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利己的なアカシックレコード  作者: 彼岸花


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8/10

繁栄する記憶

「マリー。この荷物をAフロアのダニエルに届けてくれるか?」


「あ、はい。分かりました」


 今年二十八になる女・マリーは上司から頼まれた作業に、特段迷う事なく返事をした。

 上司は「これを頼む」と、指差しながら指示。床に置かれた段ボールは幅一メートルはあろうかという大きなもので、抱えるだけでも大変そうだ。尚且つ半開きの蓋部分の隙間から見えるのは、大量の書類。

 紙というのは意外と重い。何しろ原料は木なのだ。色々加工しているが、薄く切った木が段ボール箱いっぱいに詰まっているとすれば、どう考えても軽くはない。


「よいしょ」


 その軽くはない筈の箱を、マリーは両手でひょいっと持ち上げた。

 マリーは筋肉隆々の女ではない。太ってはいないが痩せてもいない、健康的な身体付きだ。その身体にパワードスーツ(肉体を補助する機械類。ライブラリから得た知識により最近では普通の服と変わらないものが出ている)を着てもいない。

 本当にただの女性が、難なく紙の詰まった段ボール箱を持ち上げた。尤も、その様子を見ていた上司は特段驚きもしない。


「じゃあ、頼んだ。すまないね」


「いえ、これぐらい大丈夫です。では」


 さっと上司に別れを告げ、マリーはそそくさと歩き出す。

 足取りは軽やか、というほどではないが、疲れ知らず。建物内の廊下……無機質な壁と床が延々と続く道を歩く。

 何処がどの建物に続いているのか、マリーはしっかり覚えている。足は止まらずにどんどん進み、目的地であるAフロアに到達。

 Aフロアは普通の事務室で、多くの人がパソコン相手に作業していた。適当な職員に話し掛け、送り先であるダニエルについて尋ねる。職員はダニエルの席を教え、マリーはそちらに直行。仕事中のダニエルに直接段ボール箱と書類を渡し、苦い表情を浮かべている彼を置いてフロアを去る。


「はー、ちょっと疲れたかも。重いものを持つのは良いけど、歩くのは普通に疲れるのよねー」


 軽い愚痴を零しながら歩くマリーは、ふと廊下の壁……そこに数枚並ぶ窓の外の景色に目を移す。

 窓から見えるのは、荒れ果てた大地。

 白い岩と砂が何処までも続く、荒涼とした環境だ。動物はおろか植物の姿もなく、「世界滅亡後の地球」と言われたら、ちょっと信じそうになる。

 実際は、世界滅亡後どころか地球ですらない。

 此処は月面――――月に建設された巨大開発基地ムーンベースである。


「月面基地とか、私が子供の頃はただの夢物語だったのになぁー」


 マリーは幼い頃の記憶を思い返す。

 ムーンベース建設が始まったのは今から二十年前……ライブラリ発見から百五十年後の事である。

 軌道エレベーターの建設により、宇宙開発が容易になった。言い換えれば大量の資材を安価に運べるため、継続的に人が生活出来る状態を保てる。月面で長期的な建設業務が行えるようになり、建設した建物の中に農場などを設置。次に水の浄水施設、酸素生成のための植物プラント、排泄物の処理施設……

 人が生きるための施設を建てた事で、月面基地は更に拡張。今では月資源の採掘基地として運用を始めただけでなく、その資源を用いた加工品工場も稼働している。

 ライブラリからもたらされた知識によって、人類の環境技術は飛躍的に向上した。しかしそれでも僅かな汚染は発生するし、環境技術を使わない方が安価なのは間違いない。

 月には生物がいないため、どれだけ無秩序な開発をしても環境破壊なんてない。大量の汚染物質を垂れ流しにしても、母なる大地である地球と繋がっていないのでその汚染が届く事はない。更に月の地下には多量の資源が眠っている。

 月面にも軌道エレベーターが建設された事で、月は安価な工場衛星へと変化したのだ。

 当然、工場として稼働するには多くの人手が必要である。採掘や食料生産は無人化されているが、事務作業や小さなトラブル対応、機械類のメンテナンスは人がいなければならない。なんでもAI任せという訳にはいかないのだ。

 ちなみにマリーが重い段ボールを軽々と持ち上げられたのも、此処が月面だから。月の重力は地球の六分の一。単純計算で重さは六分の一しかないように感じられる……尤もそれは最初の頃だけ。人間の身体は低重力環境ではどんどん筋肉が落ちる(なくても生きていけるので)ため、いずれ地球と同じような重さに感じるようになる。

 そうなると地球に帰還する時大変なので、ムーンベース職員は一日三時間の筋肉トレーニングが義務付けられている。マリーも同じで、仕事である事務職の傍ら、筋トレに励んでいる身だ。それでも筋肉は少し落ち気味なので、毎年帰郷の際にはちょっと苦労するのだが。

 しかしそんな肉体的苦労があっても、マリーは此処を辞める気などない。宇宙に出て働くのが、幼い頃からの夢なのだから。

 ……ちょっと叶い方は違ったが。


「……………夢の宇宙での仕事が、オフィスでの事務仕事とは思わなかったけど」


 マリーはくすりと笑う。幼稚園ぐらいの頃は、女性宇宙飛行士に憧れていた。その職業は無理だったが、夢自体は何時までも胸の中で燻ぶり、結局ただの事務職なのに宇宙まで来てしまった。

 しかしマリーのような動機でこの月面基地に務める者は少なくない。確かに一般的な同職種よりも給料は良く、国からの仕事なので休日などの待遇も良いが……先述した通り身体的衰退や筋トレの義務、事故が起きれば死に繋がる(月には空気がない。うっかり壁に穴が開けば数百人が即死しかねない)環境なども考慮すれば、割に合うとは言い難い。単純に金が欲しいだけなら、ニューヨークの証券会社にでも勤めた方が良い。

 劣悪とまでは言わないものの、好条件でもない。それでも応募者が多いのは、やはり誰もが宇宙に憧れているからだ。夢というのは、存外将来を左右するものらしい。


「それにしても、人類はついに此処まで来ちゃったかー……」


 ほんの百七十年前まで、人類はこのまま衰退して滅びると言われていた。

 しかしライブラリのお陰で様々な技術が大きく進歩。環境破壊を食い止める事に成功した。そして絶滅種の復元が出来た事で、壊れてしまった生態系の再生が少しずつだが進んでいる。農地や水産資源が回復すれば、食料生産も安定するだろう。病気の治療も進歩し、ほぼあらゆる病を克服したと言っても過言ではない。

 そして月まで進出し、資源採掘基地を建設した。

 きっとこのまま、ムーンベースは大いに発展するだろう。今は小さな居住区画がやがて町になり、商業区画も出来る。カロリーバーでは物足りないと様々な食事処が出来て、そこに安定して食品を届けるために農場や牧場が出来るかも知れない。いや、人の欲深さを考えればきっと作られる筈だ。

 そうして発展して、いよいよ月に軌道エレベーターを作れば、今度は別惑星……火星進出の足掛かりになるだろう。

 勿論、それは容易な事ではない。地球の衛星である月に基地を作るのだって、ライブラリという『インチキ』を用いても百五十年必要だった。月よりも遥かに遠い火星に基地を建て、人が定住出来るようになるまで何百年も掛かるかも知れない。

 だが、今ある文明の延長にその未来はある筈だ。マリーの仕事は技術発展の役に立つものではないかも知れないが、その技術の塊であるムーンベースの維持には欠かせない。

 そう思ったら、やる気がちょっと満ちてくる。


「(我ながら、宇宙に惹かれ過ぎてないかいとは思うけど)」


 くすりと笑みをこぼすマリー。もしもライブラリがなかったら、一体自分はどうなっていたのだろうかと呆れてしまう。

 ……そんな考えをしていたからか、ふと思う。

 人類は大いに発展した。いずれ火星にも移植し、地球環境は回復し、再び繁栄するだろう。その繁栄をもたらしたのは言うまでもなく、ライブラリである。ライブラリから与えられる無尽蔵の知識がなければ、今頃繁栄どころか滅亡していたかも知れない。

 だが、未だライブラリの正体は分からない。

 人類以上の超文明が作ったのか、万物の創造主たる神が創ったのか、或いは別のものなのか。百七十年も研究しているのに、答えに至るためのヒントすら見付かっていない。今では、別宇宙の存在ではないか? という説まで出る始末。確かにライブラリから発見された知識で、宇宙の外には『別宇宙』であるマルチバースや、『もしも』の世界であるパラレルワールドがあると分かっているが……ライブラリがその異なる宇宙からやってきた存在かは分からない。これらの知識については検証も出来ていないので、真偽も怪しいところだ。

 ライブラリは果たして善意の贈り物なのか? 何かの思惑があるのではないか? その思惑は人類にとって有益か、それとも有害なのか?

 なんだか分からないものに頼って発展していって、本当に大丈夫なのか?


「……………月に暮らす私達と似たようなもの、かもだけど」


 ムーンベースの外に広がるのは、空気さえない虚無の世界。今歩いている廊下の壁が突如崩れようものなら、その瞬間マリーの命は終わるだろう。

 だからムーンベースの壁は法律によって厳密に定められ、納品時には徹底的に検査を行っている。『命』を預けるものなのだから、それぐらいやるのが当然だ。

 当然なのに、ライブラリへの検査は十分と言えない。現状人類は、ライブラリからの知識を警戒せず受け入れている。

 この状況を改善すべきだ、という声はある。マリーもそうした意見の持ち主の一人だ。確かにライブラリはとてもありがたい、人類の救世主かも知れない。だが本来人類は自分の力で探求し、科学を発展させる力を持っている。今のように知識を授けられる状況が、人間にとって好ましいとは思えない。

 やはり文明というのは、自力で発展させるべきだ。ライブラリ頼りの現状は間違っている。

 ……しかし、今更ライブラリ離れが出来るかと言えば、それも現実的ではない。現状の人類はまだまだ安心出来る状態ではなく、発展し続けなければすぐに衰退へと転じるだろう。

 そのためにはライブラリの知識が欠かせない。いや、ライブラリ知識なしではどうにもならない。今や知識があまりにも高度となった事で、新しい発見をするには膨大なコストを費やして観察・実験をしなければならない。一つの結果を得るために何百もの失敗をすれば、それだけで研究機関が潰れかねない。全財産を投じて一か八かの大発見なんて、あまりにも多くの人生を犠牲にする。

 予め『正解』を知らなければ挑めない環境なのだ。もう、人類はライブラリを手放せない。手放すにしても十年二十年で出来るものではない。


「(……考え過ぎ、だと良いけど)」


 懸念はある。しかしマリーはただの事務員。世界の在り方を変えるだけの力も影響もない。

 今はただこのムーンベースが文明を支えられるよう、仕事という形で貢献するのが精いっぱいだった。

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