9月14日 『ねこまんま』
僕はねこまんまが好きだ。ねこまんまが正式名称かどうかもよく分からないが、白米に味噌汁をかけただけのものを僕はそう呼んでいる。幼い頃は猫が食べるからねこまんまなのだと思っていたが、どうやら猫に与えるのは良くないらしい。実際猫が食べているところは一度も見たことがない。
少量の白米に味噌を溶いた具なしの汁をかけると、僕のメインディッシュが出来上がる。時短で出来る実にありがたい食べ物であるが、中にはこれを”貧層だ”と思う人がいるらしい。この世の中、金さえあればうまい飯が食える時代だ。あえて好んでこの料理を選んでいるのだから、具材も買えぬほど貧乏なのだろうと思われても致し方ないかもしれない。調べて見るとやはり飢えを凌ぐための食事方法としてヒットしたので、あながちその偏見も間違ってはいない。
具なしの汁をすすっていると、思い出すことがある。これは彼女が戦時中、小学生だった時の話だが。
『白米など高価なものをそのまま豪快にかきこめるような家庭環境にはなく、日々雑炊や汁ご飯など、少量の米を最大限ふやかしたものを食べていた。少しでも腹が膨れるようにと、母は私の茶碗に多めの汁を注いでくれた。皆「いつか腹一杯宝石のような炊き立てご飯が食べれるようになる。それまでの辛抱だ」「お金がある家は食べれているんだろうが」と、未来を希望したり、他人をうらやむような言葉を口にしていた。しかし私は、この貧相なご飯が好きだった。
「私これが好き」
そうというと、「みっちゃんは優しいねえ」と母に頭を撫でられた。決して気を使った訳でもないし、思ったことを正直に申しただけであったが、大人たちは私の言葉を遠慮と捉えたらしい。それからはあまり言わなくなった。
戦争が終わった今でも、私はねこまんまを作って食べている。数メートル先にあるコンビニへ向かえばおかずが沢山入った弁当を購入することも出来るが、あえて私はこれを食べる。具なしの汁をすすっていると、内側にいる小学生のままの私がほっとした表情でこう言うのだ。
「ああ、おいしい」
私は、彼女のその言葉が好きだ。その言葉を聞きたくて、今日もまた具なしの汁を作る。』




