第246話 最強の棋士
「これはまた……見たことがない囲いですね」
生稲は盤面を興味深そうに眺めていた。
長麦邸の和室では、景隆と長麦による感想戦が行われていた。
感想戦とは対局終了後に、開始から終局(またはその一部)を再現し、その局面を検討することである。
感想戦をすることにより、対局中には気づかなかった手筋や読み筋を発見することができるなど、学習効果が高いと言われている。
しかし、この感想戦は景隆と長麦の対局ではなく、屋神と彼を破ったと言われる指し手との対局を並べていた。
景隆は柊からその対局のことを詳しく聞いており、光琳製菓杯の練習のためにその棋譜を覚えていた。
盤上に対峙する長麦も屋神から聞いていたようで、二人とも手元に棋譜がなくても対局が再現できていた。
「この手がまた変わってるんだよ」
長麦は何度も棋譜を並べているのか、正体不明の指し手の戦型をかなり研究しているようだ。
彼は現役を退いているため、対局が多い棋士に比べてこのような時間を取りやすいのかもしれない。
盤上の囲いは柊によると、未来の将棋AIが編み出した新しい戦型のようだ。
対抗形における居飛車側の新たな囲い方として注目を集め、コンピュータソフトが初めて賞を受賞したこともあり、大きな話題を呼んだらしい。
その目新しい囲いを、生稲と滝は真剣な眼差しで見つめていた。
生稲は最高峰の棋士だけあって、研究熱心なのだろう。新しい手法を貪欲に吸収しようとする姿勢が見て取れた。
そして、滝も棋士の血が騒ぐのか、生稲に負けじとその盤面を検討していた。
生稲が興味を示したことは景隆にとっては僥倖だった。
滝ならば正体不明の指し手――ましてやコンピュータ相手に将棋を指すことなどは絶対にないだろう。
滝が興味を示しているのは新しい戦型であって、それを指した者ではない。
対して生稲は屋神と同様に、強い対戦相手を渇望しているような雰囲気が見て取れた。
「たしかに、相当な実力ですね。そして、型にとらわれない柔軟性もあります。一体どんな方なんですか?」
「申し訳ありませんが私も詳しく存じていません。皇――弊社の関係者の知人なのですが、あまり表に出られないようで」
景隆は尊敬する生稲が興味を持ってくれたことに喜びながらも、満足のいく答えを用意できないことに歯がゆさを感じていた。
「ふん、いかがわしい存在であることに変わりない」
滝は思ったとおりの反応だった。
「どんな人物かのぉ、会ってみたいわい」
長麦は滝の反応など、意にも介さずに言った。
(ハ○ター協会の会長とパ○ストンみたいな関係なのかな……)
景隆は将棋連盟という組織がどのように運営され、意思決定がされているのか全く想像もつかなかったが、これからはそうも言ってはいられなくなったことを自覚した。
そして、キーとなるのは会長でもなく、理事でもない、ここにいる最強の棋士だ。
対局は会話と同じで、お互いに、その意思がなければ成立しない。
景隆は生稲になんとしてでもその気にさせる必要があった。
「あ、あのっ、生稲先生もこの相手と指したいと思われますか?」
景隆は声が上ずりつつ問いかけた。
「ふむ。棋士はですね――」
生稲は優雅な所作で角を手に取り、パシンと指した。
本榧の将棋盤に小気味よく音が響き、一同は目を見開いた。
「強い相手と戦いたいという本能があるんですよ」
生稲の指した手は、未来のコンピューターソフトを上回る一手だった。




