第238話 やらかし
「ダメです!……あっ!」
反射的に反応してしまった景隆は自分のやらかしに気づいて青ざめた。
(やらかしたやらかしたやらかしたやらかしたやらかしたやらかしたやらかしたやらかしたやらかしたやらかしたやらかしたやらかした……)
「「……」」
対局室は静寂に包まれた。
このことが余計に景隆の心を締め付けた。
やらかしの一つは、鷺沼の職業選択の自由を奪うような発言をしたことにある。
憲法でも保証されている権利を侵害したことに加え、ましてや大恩がある先輩に対して、決して言ってはいけないことだった。
「すみません、鷺沼さん」
「それだけ私が必要ってことだよね、嬉しいよん」
「本当にすみません、他意はないのですが……」
鷺沼はまったく気にしていない様子で言った。
表情を窺う限りでは、本当に嬉しそうである。
景隆は改めてこの女性を敬愛しており、恋慕の情を持っていることを自覚した。
普段からおしゃれに対して気を使わない鷺沼であるが、それでも橘はその素質を見抜いたようだ。
鷺沼が正当に評価されたこと自体は嬉しいが、彼女が不特定多数の人間に笑顔を振りまくようなことはしてほしくなかったというのが本音だった。
当然、これは景隆のわがままだ。
そして、鷺沼の才能はIT業界で活かされるべきだと景隆は強く感じていた。
彼女の才能なら、どのような業界でも活躍はできそうであるが、景隆は誰よりもエンジニアとしての彼女のすごさを知っているという自負がある。
そして、今後、翔動が躍動していくためには、鷺沼の力が不可欠であるとの予感もあった。
「あ、あの……」
景隆は硬直している神代と、少し驚いていたような表情を見せた橘にかける言葉を探したが、何を言っていいのか思いつかなかった。
「石動さん、大丈夫ですよ? ちゃんと鷺沼さんの意思を尊重していますから」
橘は景隆を落ち着かせるような柔らかい表情で言った。
(これは、柊じゃなくても魅了されちゃうな……いゃいゃいゃいゃ)
神代は観察力が鋭く、橘は洞察力が鋭い。
景隆の反応で、鷺沼に対する恋愛感情を察知したに違いない。
自分の好意が鷺沼本人にバレるのもまずくはあるが、問題はそこではない。
(いゃ、そっちも非常にマズイんだけど……)
景隆が鷺沼に恋愛感情があるということは、かつての柊がそうであったということに、二人はすぐに気づいただろう。
鈍感な景隆でもわかるほど、神代は柊に好意を寄せているのは明らかだし、おそらく橘も同じような気持ちを抱いているのだろうと思われる。
もし仮に柊が鷺沼に対しての思いを捨てきれていなかったとしたら、柊の立場は微妙なものになるだろう。
それがもう一つの景隆のやらかしだった。
その景隆の気持ちを察したのか、神代は景隆を安心させるように言った。
「大丈夫ですよ、石動さん。彼はもう気にされていないと思いますよ?」
(え? そうなの?)
柊は景隆の倍ほどの人生経験がある。
景隆の知らない柊の人生で、恋愛的な紆余曲折があったのかもしれないと思うと、神代の発言には一定の説得力があるような気がした。
今の柊は神代を大切に思っていることは間違いない。
そして、神代がそれをわかっているのであれば、変な方向に飛び火することはないだろう。
(すまん、柊……)
景隆はこの場にいない相手に心の中で謝罪した。




