予告する記憶
ライブラリ研究が始まって、十年の年月が流れた。
解析は快調の一言に尽きる。何しろ読み取れた電磁波をモールス信号に当てはめるだけで、次々と知識を得られるのだから。しかもその知識の中に更なる技術発展に必要なものも含まれ、知識通りに機械を開発する事で新たな知識を得られる。発展は留まる事を知らない。
ライブラリの存在は未だ非公開で、今頃世界や国民は米国の急な快進撃に驚きを覚えているだろう。知られていなければ誰にも歩みは止められない。アメリカが再び偉大な国へと成り上がるための駆け出しとしては、とても順調だ。だがあまりに順調な結果に、研究者達の一部がこう噂をし始める。
導かれている、と。
根拠のない噂だった。あまりにも問題がないと、何かを見落としている気がして不安になってくるというだけ。確かにライブラリの存在意義は不明だが、その調査と解明は人間の、米国の意思により行われているのだ。導きも何もない。
だが噂の『真実味』を増す発見があった。
「個人情報が記録されている?」
アメリカ合衆国大統領ジョーンは、報告された言葉を思わず繰り返した。
ジョーンは五十代の比較的若い政治家であり、大柄で筋肉質な白人。趣味はスポーツ、休日は家族とバーベキュー……という具合に典型的なアメリカ人気質だ。それでいて「この生き方を国民全員がすべきとは思わない」と、リベラルな思想の持ち主でもある。
「は、はい。ライブラリに、個人についても記録されていたのです」
大統領室にいるジョーンに対し、緊張した声色で報告するのはライブラリ研究をしている科学者。チームリーダーであり、そして件の『個人情報』の発見者でもある。
彼曰く、ライブラリには人間の個人情報も記録されているらしい。
記録は一ヶ所に纏められ、十八・六メガヘルツの周波数帯にある。情報がずらりと並び、生年月日や住所、性別や名前も書かれていたという。
なんとも薄気味悪い話だとはジョーンも思う。思うが、いまいちピンと来ない。
この発見は、わざわざ大統領である自分の前まで来て話すほど緊急性が高いのか? と。
「確かに気味が悪いが……しかしライブラリを作った宇宙人なら、難しくないのではないか? モールス信号で情報を伝えてくるような奴等だぞ」
ライブラリの電磁波の一部は、モールス信号で変換が可能だ。
それはライブラリの作り手が、モールス信号を知っている事に他ならない。仮に宇宙人が製造したのであれば、人類に気付かれないぐらい遠くから地球を観測し、モールス信号を解明した事になる。
そんな真似が出来る技術力を持っている文明だ。人間一人一人を観察し、その情報を載せる事も不可能ではないだろう。現在人類が測定出来る分だけで何百兆、何千兆ものデータがあるのだから、高々百億にも届かない地球人全員の個人情報を記録しておく事も不可能ではあるまい。
まるで技術力の差を見せ付けているようで少し鼻に付くが……とジョーンは思っていた。印象の悪さは兎も角、そんな驚くような、わざわざ大統領を呼び付けるほどの発見なのかと疑問に思う。
「いいえ、大統領。ライブラリにはただの個人情報が記録されていたのではありません!」
しかし科学者はハッキリと否定した。
否定されたが、やはりピンと来ない。個人情報に、ただも奇妙もあるのだろうか?
「ただの個人情報でなければなんだ? 詳細な、なんてジョークは言わないでほしいが」
「勿論です。ライブラリに記されていた個人情報は、未来の分まで記録されているのです」
「……………何?」
「ですから、過去だけでなく未来の個人情報もあったのです!」
科学者の叫ぶような主張に、それでもジョーンは唖然とするばかり。
何度考えても理解出来ない。
未来の個人情報が、ライブラリに記録されている―――― 一体、何を言っているのか。ジョーンが顔を顰めている間に、科学者は捲し立てるような早口で話し出す。
「つ、つまり、個人がこれから辿るであろう未来について書かれている記録があるのです。例えば明日の朝食や、明後日の仕事の内容などが」
「馬鹿な。何かの間違いじゃないか? それか、ライブラリに適当な情報が書かれているんじゃないか」
人類は、ライブラリに書かれている知識が『正しい』ものとして研究している。
だが未知の知識が正しいかどうかは、実際に試してみなければ分からない。だからこそライブラリには電磁波の解読に加え、知識の正しさを検証するフェーズもある。これまで得られた知識は全て正しいようだが、これからも全て正しいとは限らない。
未来の個人情報なんて、信じるに値しない。ライブラリの作り手が人類を惑わすため、意図的に嘘の情報を混ぜたのではないか。何故そんな事をするのかは分からないが、しかしライブラリという情報の塊を送り込んできた意図も不明なのだ。どんな悪意が潜んでいてもおかしくない。
「ええ、我々研究者としても検証が必要と考えています。そこで取得出来た幾つかの個人情報の追跡調査をしたいのです。大統領にはその許可を頂きたい」
ジョーンと同じく、研究者達も同じ懸念は抱いていたようだ。国民の個人情報を監視するとなれば、大統領の許可が必要なのは当然である。
ジョーンは深く頷き、調査が必要である事に同意を示す。
……とはいえ、まさかこれで話は終わりにはなるまい。この程度の申請、直談判などせずとも、定期的に連絡・会議を行っている官僚に伝えれば済む。大統領が直に決断すれば多少実験開始日が早くはなるだろうが、精々その程度のメリットしかないだろう。
いくら科学者の一部は社会的常識が欠けていても、それが分からないほど阿呆でもあるまい。他にも何かある筈だ。
「まさかと思うが、それで終わりではないよな?」
「勿論です。大統領に直接お願いしたいのは、研究への参加です」
「……………参加?」
問い詰めてみると、科学者はニコニコと微笑みながら話す。ジョーンはなんだか猛烈に嫌な予感を覚えたが、聞いた以上は口を挟めない。
「ライブラリには大統領の個人情報も記録されていました。地位や、この事実を知る者も例外なくライブラリの記録通りの行動を取るのか確認するため、行動を観察させてください」
そして『国民』に対する研究をたった今許可した手前、生真面目なジョーンは嫌だと言えなくなってしまうのだった。
その日から、ジョーンの行動は複数の科学者達によって観察・記録される事となった。
尤も、研究のためという名目を除けば、それは大統領であるジョーンにとって今更な話でもある。職務中は常に官僚やボディガードに囲まれ、マスメディアも彼の動向を追う。今日何をしたかは基本筒抜けだ。
プライベートな時間もあるが、妻や子供達と夕食を食べたり、映画を見たり、犬を可愛がったりする程度。自身の映画好きや犬好きは公言しているし、広く知られたところで問題なんてない。歳も歳なので妻との性的な交流もなく、不倫だってしていない。当然汚職もだ。見られて困る事は特になかった。流石に『排泄物』まで回収された時は顔を顰めたが。
だから実験・観察対象となる事に対し、あまりどうこう思わなかった。
それに、気にはなるのだ。ライブラリに書かれている情報は、本当に自分の未来を言い当てているのか。もしそうならどの程度の精度で的中させてくるのか。
『実験対象』になれば、大統領という立場上報告という形で疑問を聞ける。
「結論を申しますと、記録と大統領の行動は完全に一致していました」
そして今日、科学者から研究成果について直接聞く事が出来た。
「完全に、というと?」
「文字通りです。情報は一秒単位で記録されており、時刻と行動が全て記され、あらゆる行為が一致しました」
科学者曰く、ライブラリには以下のように書かれていたという。
✕✕年✕✕月✕✕日 ✕✕:✕✕:✕✕ 大統領室の席から立ち上がる
✕✕年✕✕月✕✕日 ✕✕:✕✕:✕✕ 大統領室の扉に右手で触れ、扉を開ける
✕✕年✕✕月✕✕日 ✕✕:✕✕:✕✕ 大統領室から出てホワイトハウスの廊下を進む
この密度で一日の内容がずらりと並んでいる。更に補足説明のように、合間合間に就寝時の呼吸回数や食事量、排泄物の状態まで記されていたらしい。無論これらの情報も『正しい』事は検証済み。ライブラリの存在を知る大統領の全面協力もあって、正確な検証が出来たという。
「……正しい事が分かったのは収穫だが……しかし排便の回数や中身まで記されているのは、あまりにも気味が悪い」
自分の『全て』を丸裸にされている。その感覚は正直不快だ。
だが本当の問題は、個人の快不快の話ではない。
何故未来の情報が記録されているのか、という事だ。
「一体、何をどうすればこんな事が出来る? まさか一部で言われているように、神からの贈り物とでも言うのか?」
キリスト教で信仰している神――――全知全能の神であれば、一人の人間の未来を予測出来るだろう。何故なら『全て』を知っているのだから。
しかし全知全能ではない身が、全てを知るなんて出来る訳もない。どんなに高度な科学力を持つ宇宙人だとしても、そんな事は不可能な筈だ。最初から全てを、運命を知っているのだとすれば、それは神以外にあり得ない。
アメリカ合衆国大統領であるジョーンは、カトリックの信者でもある。進化論などが正しいと考える科学的思考の持ち主でもあるが、それでも心の根底にはキリスト教の存在があった。ライブラリが本当に神からの贈り物なら、その扱いは一層厳重にすべきではないか、と思う。
「いいえ、大統領。まだ神からの贈り物とは断定出来ません」
ところがその考えを、科学者は否定してきた。
思いもよらない反応だった。遥か『未来』の行動を予測するなど、科学で説明出来るとは思えない。
そんな考えが顔に出ていたのかジョーンには分からないが、科学者はやや意気込んだ様子で語り始めた。
――――そもそも、未来の『予測』自体は極めて簡単である。
例えば手に持った花瓶を落としたら、何が起きるか? 花瓶の材質は陶器、中には水が入っている。持ち手は成人男性としては平均的な身長で、花瓶は胸の位置辺りから落とされたという条件も付けよう。
ここまで説明されれば、余程捻くれていなければ思い描く光景は一つだろう。つまり花瓶は地面に落ちた瞬間割れ、中身の水が辺りにぶち撒けられる。破片の飛び方次第では持ち手が怪我する事もあるかも知れない。
このように物の動き方……『科学』を知っていれば、多少の未来は予測可能だ。更にその持ち手が酷く臆病かつ姑息な性格だと知っていたら? 彼が花瓶の破片を手早く集め、こっそり隠そうとする事も予想出来るだろう。家の中に誰もいないという情報もあれば、尚更そのような行動に出ると分かる。尚且つ家人が彼の気質をよく知っていれば、その後彼を問い詰めるところまで『予言』出来るかも知れない。
「人間だって、未来は予測出来るのです。ですがもっと遠くの、例えば大統領が明日の昼食を予想出来ないのは何故でしょうか?」
「何故と言われても……私の場合、昼食はホワイトハウス専属のシェフが作っているから、予測しようがないだろう」
「そうです。自分の知らない事は予測出来ない。これが基本です」
人間は、全てを知っている訳ではない。
先程の花瓶の例も同じである。花瓶が陶器だと知っているから、中に水があると伝えられたから、落としたら割れて水が撒き散らされると言える。花瓶がプラスチック製だと知らず、本当は中身が入っていない事実を伝えられていなければ、こんな簡単な事さえ予想出来ない。
つまり人間が遠い未来を予測出来ないのは、人間があまりにもこの世界の事を知らないからである。それだけ世界は複雑で、膨大な知識がなければ説明出来ない。
しかし逆説的に言うならば。
全てを知っていれば、全てを予測出来るのではないか?
花瓶や人間の性格だけではない。原子や素粒子、その運動や位置を全て知り、全ての物理学を正確に把握していれば、あらゆる元素の動きが予測出来る。人間の脳だって原子や電子の動きによって活動しているのだから、それらの動きが分かれば思考さえも予測可能な筈。
これは十八世紀の数学者が提唱した、『ラプラスの悪魔』という考えである。
「これは、現代ではやや否定された考え方です。素粒子などは座標が確率的なものですし、未来を予測する機械は自分自身の状態を予測出来るのか、などの問題が指摘されているからです」
「な、なら、やはりそれは出鱈目では……」
「かも知れません。ですが、なんらかの方法で実現した可能性はあります。それこそ人類には、到底考え付かない方法で」
科学者の説明に、ジョーンは息を飲む。
正直、気味が悪い。
神からの贈り物であれば、まだ良かった。だが科学者の言葉通りであれば、こんなものを作り上げた文明がいるかも知れない。
全てを予測するなんて、神の領域に足を踏み入れている。
それは神にとって想定通りなのか。神に選ばれたのは人間ではないのか。神に比例する存在などあり得るのか。まさか人は神に愛されていないのか――――
そんな事は認められない。
熱心ではない、けれども確かに根付く信仰心が疼く。どうすれば良いかなど分からない。だがライブラリの製造者が『神』ではないと証明したい。
その方法を考えた時、ジョーンはふと気付いた。
予言を利用すれば良いのではないか、と。
「……一つ、確認なのだが」
「なんでしょう」
「ライブラリには私の今日の予定についても、書かれているのだろうか」
ライブラリが本当に『全て』を記録しているのなら、当然ジョーンの今日の行動についても書かれているだろう。
なら、その時の行動を選ばなければどうか?
車に乗るなら、乗らなければ良い。食事を食べるのなら食べなければ良い。人間には自由意志がある。未来を事前に知れば、それとは違う行動を行える筈だ。そして違う行動を取れば、それはライブラリに記録されていた『予言』が間違っていた事になる。
本当に簡単なやり方だ。いや、或いはこんな簡単な矛盾があるから、『ラプラスの悪魔』とやらは否定されているかも知れない。
不敵に笑うジョーン。ところが研究者は顔を引き攣らせた。何かを言おうとしている口は震え、明らかに言葉に迷っている。
「……………そ、その、大統領。本当に、お伝えしてもよいのでしょうか」
「? どういう意味だ」
「ら、ライブラリには、あなたが記録されていた情報を私に聞く事まで書かれています。そして私はあなたにそれを伝え、あなたは記録通りの行動を取る、という事まで書かれていました」
「……………!?」
ぞわりと、悪寒が背筋を駆け抜けていく。
自分がライブラリの記憶を見たがる事、未来について知る事、その上で記録通りの行動を取る事……
知った上で同じ行動を取るなんて、それこそ運命ではないか。何故そうなるのか、どうして避けられないのか。
いや、聞かなければ良いのだ。それだけでライブラリの記載とは違う行動になり、予言は外れる。「科学者に聞く」事自体が予測された行動なのだから。
――――そこまで分かっているのに、話すな、の一言が言えない。
息を飲む。顔を顰める。何度も口を開閉させ、肺を絞り……
「お、教え、てくれ。知った上で、は、判断、する」
その言葉を言ってしまった。
ここで科学者が「やはり言えない」と言ってくれれば、それでライブラリの記載は外れとなる。だが、科学者は悩んだ末に話した。
話さないという選択はなかった。
「こ、今夜二十時……国内テロ組織によって、奥様が殺害されます」
大統領の家族の安否に関わる事なのだから。
「……………は?」
「あ、あなたは、家族の傍にいる事を望んで、奥様の下に帰宅します。ボディガードを配備しますが、そのボディガードにも内通者がいて、守れません」
「……ま、待て、待て待て! それは、そんな、そんな事が、じ、事前に逃がせば……」
「何処に? 誰が?」
科学者に問われて、言葉を失う。
ボディガードに内通者がいるなら、誰に妻の避難を任せても意味がない。それを行うのは身辺警護を担うボディガード達なのだから。しかも今の時刻は十九時を過ぎている。今から何をどうしたところで、二十時に何かが起きてしまう。
或いは、ボディガードの選定を今から変更すれば……
「ぼ、ボディガードの編成を今から変えれば……そうだ、妻を殺すボディガードの情報もあるんだろう!?」
「分かりません。詳しく調べたのですが、肝心のところで記載が抜けているのです。恐らく、そこを知ると確実に予測を変えられる点は全て省かれています」
「なっ……!?」
ジョーンは苦々しく顔を歪める。肝心なところを書いていないのは、未来を変えようとする動きさえも予測しての事なのか。
これではどうにもならない。ボディガードを変えても、変えなくても、いや、他の対応さえも、全てライブラリの予測する未来に繋がってしまう。
ジョーンは悩む。悩んで、考えて、藻掻いて……
散々考えた果てに、彼は決意する。
「……………いや、もう、良い」
「だ、大統領」
「一応言うと、諦めた訳ではない。だがこれ以上は考えても仕方ない」
肝心な情報が抜けている。だからあれこれ考えても、それに大した意味はない。
だからやれる事をやる。妻が危険だと言うのなら、自分が考える最善によって守る。
運命に従うでも、下手に足掻くでもなく、立ち向かう。
「なぁに、案外足掻いてみれば簡単に覆せるかも知れないぞ……よし、今日の職務はこんなもんにしよう」
快活に笑いながら、けれども目だけは決意を滾らせながら、彼は仕事を終わらせて家路に就く。
アメリカ合衆国大統領暗殺のニュースが全世界に流れるのは、この二時間後の事だった。




