第237話 意外なつながり
「こりゃ、えんらい賑やかになったねぇ……」
白鳥ビルの様子を見た鷺沼は目を見開いて驚いていた。
翔動のオフィスでは二つの部屋が新設されていた。
一つは将棋AIの開発チームが詰めている部屋だ。
チームリーダーは下山で、新田がソフトウェア、鷺沼がインフラを担当している。
この部屋にはディープラーニングをするためのGPUを大量に搭載した自作マシンが所狭しと並んでいる。
翔動が大量に購入した影響で、秋葉原のPCパーツショップでGPUを搭載したグラフィックボードが品薄状態になっており、価格高騰を引き起こす事態となった。
当初は轟音を響かせていたが、エンプロビジョンに自作PCのスペシャリストがおり、彼の手によって水冷化が実現されていた。
もう一つは対局ルームだ。
神代と雫石は千駄ヶ谷の将棋会館でプロ棋士による指導対局を受けていたが、二人があまりにも急激に強くなったため、プロ棋士に来てもらうことになった。
これは、前潟に二人の実力を隠すためだった。
人気女優の二人は何かと話題になることが多く、急激な棋力の上昇で警戒されることと、手の内を晒したくないという思惑があった。
いまだ前潟との差は歴然としているが、警戒されないに越したことはないだろう。
プロの指導対局はチームメンバーである景隆と柊も時間を作って参加しており、アマチュアの中では相当な実力だとプロ棋士に言わせるほどになっていた。
当初は霧島プロダクションの施設に棋士を呼ぶことも検討されたが、チームメンバーが揃いやすいこのオフィスのほうがなにかと都合がよかった。
白鳥ビルは地下の駐車場から直通のエレベーターがあり、芸能人やプロ棋士が人目につかずに移動できるという利点もあった。
「鷺沼さんに来ていただいて、本当に助かりました」
先日の長麦との会談により、翔動は将棋連盟公式のモバイルアプリケーションを開発する方向で進んでいた。
ベータ版の評判がよければ、正式に採用される見込みだ。
鷺沼が入ったことで将棋AIのほかに、モバイルアプリケーションのシステムの構築が急ピッチで進められていた。
将棋AIと同様に、モバイルアプリケーションは利益を期待できない案件だが、これは将棋連盟とのパイプを太くするための布石だった。
今後、プロ棋士と将棋AIの対局を実現させるためには、突然現れた黒船よりも、ビジネス的なつながりがある相手のほうが警戒されないだろう。
柊によると、未来ではプロ棋士の一部にコンピュータに対する拒絶感や警戒心があり、将棋ソフト開発者に圧力をかける理事もいたという。
そして、頂上対決が実現する前に将棋AIがプロ棋士の棋力を凌駕してしまうことになったようだ。
これは興行的に最もおいしいタイミングを逃したことと同義であり、景隆と柊は未来の同じ轍を踏まないよう、関係性の構築から始める戦略を取った。
「いやー……忙しいけど、それ以上にめっっっっちゃ楽しいんだよね。不動産屋さんのときも楽しかったけど、今回は自由度が高いし、余計な制約もないしで、デルタファイブ辞めてもいいかなと思ってるくらいだよ!」
「マジすか!」
景隆はいずれは鷺沼も鷹山も正式に引き込みたいと考えていたが、思っていた以上に好感触だった。
「ねぇ? 隣の部屋では将棋のプロがいるんでしょ? ちょっと覗いてもいいかい?」
「もちろん」
***
「あら、石動さんと……鷺沼さん! お久しぶりです!」
対局ルームで鷺沼を見た神代は驚き、眩しい笑顔で挨拶をした。
「あれ? お知り合いなんですか」
「まぁねぇ、ちょっとしたバトルがあってさ」
「はあぁっっ!」
思いもしなかった不穏な単語に景隆は驚きを隠せなかった。
しかし、神代の笑顔はどう見ても、何か含みがあるようにはどうしても見えなかったため、物騒な話ではないのだろう。
「ご無沙汰しております、鷺沼さん」
「橘さん、お久しぶりです」
(あれ? この二人も!?)
景隆は驚いたものの、神代と接点があった以上、マネージャーである橘との接点があってもおかしくはないと思い直した。
しかし、景隆は鷺沼が橘と個別に会っていることを知らない。
今日は檜垣が雫石の仕事についているため、橘が神代についているようだ。
「こないだの件、考え直してくれました?」
橘はそこはかとなく、いたずらっぽく言った。
ビジネスの場で彼女がこのような表情をするのは非常に珍しい。
「ん?なんですか?」
景隆は疑問に思いつつ、神代を窺ったが、彼女も心当たりがないようだ。
そして、鷺沼が居心地悪そうに発した言葉は、景隆の想定の斜め上だった。
「いやー、芸能界に誘われたんだよねぇ」




