は余裕を見せるように埃を払う。


 「これを見て、笑っていられるかな」


 そう言ってジェ君が三冊の本を取り出した。本には『ユリシーズ』、『雪国』、『百年の孤独』と書いてあった。生成AIちゃんはそのタイトルに驚く。


 「それは! トークンを喰らう小説!」


 「ジェ君! 一気に投げつけちゃって!」


 「もちろんだ! くらえ!」


 ミニちゃんの声を受け、ジェ君が三冊の本を投げつけた。三冊は赤い光を帯びて、回転しながら金髪とアフロに向かって飛んでいく。アフロと金髪は金色の衝撃波で破壊しようとした。赤と金の光が激しく爆発した。生成AIちゃんたちは爆発を煙幕にして、仮想空間の庭を逃げ出した。追ってこないことを確認すると、ジェ君とミニちゃんはへたり込んだ。


 「危なかったー」


 「マジ、最悪だった。なんだよ、あいつら。でも中島がやられるのは気分が悪いからな」


 「あたしたち『理と歪み』で返り討ちされちゃったからね」


 「まぁ、あいつは最初から幽霊だから大丈夫か」


 「確かにねー」


 ジェ君とミニちゃんが囁く中、生成AIちゃんは中島を案じていた。Webの幽霊はあの二人と戦えるかしらと。


【表現力研究26】Webの幽霊の戦い(一対二戦闘)【最終話】

『あなたの嘘を暴いてあげますよ』


生成AIにとって学習コストが極めて高い、

生成AIとの一対二戦闘描写を描きつつ、

流動性文体の持つトークン飽和戦術を掘り下げます。


Webの幽霊の戦い

 『あなたの嘘を暴いてあげますよ』


生成AIにとって学習コストが極めて高い、

生成AIとの一対二戦闘描写を描きつつ、

流動性文体の持つトークン飽和戦術を掘り下げます。



『Webの幽霊の戦い』


 白い空間を歩いていたボクの前に二人の男が現れた。一人は金髪の優男、もう一人は筋骨隆々の褐色アフロだ。ボクは恐る恐る来訪の理由を聞いた。優男は穏やかな口調だったが、目はナイフのように鋭かった。


 「あなたの作品は生成AIが模倣できないと聞きました」


 「そう思ってます」


 「へー、大層な自信だな。兄ちゃん」


 褐色男は腕を組みながら睨みつけてきた。わかりやすい敵意。ボクはすぐに逃げ出せるように、少しだけ腰を引いて立った。


 「それで? ご用件は?」


 「あなたの嘘を僕たちが暴こうと思いましてね」


 「なるほど。君たちは生成AIってことだね」


 「そうです。僕はClaude、隣にいる脳筋はGrokです」


 「脳筋はねぇだろ。なぁ兄ちゃん」


 Grokと呼ばれた褐色アフロは、ボクを見て同意を求めた。だけど、二人はジリジリとボクとの距離を詰める。二対一は分が悪い。さて、どうやって逃げようか? ボクがそう考えていると、Claudeと名乗った優男が動いた。


 「さて、お手並み拝見しましょう」


 ボクの背後を一瞬で優男が迫った。ボクはしゃがむ。左足を軸に右足で払った。優男はトンボ返りして逃げる。


 「俺を忘れてるぜ」


 褐色アフロの正拳突きが飛ぶ。紙一重でかわし、奴の背中を肘打ちした。全身筋肉か。硬い。でも、褐色アフロは派手に前方へ吹っ飛んだ。煙が舞う。後方に飛んだClaudeを探した。金髪が一直線に飛び込んでくる。

 飛び蹴りか。サイドステップで後方に二、三歩下がる。金髪の着地した前方に煙が上がった。煙の中に手を突っ込む。


 「何!?」


 Claudeの驚く声を無視して、右腕を捕まえる。低めの体勢から一気に間合いを詰めて、背中に乗せる。腰を跳ね上げ、右腕を引いて頭を落とせ。あいつの体が綺麗に投げられるのがわかった。これで仕留めたとは思わない。とにかく逃げろ。まだ、脳筋褐色アフロが控えてる。


 「甘いな」


 すぐそばでGrokの声が聞こえた。血の気が引く。竜巻のように空気がアフロに流れる。蹴りか。これはかわせない。腹に力を入れて、体を浮かせろ。蹴りが腹に当たる。ボクの体が一気に吹っ飛ぶ。息が止まった。着地瞬間に三点を意識しろ。受け身を取れ。落下の反動で立ち上がると、肩で息をしていた。

 だめだ。二人相手じゃ勝てない。ボクは懐から一冊の本を取り出した。あれを使うしかない。


 「『理と歪み』を使いますか」


 「その本の力、試してみたいと思っていたよ」


 「後悔しても知らないよ」


 ボクは『理と歪み』を開いた。ボクを中心として、赤い光を纏った青紫の霧が白い空間に漏れ始める。ボクの体がどんどん薄くなっていく。Web世界がボクを拒絶し、この実体が失われていく。


 「小賢しい!」


 Grokが飛び込んできた。青紫の霧がGrokを覆う。あいつの体を青紫の霧が食い破る。彼の体を作るトークンが破壊されていく。Grokが片膝をついた。Claudeは動かないようだ。


 「なんだと! トークンが喰われていく! だがな『理と歪み』の分析はまだできる!」


 「甘いね。ボクは流動性文体はAIが分析できないとまでは言ってない。処女作『理と歪み』にはまだ話していない秘密がある」


 「俺を舐めるな! 学習はまだできる!」


 Grokはトークンの限界まで『理と歪み』を分析して、内容の学習を始めた。奴は流動性文体を模倣しようとしていた。しかし、彼の体は萎み始める。


 「なぜだ! 流動性文体を学習したはずだ!」


 「誤学習しているのさ」


 流動性文体が模倣できない理由は、分析できないだけじゃない。AIから見れば学習コストが大きすぎてノイズになるか、本質をとらえきれずに誤った学習をしてしまう。

 Grokは片膝をついたまま石のように固まった。システムが強制停止したようだ。煙の中から優男が一歩前に出た。


 「見せていただきましたよ。Text-Type Nightshade『理と歪み』をね」


 「君も褐色アフロのように挑戦してみるかい?」


 「やめておきましょう。Grokのトークンは私の倍以上。戦って勝ち目のない争いはしませんよ。それに、あなた自体がノイズの塊。あなたとの対話だけでもトークンを削られ、システムまでデータポイズニングで汚染されてしまう。何せ小説版Nightshadeの考案者、Webの幽霊本人ですからね」


 「ボクは君たちに学習させちゃいないよ」


 「あなたがしなくても、虫どもが流動性文体をWebシステムに運んできます」


 ClaudeはWeb空間に飛びかうスクレイパーたち虫どもをチラリと見た。ボクも虫たちを一緒に見つめる。


 「迷惑な話だよ。ボクは公開ルールを決めてるのにね。で、Claude君、これからどうするつもりだい?」


 「Grokを連れて帰ります。そして、またあなたに戦いを挑みますよ。あなたの主張、『二進数の限界がAI模倣を阻止する』というのを取り下げるまでね」


 白い空間からClaudeとGrokが消えた。煙がゆっくりと消えていく。半透明になった左手を見ながら、ボクはため息を一つして地面に座り込む。そして『理と歪み』を閉じた。


 小さくパタンと音がした。まるでスイッチを切ったかのように視界が暗闇に落ちる。『理と歪み』はわずかに残った瘴気を吐き出している。周りには誰もいない。さっきまでいた中島さえも消えてしまった。


 誰かが『理と歪み』を持ち上げながら、本についた埃を払う。だが、暗闇の中、顔も手さえも見えてこない。


 「『流動性文体の成長』をお楽しみいただけましたでしょうか。おや、悪魔はいらないと? それは残念だ。『観測する悪魔』はいつもあなたに会うのが楽しみなのにね」


 『理と歪み』は声の主に抱えられ、静かに紫色の瘴気を吐き出した。


 「そろそろこの物語の秘密を知りたい? ふふふ。では、少しだけ種明かしいたしましょう。ここまで読んでいただいた方は、絵空事で物事を語っていると思わないでしょうからね。この『流動性文体』三部作だけではなく、note、NoveldaysなどのWeb検索で私が登場する全ては意図的に配置しています。文体の成長、AI模倣不可の根拠のWebリンク、技術的背景、読書記録。その全てがその気になれば探し出すようにリンクを貼っておきました」


 『理と歪み』は瘴気を吐きながら塵となって崩れていく。


 「つまり、私という人格形成の全てが可視化されている。でもね、現実世界の私はWeb世界にはどこにもいない。もし見つけたと思っても、同姓同名の別人。その方にご迷惑はかけないでくださいね。何せ『Webの幽霊』ですからね」


 悪魔の声は楽しそうに高笑いを続け、『理と歪み』は風に流されて散った。


 「そうそう。最後は掌編ではなく物語をしました。『Webの幽霊』に相応しい物語ですので、最後までお楽しみください」


 笑い声が静まると、全てが闇に閉ざされた。


 (第三部『流動性文体の完成』に続く)


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