第247話 食わせ物
「おそらく当て馬だな」
白鳥ビルのオフィスで、柊は言い切った。
景隆は長麦邸での一連の出来事を柊に共有していた。
柊の発言は、柊の発言は、滝という理事がコンピュータに関してかなりネガティブな反応を示していると伝えたことに対するものだった。
「どういうことだってばよ」
「石動の話を聞く限りだと、長麦さんが滝さんを呼ぶ理由があったか?」
「……ないな」
景隆はあのときの状況を振り返ってみたが、長麦がその場のノリで生稲を呼びつけたことに驚いたあまり、滝があの場に居合わせた理由については考えもしなかった。
「滝さんが、会長に用事があったんじゃないのか? 将棋連盟の役員で、運営に関するあれこれがあるんじゃないか?」
「わざわざ石動がいるところで滝さんを呼ぶか?」
「あっ……」
長麦と滝が、直接会ってまで何かしらの話をするならば、部外者である景隆がいないほうが都合がいいだろう。
あのタイミングで滝を呼んだのは、景隆に合わせる理由があったと考えるのが妥当だ。
「俺、あの人に嫌味なことばっか言われたぞ」
景隆は生稲に会えたことは飛び上がりそうなほど嬉しかったが、滝からは感想戦の後もネチネチと小言を言われていた。
「きっと、それが狙いなんだよ。会長は石動が次に何かを仕掛けてくることを予想しているんだ」
「俺たちが将棋AIを開発していることに気づいているってことか?」
「そうとも限らないが、石動がやっているスポンサー活動なんて、普通の感覚からすると異常だろ?」
「たしかに」
棋戦の冠スポンサーは、それなりに知名度のある大手企業が務めるのが一般的だ。
スポンサーになることの直接的な利益は期待できないため、財務基盤に余裕があることが前提となる。
女流棋戦とはいえ、翔動のようなベンチャー企業が名乗りを上げるのは、何か裏があると思われても仕方がないだろう。
「それと、滝さんが出てくるのに何の関係があるんだ?」
「石動が将棋連盟に対して次の行動に出た場合、滝さんが出てくると、反対されるのは目に見えているよな」
「えっ! じゃあ、長麦さんはこれ以上の交渉の余地がないってことを暗に示したのか?」
景隆は将棋界に詳しくないが、将棋連盟の常務理事ともなれば相当な権限を持っているだろう。
その常務理事の滝に反対させることで、長麦はスポンサーである景隆の心象を損なうことなく、今後の交渉を断るつもりなのかと景隆は考えた。
「ちがう、そうじゃない」
「雅之か!」
「将棋連盟はよくも悪くも、長麦さんの独裁なんだよ。彼は天寿をまっとうするまで会長職にいたほどだからな」
「えっ……そんなことが許されるのか?」
「俺も将棋界に詳しいわけじゃないから、なんとも言えないが、いくら将棋連盟の中で棋士や役員が反対しようが、最終決定ができるのは長麦さんなんだ」
景隆の想像以上に長麦の権力基盤は盤石なようだ。
「仮に、滝さんらが反対勢力になったとして、長麦さんは彼らを押さえつけられるってことだよ」
「あっ! 結局は、長麦さん次第ってことで、何か通したいことがあったら会長に取り入らないといけないってことか……」
「そういうことだ」
「食えないじぃさんだな……」
景隆の長麦に対する印象は、ファンキーで話しやすい人物というものであった。
しかし、表面だけを見て判断すると足元をすくわれる、と柊が言っていた意味が、ここに来て理解できた。
「しかし、あれだな……刑事ドラマによくいるイキった若い刑事を、なだめるベテラン刑事みたいなもんか……」
「そうだな、わざとそういう人物を理事に据えた可能性はある」
「食えないじぃさんだな……」
柊は少し難しい顔をしながら、切り出した。
「俺はキリプロで厄介な事案に関わっているので、この件は任せていいか?」
「あぁ、なんだかんだで会長とは良好な関係にはなっていると思うし、問題ないぞ」
柊はこれまで、大抵の業務を卒なくこなしてきた。
その柊でも困難な仕事とは、一体どのようなものか、景隆には想像もつかなかった。
そして柊は縁起でもないことを言い出した。
「もし、俺に万が一のことがあったら、雫石のことを頼む」




