第250話 タイミング
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「はい、お終い!」
景隆は将棋AI『カストル』を使ってインターネット将棋で無双していた雫石を止めた。
「えええっ! いいとこだったのにぃ……」
雫石が操るカストルはひたすら連勝を重ねていた。
「これ以上続けると怪しまれるんだよ」
インターネット掲示板の将棋スレッドでは、Castorというアカウントがめちゃくちゃに強いということで話題になっていた。
その正体は名人位を含む五冠を保持している生稲ではないかというのが最も有力な説だった。
中には公開または市販されている将棋ソフトよりも遥かに強い将棋ソフトが開発されているという、ほぼ真実に近いことを言い当てている書き込みもあった。
翔動が開発している将棋AIは、現時点では極秘プロジェクトであるため、景隆はこれ以上雫石を野放しにできなかった。
「うぅ、カストルくん、どんな相手でも勝っちゃうから、めちゃくちゃ気持ちよかったのにぃ」
雫石は名残惜しそうに言った。
景隆は雫石の気持ちがよくわかった。
インターネット将棋では棋力が近い相手とマッチングするため、勝率は五割に収束するのが一般的だ。
しかし、Castorは三桁の対局を経てもいまだ無敗である。
たとえインターネットでも対局で負けると悔しいのが人情であり、何度対局をしても勝ってしまうことが中毒になってもおかしくはないだろう。
そして、この異常値とも思える勝率は、否が応でも観戦者を集めた。
中にはCastorが対局する時間帯を分析し、正体を突き止めようとする者が出始めた。
インターネット掲示板では中高生くらいの子どもではないかという説がささやかれていたが、この年代でプロ棋士レベルの強さであることは考えにくいと、この説は棄却されていた。
***
「タイミングが重要ね」
上田はバカ高いコーヒー豆をふんだんに使って淹れたコーヒーを豪快に飲みながら言った。
白鳥ビルの会議室では、景隆、下山、上田の三人が将棋AIをどのようにプロモーションするかの会議をしていた。
柊は霧島プロダクションで難儀な事態になっているらしく、この場にいない。
将棋AIは極秘プロジェクトで上田には知らせていなかったが、マーケティングのフェーズになったため、このタイミングで上田に明かし、相談することにした。
上田は当初、将棋AIという、いかにも金にならないことに巨額の投資をしたことに「そんな金があるなら広告宣伝費に回しなさいよ!」と激昂していた。
「Castorの正体が我々だと明かしますか?」
「それはやめておきましょう」
「私も反対」
下山の提案に、景隆と上田は反対した。
「上田の言うように、一番インパクトがあるタイミングで公表したいです」
「そうね、将棋のことは全然わからないけど、その生米って会長は食わせ物なんでしょ?」
景隆は二人に長麦や将棋連盟の状況を共有していた。
「長麦な。とはいえ、ビジネス的な話は通じる人だったぞ」
「へぇ、生卵会長って将棋だけじゃないのね」
「お前、わざと言ってるだろ……」
「向こうが断りにくい状況を作るのはどうでしょうか」
下山は上田のボケを気にすることなく、考え込んで言った。
「いいと思います。棋士はプライドが高いから、逃げたという状況を作らないようにすれば乗ってくると思います。そして――」
「「AIとの対局は金になると思わせる」」
最後は景隆と上田がハモった。
柊は上田のことを苦手にしているようだが、景隆は上田と妙に波長が合うことが多かった。
(若さの違いだな)
「うーん……じゃあ、どのタイミングで公開するかなぁ……」
景隆は唸った。
システムに巨額の投資をした以上、プロモーションにはあまり予算をかけたくなかった。
「そんなの決まってんじゃん」
上田は一口で景隆のランチ代になりそうなコーヒーを一気に飲み干した。
「へ?」
自信満々の上田に、景隆は頼もしさを感じるとともに、一抹の不安がよぎった。
「あんたたちが出るっていう、光琳製菓杯で優勝したときに言えばいいのよ」




