永続する記録
ライブラリ発見から、二百五十年が経った頃。地球にある、とある病院の一室で新たな技術革命が起きていた。
部屋はとても広く、何十人と入れそうな空間がある。しかしベッドは一つしか置かれてなく、ベッド横の機械数台を考慮しても、あまりに空きの大きな場所だった。
ベッドの上には一人の人物が寝ている。若い、二十代ぐらいの男だ。体型はやや筋肉質で、顔付きは端正。芸術品のように美しい容姿だ。
「……………」
男は自然と目を覚ます。
目覚めた男は身体を起こす。男は衣服を纏っておらず、生まれたままの姿だった。その事を不思議に思う素振りもないまま、男はベッドから降りる。
それからぺたぺたと、自分の身体を触り始めた。
筋肉をなぞるように触る男は、にやりと笑う。一通り触って満足したのか男は周囲を見渡し、部屋の壁に大きな鏡が立て掛けられている事に気付いた。男は鏡に近付くと、自分の姿を堂々と映す。男はしばし自分の姿を見ていたが、やがて大きく腕を掲げ、肉体を誇るようなポーズを取った。股間のものを前に突き出し、胸筋を大きく膨らませ、あらゆる肉体をアピールする。
「お、おおお……おおおおお……! 素晴らしい……!」
そして光悦とした笑みを浮かべ、自画自賛の言葉を漏らした。
まるで自分の肉体に見惚れるかのよう。
事実、この男は自らの肉体美に見惚れていた。万人が見惚れるぐらい美しく屈強な身体なのは間違いないが、その身体の持ち主自身が見惚れるのはナルシズムが過ぎるというもの。
しかし男からすれば、それも仕方ない。
彼は今日、この瞬間から、この美しい肉体を得たのだから。
「元気そうで何よりです。身体に異常はありませんか?」
男――――ヨシュアは、不意に聞こえてきた声の方へと振り返る。反応に遅れのない、若々しく機敏な動き。
声を掛けてきた中年男性こと『医者』に、ヨシュアは機嫌の良さを隠さずに答えた。
「ああ! 何一つ問題ない! こんなにも身体の調子が良かった事は、今までの人生で一度もなかった! 今やなんでも出来そうだよ!」
「それは何よりです。ライブラリから得られた技術で、動物実験などで幾度も検証はされていますが、人間相手には初の施術です。もし異常があればすぐに仰ってください。全スタッフで対応します」
「ああ、頼む。いや、しかしここまで好調だった事は本当にないからね。あまりに調子が良くて、何かあっても異常だと分からないかも知れないな」
ははは、と高笑い。医者からすれば笑い事ではないだろうとヨシュアも思うが、本当にそうだから事前に言っておくぐらいしか出来ない。
何分、八十年を超える人生の中で、ここまで健康的な肉体を得た事がないもので。
……ヨシュアは元々、こんな姿をしていた訳ではない。彼が二十代の時はパッとしない男であったし、八十を超えた今では如何にも余命幾ばくもない老いた男でしかなかった。
ライブラリからもたらされた技術により医療技術が飛躍的に発展したため、投薬やインプラントを徹底的に行えば、人類は百五十歳ぐらいまで生きる事は難しくなくなった。だが肉体の老いは不可逆。若い頃の身体を取り戻す事は、今まで出来なかった。
だがここ数年で新たな技術が発見された。
技術の名はボディエクスチェンジ。老化して古くなった肉体を捨て、人工的に作り出した新しい身体に交換するというものだ。新しい身体は一からデザイン・構築するため、古い身体を捨て去るだけでなく、理想とする容姿への変身まで可能とする。ライブラリ発見から二百年が過ぎて、ようやく実用化された技術だ。
この技術の新しいところは、脳の交換も可能な事だろう。
今までも「新しい身体へと乗り換える」技術はあった。なんならライブラリのお陰で実用化もしている。絶滅動物を復活させる技術を応用すれば、新しい人間の身体を作るのだって造作もない。倫理観を無視すれば、『若返り』自体は可能だ。だが、そこまでして新しい身体に移っても、得られた効果は微妙なもの。具体的に言うと大して寿命は伸びない。
何故なら脳は据え置きだからだ。人間の心は、結局のところ脳に宿る。その脳を別物にしたら、全くの別人になってしまう。だから身体は新しくしても、脳だけは古い身体のものを使い回すしかない。
しかし当然脳も老化する。そして老いた脳は壊れていく。例えば七十歳を超えた頃の認知症発症率は十パーセントを超え、九十代になれば五割以上となる。肉体をどれだけ新しくしても、脳だけ古いままでは認知症などの病気は避けられない。いくら肉体を新しくしても、人格の根幹が崩壊しては、『個人』としては死ぬしかなかった。
だが、ボディエクスチェンジでは脳も交換する。
脳情報を電子化する技術が開発され、古い脳から新しい脳に自我を移植出来るようになったのだ。自我は徐々に移植されるので連続性があり、自分のコピーを作って移植するのとは全く違う。『自分』を維持したまま、脳だけが新しくなる。脳細胞が新しいので認知症など老化による病気は(若年性アルツハイマーなどもあるので絶対ではないが)避けられ、理論上永遠に生き長らえる事も可能だ。
ヨシュアはこの施術を受け、脳含めて新しい肉体を得た。八十を超えて鈍り始めた脳は綺麗になり、曲がっていた腰は真っ直ぐに伸び、手足の筋肉は疲れ知らず。完璧な健康体を手に入れた。
ついに人類は、老いを克服したのだ。
「今はまだ私のような富裕層しか受けられないが、いずれは安価になるのだろうな」
「はい。研究者達はそれを目標にしていますし、ライブラリにはそのための改良技術がきっと記されていますから」
「ここに全てがある、か。不老不死まであれば、最早何があっても驚きはしないぞ」
ボディエクスチェンジ施術は、現在世界各国で研究が進んでいる。しかもこの技術は民間に公開され、常人では借金しても届かないほど高価ではあるが施術対象に制限がない。
この施術によって、二つの問題が解決するとされている。
一つはあらゆる病気の治療法の確立。現在人類は殆どの病気を治せるが、それでも治療法のないものもゼロではない。第一種糖尿病やダウン症、アルツハイマーなどが含まれる。だがボディエクスチェンジを使えば、脳含めた全てのパーツを健康なものに置き換える事が可能だ。遺伝病も、新しい身体の遺伝子を障害のないものにすれば『治療』出来る。勿論コストは相応に掛かるが、「どうやっても治せない」と「治す手立てはある」では全く違う。
そしてもう一つは、少子化問題の実質的解決だ。
少子化による問題は主に二つ。労働人口減少に伴う労働力及び国力減少と、労働人口によって支えられていた社会保障制度の崩壊である。要するにどちらも『働けない老人』が、『働ける若者』よりも多くなるから起きている。人類の寿命が伸び、青年期よりも老人期の方が長くなれば、こうなるのも必定だろう。
だが人口の少なくない数が不老不死になれば、労働人口の減少は起こらない。老いた時に新しい身体へと交換すれば、何時だって若々しく働けるのだ。極論死者数が極端に減れば、子供の数が年に数人でも労働人口減少は起こらない。当然働ける若い肉体なのだから福祉を受ける立場にもならず、社会保障制度も存続可能、というより実質なくとも問題なくなるだろう。四肢欠損すら新しい身体によって復元されるのだから、あらゆる身体障害者すら福祉の対象ではない。
……これはこれで「全員死ぬまで働けというのか」という意見もあるが。しかし本来生物は働けなくなったら死ぬものであり、生きている限り働くものだ。若い身体になったら働き続ける事は、生きている限り当然の話である。死にたくないけど働きたくない、というのは、あまりにも現実を無視した夢であろう。
ともあれこれで少子化問題は実質解決となる。
一つ新たな問題が生まれるとすれば、人口が全く減らなくなる事だ。人間が増えればその分エネルギーや資源を使う。つまり環境破壊が進行していく。いくら肉体を新しく出来ても、環境が生存に適さなければ生き続ける事は出来ない。
だが、これは遠からぬうちに問題ではなくなる。人類は既に月面基地を建設し、火星開拓の道筋を立て始めた。金星や土星、木星などにもいずれ手を伸ばすだろう。新天地に移住出来れば、人口がどんどん増えてもなんら問題にならない。無限の宇宙が、無限の人口を支えてくれる。
今の人類ならば、全ての人々が不老不死を手に入れてもどうにかなる。それが無計画な願望でない程度には、人類の力は高みに到達していた。
「ま、安価になるまでは私もバリバリ働かないとな」
「新しい身体だからといって、無理はしないでくださいね? 若者でも過労死はするのですから」
「確かに。身体を労りながら、程々でやるとしよう。それに……」
「それに?」
「折角若くて魅力的な身体を手に入れたんだ。少しは楽しまなければ勿体ないだろう? 例えば、女の子と遊ぶとか」
快活に、不敵に笑いながら、ヨシュアはそう答える。
医者の顔が若干引き攣っていた。
何しろこのヨシュアという男、齢八十もの老人でありながら五人の愛人がいたという筋金入りの『女好き』。何人もの妻から何度離婚届を叩き付けられても、やたらめった子供がいて遺産関係の問題が起きても、それらの一悶着で何回か殺されかけても、全く治らない性根である。
それが理想の身体を、永遠の肉体を手に入れたなら、別の問題が起きるのは明白なのだから――――




